世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
プーチン戦争とEU:コーカサスまで統合射程を広げるEU
(久留米大学 名誉教授,日本EU学会 名誉会員)
2022.04.11
シリア,チェチェンの成功体験をもとに独裁者プーチンによる19万人余の将兵を動員した「特別軍事作戦」という名の侵略戦争が2月24日に始まって,50日近くが経った。
だが,2日を想定した首都キーウ制圧と傀儡政権の樹立というプーチンの見通しは,戦車500両余,推定最大1万5千余の将兵と将官7名の死というウクライナ側の激越な抵抗に遭い,首都制圧は当面放棄された。現在はクリミア半島をつなぐ陸路の要衝マリウポリなど東部2州の占領地の拡大を画策するロシアと,これを阻止するウクライナの両軍の苛烈な戦争が,進行中である。
ウクライナ,ジョージア,モルドバのEU加盟申請
プーチン戦争の直接的契機は,周知のごとくNATO拡大であった。だが,同時にEU拡大も忘れてはならない。
プーチンの侵略戦争に至るウクライナの政治過程では,事の始まりからEU加盟への強い意思が関係しているのである。すなわち,2004年のオレンジ革命,そして2014年の「ユーロマイダン」(欧州広場,単にマイダンとも呼ばれる)がそれである。ユーロマイダンは2008年から始められたEUとの連合協定(Association Agreement)の調印の直前,親ロシア派のヤヌコ―ビッチ大統領による一方的な中止に端を発していた。
実際,ウクライナはプーチンの侵略戦争の開始からわずか4日目の2月28日,EUへの即時加盟を求め,申請に署名した。これに続いて,3月3日黒海沿岸で人口400万のジョージア(15年4月グルジアから表記の変更)と,ウクライナに国境を接する内陸国で人口は同じ400万のモルドバが続いた。これはトルコ(人口8300万)にまでインパクトを与えた。エルドワン大統領は「ウクライナと同様の扱いを」とこの直後の3月2日に要求したほどだ。トルコは1987年に加盟申請を出し,実に35年間も実現できずにいる。
EU加盟の現状についていえば,クロアチアが2013年に最後に加盟し,イギリスが離脱したとはいえ,2022年4月現在,27カ国を擁している。ちなみにNATO加盟国は30。今は内部結束が先決とするマクロンなどの意見もあるが,北マケドニア,アルバニアなどバルカン諸国のEU加盟交渉が進行中である。そしてプーチン戦争の勃発である。
ウクライナはNATO入りが困難なことを知ったがゆえに,EU加盟が一層の宿願となっている。
EUへの即時加盟の特別措置を求めるウクライナに対して,バルト3国,チェコ,ポーランド,ブルガリア,スロベニア,スロバキアの首脳はこれを支持する書簡に署名した。3月11日からの特別欧州理事会(EU首脳会議)ではEUは即時加盟には応じなかったが,欧州委員会に審査に入るよう指示した。
ウクライナについては,NATOが,核戦争を回避するため,飛行禁止空域の設定も,ウクライナ支援の直接的な派兵も,さらに被害甚大な地域への支援空輸も不可,という状況にある。それがゆえに,せめてEUの即時加盟をというゼレンスキ―大統領の希望は十分理解できることである。しかし,上記3カ国のEU加盟は容易なことではない。マイダン革命のきっかけとなったEUとの連合協定でさえ,6年かかっていることを思い出す必要がある。
国連加盟とEU加盟の条件の相違
EU加盟についてはEU条約で規定されているが,一般によく理解されていない。国連の加盟条件は,国連憲章にある加盟国の平和愛好国としての義務の受諾表明と,安保理の勧告及び総会での採択にとどまる。長距離弾道ミサイルと核開発に狂奔する全体主義国家,北朝鮮でさえ加盟国である。
これに対しEU加盟は「1991年のソ連崩壊に伴い設けられた1993年の「コペンハーゲン基準」があり,欧州委員会により厳格かつ詳細な審査が行われる。EU加盟の要件は経済,政治,司法など国家のほぼ全分野に及ぶ。経済では市場競争参加への能力,政治では多党制などの多元的な民主主義,少数民族や少数派に対する保護などの人権擁護,法の支配などである。
条件が整えば,加盟条約案について双方が当該国の憲法とEU条約に則り批准となる。加盟は27カ国の全会一致である。しかも欧州議会の同意も必要である。現在最後の加盟国のクロアチアでは加盟に10年を要した。平時でもそうである。
東に延伸するEU統合の射程
欧州統合,EUといえば,2015-16年のユーロ危機や難民危機を受けて,浅薄なEU瓦解論や欧州統合終焉論がわが国では溢れた。しかしEUは崩壊するどころか,EUはバルカン半島を遥かに超えて,今やウクライナからモルドバ,ジョージアとロシア連邦の下腹,コーカサス地域にまでその射程を否応なく広げつつある。これらは全てソ連の構成国であった。
NATOとロシアの距離について,イスラエルの歴史家であり元外相を務めたシュロモ・ベンアミは,「冷戦末期にロシア西端のレニングラード(現サンクトペテルブルク)はNATOの東端から約1900キロ離れていたが,現在は160キロほどに迫っている」と述べた。
フィンランドやスウェーデンがNATO加盟に踏み切れば,EUとロシアはエストニア,ラトビアに加えて,更に長い国境を接することになる。
EUの対ロ制裁でいえば,ロシア産天然ガスや石油の禁輸を巡り,親ロのオルバンのハンガリーを例外として,ロシアの脅威を肌身で感じている旧東欧諸国と,エネルギーのロシア依存の高さから段階的な輸入制限を主張する独,仏との間に軋轢が広がっている。
とはいえ,石炭の輸入では追加制裁で合意された。これはEUによるエネルギー産業を対象にした初の制裁で,年間40億ユーロ(約5400億円)相当となる。またEUはEU予算からウクライナへの武器供給のため,4億5000万ユーロ(約575億円)の資金の拠出にも合意,さらに増額し,EUの拠出額は計15億ユーロ(約2000億円)に拡大する予定である。交戦国への武器供給を目的としたEU予算からの支出も,前例のない試みである。
結論
悲惨極まりないプーチン戦争に意味があるとすれば,ウクライナを「国でさえない」(ベンアミ)とみるプーチンのソビエト帝国再興の野望に対して,ウクライナの反ロシアのナショナル・アイデンティティを決定的かつ不可逆的にしたことである。
この戦争は,EUにあっては天然ガスなどエネルギーのロシアへの過度の依存の危険性と脆弱性を暴露した。ドイツでは社会民主党のショルツ首相の下で,メルケルの政権分離の清算が図られつつあるとはいえ,EUの盟主ドイツの威信の低下は明らかである。
ロシアの戦費は1日2兆円ともいわれるこの戦争だが,最悪,核戦争の危険を孕みつつ,地政学的にいえば,1991年のソ連邦崩壊の最終章の始まりといえる。そしてEUはその受け皿として機能しつつある。
ロシア周辺国のベクトルは明らかにEUに向かっている。それはEU加盟国間に軋轢を生みつつも,EUは強い磁力を放ちながら,国際政治にその存在をさらに明示する機会となっていると結論づけうるのである。
[参考文献]
- EUの理解については拙著『現代欧州統合論EUの連邦的統合の深化とイギリス』(成文堂,2021年)及び鷲江義勝編『EU欧州統合の現在』4版創元社2021年の第5章5節「EUの拡大」(児玉担当)参照。
- シュロモ・ベンアミ(歴史家,イスラエル元外相)「『ウクライナは国ですらない』『キエフはロシアの都市の母』プーチンは本気で侵攻するか。」ニューズウィーク2022年2月21日。
- 筆 者 :児玉昌己
- 分 野 :特設:ウクライナ危機
- 分 野 :国際政治
関連記事
児玉昌己
-
[No.3490 2024.07.15 ]
-
[No.3125 2023.09.25 ]
-
[No.3021 2023.07.10 ]
最新のコラム
-
New! [No.3627 2024.11.18 ]
-
New! [No.3626 2024.11.18 ]
-
New! [No.3625 2024.11.18 ]
-
New! [No.3624 2024.11.18 ]
-
New! [No.3623 2024.11.18 ]