世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
「人への投資と分配」を巡る素朴な疑問
((株)東レ経営研究所産業経済調査部長 チーフエコノミスト)
2022.08.01
「人への投資と分配」が岸田政権の優先課題
2022年6月に「骨太方針2022」とともに発表された「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」では,まず重点投資分野として「人への投資と分配」が掲げられている。もともと日本企業の人への投資(OJT以外)は欧米と比べてGDP比で見て1/10以下と低かった。だが,DX(デジタルトランスフォーメーション)やGX(グリーントランスフォーメーション)などの大きな変革の波の到来の中で創造性を発揮するためには,人の重要性と人への投資が不可欠であるとの認識が背景にある。
人への投資について様々な施策の中で直接影響を及ぼすのは,スキルアップを通じた労働移動の円滑化と人的資本等の非財務情報の開示強化であろう。スキルアップについては3年間で4,000億円を投入して非正規雇用を含めて能力開発・再就職支援,他社へのステップアップ支援を講ずるとしている。
ただ日本政府等が3年間で4,000億円の公的な訓練費を投入したとしても年間換算してGDP比で見ると0.02%程度に過ぎない。確かにこれまでの日本政府の職業訓練費(GDP比0.01%(2019年))と比べると,倍増以上の投入となっている。しかし,OECD平均は同0.10%と日本を3倍程度上回っている状況であり,独仏等はさらに高い。まだまだ日本は人への投資についてテコ入れを図る余地があると言えそうだ。
人的資本の情報開示を要請
二つ目の人的資本の情報開示については近年注目が集まっている。その理由として,まず投資家の,企業が抱える人的資本,特許,ソフトウェア,ビジネスモデル,ブランドなどいわゆる無形資産の価値を把握したいというニーズがある。米国では企業価値に占める無形資産の割合が2020年時点で90%,欧州でも75%に達している。対照的に日本企業の株式市場価値に占める無形資産の割合は同32%と1/3に満たない。株式市場での企業評価の尺度が設備や構築物のようなハードや関連設備から,人材やソフトウェアなどの無形資産に代わりつつあることがわかる。二番目の理由として,投資家がサステナビリティの観点から社会に対する責任ある行動を求めていることがある。
では,日本企業の人的資本の情報開示が進んだ場合,投資家から評価されることでこれまで手薄だった人的資本の充実に舵を切ることになるのかというと,時期尚早で判断がつかない。企業の人的資本の情報開示は緒に就いたばかりであり,企業や投資家ともに情報開示や評価のノウハウに乏しく,こうした情報開示に人的資本拡大の効果を期待するのは現時点では難しいだろう。
事業創出等の視点を軸足にした人的投資拡大を図れ
人的投資を巡る議論を見ていて気になった点がある。それは日本企業の人的投資がここまで伸び悩んだ点についての議論が貧弱なことだ。こうした議論をなおざりにして政策を打ち出してもうまくいかないのではないか。
筆者は,日本企業がこれまでのハード依存のビジネスモデルに固執し,人的投資を含む関連投資の効率化とコスト削減に勤しんだことが大きいのではないかと思う。一方,世界では企業を構成する価値が有形資産から無形資産にシフトしており,これまでのビジネスモデルのあり方が問われるようになった。
補助金を積んで人的投資を増やせばうまくいくわけではない。日本企業の過去の成功体験へのこだわり(と変化することへの恐れ)と世界のビジネスモデルの構造変化のために,人的投資不足も含めてうまくいっていないと考えるべきだ。政策支援の軸足は,事業創出と産業活性化に置き,それと同時に人的資本増強の環境整備を行い,事業創出等のボトルネック解消を狙うべきだろう。
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