世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2496
世界経済評論IMPACT No.2496

ウクライナ侵攻というグローバリゼーションの顛末

鈴木裕明

(国際貿易投資研究所 客員研究員)

2022.04.11

背景としての経済要因

 ロシアによるウクライナ侵攻に関し,国際関係・安全保障の観点からの一流の専門家の論考がネットで容易にアクセスでき,プーチン大統領がどのような意図や予断で侵攻に踏み切ったのか窺い知ることが出来る。この観点での詳細な議論はそちらに譲るとしても,プーチンがソ連解体を「20世紀最悪の地政学的惨事」とし,旧ソ連諸国が反ロシア姿勢を取ることを自国の危機と考え,これを押し戻すことでロシアの世界経済・政治上の地位復活に繋げていく夢を抱いていたことは確かであろう。

 だが,そうした復活に向けた夢を抱くことと,それを実行すること,さらには武力侵攻を選ぶこととの間には大きな溝がある。この溝を越えるか否かには様々な要因があろうが,経済的要因もその1つであろう。たとえばソ連解体からまだ日が浅かった1990年代後半,為政者も国民も,ロシア復活を夢見ることはあっても,それをすぐ実現しようと考えることはなかったのではないか。なぜなら,経済が崩れ,社会もガタガタになっていたからである。IMF統計によると,ロシアの一人当たりGDPは1991年の20,297ドルが96年には12,783ドルまで急低下した。これは生活実感に即した購買力平価ベースの実質値で,つまりはソ連解体後5年でロシア国民の生活は4割も貧しくなったことになる。先進国の範疇から滑り落ちたと言ってもいいだろう。漸く底が見えたかと思った矢先,98年には財政危機によりGDPはさらに低下する。グローバリゼーションの烈風の中,外貨準備も少なく,困難な状態が続いた。

燃料価格とロシア経済

 事態が再度急転,今度はポジティブな方向に動き出すのは,21世紀に入ってすぐのことになる。それは資源価格の高騰だ。IMF統計の燃料価格指数では,大底は98年12月の30.92,そこから上昇に転じ2003年頃までは50~80,以降は上げが加速して2008年に300を超える。その後,リーマンショックから一旦2009年に120まで下げたものの,再び上昇を始めて2014年9月まで200~250を維持した。

 この価格急騰で,資源に依存するロシア経済は救われる。2000~2007年の8年間の実質GDP成長率は実に平均7.2%,一人当たりGDPも23,550ドルとソ連解体前の水準を上回り,外貨準備も約4,800億ドルと世界有数の水準を達成する。プーチンの大統領就任は2000年のことなので,誠にタイミングに恵まれたと言えるだろう。

 奇しくも,上述の燃料価格指数ピークの2008年は,ロシアがジョージアを侵攻した年であり,燃料価格指数の高騰が続いていた2014年はウクライナのクリミアを併合した年である。資源価格高騰の恩恵を受けてロシアの実質GDP成長率は,2008年時点は上述の通り,2014年についても2009~2013年までの堅調な伸びの後で,経済は潤っていた時期といえる。

 しかしその後は,燃料価格指数は急落し2015~2020年まで停滞を続ける。それが2020年4月の52.77を底に反転し,同年11月には100を,2021年9月には200を突破。ウクライナ侵攻前月の2022年1月には242.76まで上昇していたのである。

 もちろん,侵攻を決める直接的な判断は,国際関係・安全保障要因によるものであろう。しかし,眼前の課題にどのような手段で対応するか,軍事侵攻を選ぶかどうかは,その費用(直接的な戦費のみならず想定される経済制裁まで含めたトータルコスト)を賄いうるだけの経済基盤があるか,国民の支持が付いてくるか(これは国内経済情勢と密接にリンクしよう)も,影響するであろう。富国化の実現自体は当事国のみならず世界中の誰にとっても喜ばしいことのはずだが,権力を手中にした権威主義国家の統治者にとっては,偉大なる祖国復活を夢見て冒険主義を冒すタイミング到来,という認識にもなりうる。そこに,「理不尽に祖国の栄光を奪われた(=ソ連解体,ロシア財政危機)」との思いがあれば,なおさらであろう。

中ロ台頭と栄光回復の夢

 この条件は,実は中国にも当てはまるところがある。中国は,経済成長を実現するまでは「韜光養晦」を唱え,極力波風を立てない外交方針を取ってきたが,経済的台頭を果たした近年は,強硬かつ積極的外交方針へと変化してきた。こうした中で,習近平主席が持ち出したのが,「中国の夢」であった。かつては世界最大の大国であった中国にとって,清代後期から始まる敗戦や領土割譲・権益譲渡の歴史は,言ってみれば「19~20世紀最悪の地政学的惨事」に他ならない。だからこそ,かつての栄光を回復しようとして,「中国の夢」を見て,経済的背景を得た今,それを実行しようとする。もちろん,中ロ間では経済・政治・社会などあらゆる面において違いは大きく,安易なアナロジーは危険だが,半面,こうした大枠での類似性を無視することは適切ではないだろう。

 また,2000年代からの中国台頭加速は,ロシアのそれとも重なる。90年代後半に成長がやや鈍化してきていた中国は,2001年,WTO加盟を果たす。これが強力なカンフル剤となり貿易・投資が拡大,米国のIT企業などもスマイルカーブ戦略を進める上で中国をサプライチェーンに組み込み,グローバリゼーションが加速していく。その中で中国は世界の工場としての地位を確立し,成長の再加速に成功するのである。そこから中国による「資源の爆食」が生じ,資源インフレが燃え始め,この火に緩和的な金融環境が油を注ぐことになる。ロシア経済は,この資源インフレの追い風を最大限に活かして国力回復を果たすのである。

グローバリゼーションのミスハンドリング

 現代のあらゆる世界情勢に関しては,ここ数十年のグローバリゼーションの影響抜きでは語れない。上述のように,ロシアは,市場経済初心者で資本主義・市場経済への移行に苦悩する中,98年にはグローバリゼーションの強烈な洗礼を受け激しい財政危機を経験,経済・社会に大きなダメージを受ける。その直後の2000年代には自らを傷つけたグローバリゼーションの恩恵により経済が急回復するが,こうした経緯・背景が武力侵攻を選ぶ要因の一つとなった可能性がある。また中国は,グローバリゼーションを最大限活用して台頭を果たしたものの,米国の楽観的な思惑(「いずれ中国も米国主導の既存国際秩序に従い,貢献するようになる」)からは大きく外れていき,権威主義的な独自の思想・方針に基づく積極的な外交政策を展開。結果として,米中両国の対立・せめぎ合いを激化させることになった。その米国も,グローバリゼーション下で輸入品と競合する産業の労働者を他産業へとうまくシフトすることができずに,雇用・社会問題を生み出してしまい,それがトランピズムへと繋がった。

 誤解してはいけないのは,グローバリゼーションそれ自体は,生産性を向上させ経済成長を促すなど,多くのメリットを有する優れた仕組みであるということだ。これをうまく使いこなせば,世界各国同士,各国国内においても,プラスサムを実現することが可能だ。実際,総体として世界は随分と豊かになった。ただし,その取扱いには注意を要する。経済活動上での国境が消えていき世界経済のパイが拡大しても,政治面での国境や遺恨が消えることはなく,むしろ潜在的な対立を深め複雑化させる(エコノミック・ステイトクラフトのような)ことも考えられる。我々は,これまでのグローバリゼーションのミスハンドリングの顛末を,嫌というほど見せつけられているのである。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2496.html)

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