世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
日本の職場を再び活性化させる:北イタリアでの会社経営の体験からの提言
(元文京学院大学 客員教授)
2022.06.20
日本の職場が元気がないといわれている。私が10年余りイタリアミラノに滞在し,関係会社の経営にあたり,日本イタリア商工会議所の副会頭も務めてきたので現地に進出している日系企業の幹部とも付き合いが多かった。そこでよく話題になったのは,「日ごろ付き合っている北イタリアのいわゆるdesign oriented business modelの中小企業に働くマネージャーたちのすさまじく高い生産性には度肝を抜かれる。それに比べて日本本社の生産性の低さはどうだ。おそらくここの人たちは日本のマネージャー達の2倍位の成果を仕事で上げ,しかも仕事を楽しみながらやっている」ということであった。
私は帰国して,このことをいやというほど実感した。日本の労働生産性はG7の中で最も低く,働く人の仕事に対する熱意を示す「エンゲィジメント」指数をみると,日本が50の半ばであるに対し,欧米と東アジア(中国や韓国など)では,軒並み70から80前後になっている。こうした問題点を取り上げた「人材版伊東レポート2.0」を5月経済産業省がまとめたという。日本の人事システムが制度疲労を起こしていることに役所がようやく気が付いたということだ。
なぜこういうことになったかについて,私は前回の拙稿において,日本社会が「現状に満足してしまって政財界,そして日本という社会がリスクを取って時代に合わないものは捨て去り,世界の最先端のものを取り入れて社会を革新していくという気概が失われてしまっているのではないか」と述べた。
私は1962年に,大学を出てビジネス界に入つたのだが,当時は日本の高度成長が始まったばかりの時期で池田内閣の所得倍増計画のもとに,とにかく「終戦後のあの食べるものさえろくにない社会はこりごりだ,モノの豊かな社会を築こう」と全社一丸となって走っていたから,会社は活気にみちていた。経営者層も戦中戦後の苦しさを生き抜いてきた者たちだったから,謙虚であり,増産への設備投資,新しい技術開発にも果敢に挑戦した。Sony やHondaが典型だ。そこには 「失敗してもよい,やってみなはれ」との企業文化があった。
ところがモノが満ち溢れた豊かな社会になって,人々はそれで満足してしまっているようだ。経営者はコストを削減して利益を上げることが経営者の仕事と考え,管理屋に成り下がってしまっている者が多いようにみえる。大変なリスクに伴う新事業の開発や技術開発を敬遠し,従業員への利益分配にも消極的で,社内留保を増やすことを優先し保身第一となっているのではないか。
海外事業に40年従事した私が海外で見たのは,経営者にとってコスト削減は仕事の一部に過ぎず,もっと大切なことは,いま世界は今どのような方向に向かっており,その中でわが社の中で時代に合わなくなっているビジネスは切り落とし,これからの時代の流れに沿った新規事業をどうたちあげてゆくのか,そのための技術開発をどう進めるのか,自社開発できるのか,他社との提携にするのか。それを判断して戦略を決める。
極めてハイリスクな仕事である。しかしそういうことをやるのが経営者,それが世界の常識だ。
そもそも日本社会全体がリスクを取らない社会になっているのではないか。親が子供に言ってきたことは「いい偏差値を取って,いい大学に入り,有名大企業に入って定年まで勤めあげて安定した生活を送りなさい」ということであつた。しかしこの成功の方程式が崩れかかっていることはいまや明らかになってきている。
もう会社は従業員を定年まで面倒見るなんてことはできなくなっているのは明白である。
さらに問題なのは今まで人の選抜の基準としてきた偏差値が人の能力をどれだけ表しているかというと,先の述べた経営者の能力の世界的要件からすると,せいぜい2割か3割に過ぎないということである。偏差値が高いということは教師から教えられた知識をいかに効率的に組合わせて素早く回答を出す能力である。今経営者に求められているのはその他の7割か8割の部分であって,それは「自分で課題を見つけ,それについて学び,考えぬいたうえでリスクを取って決断し,それを実現するために社内の力を結集して実行する,その結果について責任を取る」ことである。こうした経営者の資質は偏差値重視の日本の今までの教育システムの中ではなかなか育たない。
欧米の現状を見てみると,まず親は子供に「自分がやりたいことをみつけなさい」という。やりたい仕事を見つけたら,それに関連した分野を主体的に学び,その成果をもって働きたい会社を見つけ,職務内容で合意すれば入社して自己実現を目指す。日本ではどんな仕事をやるかは会社が決めるが,海外では本人が会社との交渉で決めるのだ。自分で好きで始めた仕事だから,上司から指示されなくとも馬車馬のように働く。成果を上げてそれを会社が十分評価してくれればよし,してくれないと思えば,評価してくれる会社へ転職する。自分のキャリアは自分で作るのである。業績評価はガラス張りで開示されるし,それをめぐって上司と議論する場が与えられている。これが私が北イタリアの中小企業で見た人事制度であり,かの地のマネージャーが大変に高い生産性を上げているのはこのような制度の下に働いているからだとおもう。これはいわゆるジョブ型人事制度であり,海外では先進国であれ途上国であれ一般的に採用されているものである。日本も早急にこの制度に切り替えるときに来ていると思う。
最後に付け加えたい。欧米では大学では狭い専門分野を学ぶだけでなく幅広い一般教養,特に哲学や歴史などを学ぶことが求められている。そこでは人間とはどのような存在なのか,今までどのような過程を経て今日の社会を形成するに至ったかなどを学ぶことが重要視されている。そうした人間社会への理解があって初めて,経営者は現代というものを理解し,我々が将来どのような社会に向かってゆくのかを見通す洞察力を持ちうるのだという確固たる信念があるようにおもう。日本でもかって旧制高校にあったような一般教養課程の復活が求められている。そうした学びを経て日本にも再び将来を洞察できる大型の経営者が現れるのではないかと期待している。
関連記事
小林 元
-
[No.3476 2024.07.01 ]
-
[No.3377 2024.04.15 ]
-
[No.3254 2024.01.15 ]
最新のコラム
-
New! [No.3647 2024.12.02 ]
-
New! [No.3646 2024.12.02 ]
-
New! [No.3645 2024.12.02 ]
-
New! [No.3644 2024.12.02 ]
-
New! [No.3643 2024.12.02 ]