世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2341
世界経済評論IMPACT No.2341

EU法の優位はどこまで通用するか

瀬藤澄彦

(帝京大学 元教授)

2021.11.15

 EUのガバナンスが大揺れに揺れている。ポーランド,ハンガリー,チェコのEU法違反を巡るEU委員会との対立ばかりでなく,その違反制裁措置適用に関するEU委員会と欧州議会の厳しい軋轢も深刻である。「法の支配」(rule of law)と条約の優先ということが新聞報道等で言われているように単純ではなく,今後,中東欧EU加盟諸国と欧州連合ガバナンスの確執,違反制裁のグリーン・リカバリー基金予算執行への影響,EUの近隣外交政策と補完性の課題などがその波紋は想像以上に大きく深刻であることに注意する必要がある。

 まず「法の支配」(rule of law)という原則は法治主義と誤解されがちであるので気を付けて峻別する必要がある。これは人間の専断的な国家権力の支配を排して,法こそが権力を拘束するという英米法の流れを汲む基本的原理である。それは君主や帝王による「人の支配」に対して誰でも裁判所の適用する法以外のものには支配されてはならないという思想である。あの罪刑法定主義を思い出していただきたい。今般,ポーランドとハンガリーにおいて表面化した対立の直接のきっかけは2020年11月に決定されたEUのリカバリー基金と次期7カ年多年度予算の供与見返りに厳しいコンディショナリー(conditionality regime)を条件付けたことである。

 ポーランドの「法と正義党」(PiS)は同国最高裁判事の任命とその定年引下げ,公共放送人事,妊娠中絶禁止(LGBT)の厳格化,公共メディア人事への介入などを進めているが,ポーランド憲法裁判所は2021年10月「EU法の条項はポーランドの憲法と両立していない」という歴史的決定を行った。EU委員会はこのポーランドの判決は,①EU法の優越性と,②EU司法裁判所の権威を無視する深刻な影響を与えると声明した。確かにリスボン条約第2条では「人間の尊厳,自由,民主主義,及び法の支配,少数者や人権の尊重」を謳いあげていた。これまでEUは今回のような想定外の動きに対して決定的な手段を欠いていた。今後,EUは,①リスボン条約第7条を発動してポーランドの議決権を停止する,②法の支配に違反する国への補助金を削減する,③EU司法裁判所(ECJ)へ義務不履行で提訴する,という3つの手段を行使することに言及している。欧州裁判所はEU憲法違反につき1日100万ユーロの罰金支払いを国内法の改正するまで要求,同時にEU委員会はグリーン・リカバリー復興基金の補助金230億ユーロと融資340億ユーロの配分にも影響すると迫った。今までに経験のない事態である。ポーランドのモラウィエツキ首相はポーランドのEU離脱,即ちPolexitを否定,今のところEUに留まると表明はしている。

 これらの係争の決着は容易ではない。何故なら東欧諸国と西欧諸国との歴史的な法制度の違いがその背景に深く横たわっており,今でもそれが「法の支配」に基づく解釈や裁断の違いになって表れてくる。法の支配はもともと英国の名誉革命によって近代的な憲法の原理として確立された英米法体系の概念である。東大・中村民雄教授によると,欧州諸国の法はローマ法系,ゲルマン系,英米法系,北欧法系に分類される。さらに大陸法civil law系は違憲審査には消極的な法治主義であり,英米法common law系は司法による違法審査が法の支配に基づき一般的であるとされる。

 フランスはイタリア起源のローマ法からいち早く離脱,ドイツ圏はローマ法に最も忠実であると言われてきた。現在においても旧プロイセン帝国であった広義の今日のドイツ圏では1848年2月革命の挫折以降,憲法も議会もない時代遅れの立憲君主制体制がビスマルク宰相のもとで形成されてきた。このようなドイツ帝国において法の支配でなく法治国家体制がその近代化を遅らせた。従って現在でも中東欧のポーランドやハンガリーなどもこのような法体系の影響にある。今回の件でもハンガリーではオルバン首相がこのポーランド政府の立場を支持している。事実,ハンガリーでも法の支配や報道や結社の自由などの制限に加えて反ユダヤ主義的な刑事罰も含めて,リスボン条約第2条の項目に背くような極右的動きが強まっている。さらにチェコでも東欧のベルスコーニと呼ばれるバビス首相がEUの巨額の補助金をコングロマリットAngrofertを経由して横領したということがパンドラ文書で発覚した。ポーランド,ハンガリー,チェコ,スロヴァキアで構成する地域協力機構ヴィシェグラード(Visegrade)加盟国では,法の支配や報道の自由が制限を受け,また人権侵害,反ユダヤ主義,汚職の蔓延などが後を絶たず,中央アジアからの移民流入などともに問題が先鋭化しているのも偶然ではないのである。

 さてEU法体系は各国法が調和,均衡するといった動態的な見方からすれば,両者の法体系は時間をかけて波及,相互作用,相互形成の過程を経て収斂に向かっていく構図になる(中村民雄)。加盟国では国別の憲法を中心に法体系が確立するものの,EU法を全面的に国内法として受容する国は多くなかったのが真実である。それは国別の憲法秩序で許容される範囲でのみ許されるという制約における受け入れであった。EU法の各国法に対する優位という原則は,2004年の廃案になった欧州憲法条約(Treaty establishing Constiution for Europe)において付与された権限を行使して採択された法律は関係国の法に勝る,あるいは権限移譲の分野では「排他的権利」によってEUの法的統治の優位が確認されてはいる。このような連邦方式のEU統治体制が,果たして連邦「国家」なのか,あるいは独自の新たなタイプの統治体制であるのかは欧州憲法条約に代わるリスボン条約においても明らかではないのである。

 2004年の中東欧10カ国の加盟によってEUの人口と面積は飛躍的に拡大した。その中でもポーランドとハンガリーなどは欧州復興開発銀行(EBRD)を経由した市場経済移行期以降も多額のEUのFEDER(欧州地域経済開発構造基金)などをテコに経済成長を達成,EUの優等生と高く評価されてきた。2003年6月理事会で加盟のための「コペンハーゲン基準」とされた,①民主主義,②法の支配,③市場経済,④人権・少数民族尊重を謳ったなどは,拡大EUと隣接国との間に「文明の境界線,割れ目」(fault line)を発生させないためであった。これまでに形成されたEU法の総体系およそ85,000ページのアキ・コミュノテールをEU拡大加盟交渉でどこまで互いに徹底させることができたのか大きな疑問が湧いてくる。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2341.html)

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