世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2245
世界経済評論IMPACT No.2245

コクーニング現象は定着するか

瀬藤澄彦

(帝京大学 元教授)

2021.08.09

 日本経済の長期停滞は1990年代のバブル崩壊後の過剰負債解消というバランス・シートの正常化ができるかどうかがその鍵を握っているとリチャード・クーなどによって主張されてきた。2000年代以降,企業,家計ともバランス・シートは大きく改善,しかし日本経済の回復は見られない。今,注目されているのは長期停滞メカニズムにおける個人消費の長期的な期待という側面である。欧州の長期停滞はユーロ危機以降,R.サマーズの指摘するように投資―貯蓄バランスが崩れ均衡金利の過度の低下による流動性の罠に陥ったことによる。日欧とも需要不足が指摘される。そして事態をさらに困惑させているのはコロナ禍とデジタル時代の所謂,巣ごもり消費である。総需要こそそのカギを握っているとすれば,これまでの消費理論でどこまで説明が可能なのか,あるいはついに新たな消費行動として捉える必要があるのか。本稿は4点につき論考した。

 足元では世界の主要な資本市場ではK字型回復が語られ,また株式市場の合理性欠く熱気がいつまで続く。ミニバブルとされる特定業種が実体経済とはかけ離れて上昇傾向にある。株価上位業種として情報・通信業や電気機器など巣ごもり需要を反映する業種があれば,下位業種では空運のように移動制限の影響で売り上げが極端に減少している産業もある跛行現象を呈する。過去1年間,上昇率1位と最下位のポイント差の格差拡大を伴う回復過程はワニの口のようにK字型回復になろうとしているとする意見も多い。

 まず第1に巣ごもり現象は実は今回が初めてではない。1990年代にも米国でニューヨークのような大都市において自宅生活重視のライフスタイルがマーケット・トレンド研究家を中心に注目された。その時は治安が悪く失業者の彷徨する家の外を避けて自分の住処に繭のように住み着くことを「コクーニング」(cocooning)現象と名付けた。今回のコロナ禍ではとくに欧州ではデジタル技術や宅配ビジネスを通じて今やほぼ30%以上の人がオンラインによる通販買いを常態化させているという。欧州ではフランスでベストセラーとなったバンサン・コックベール(Vincent Cocquebert)著の「繭ごもり族の文明社会」(La Civilisation du cocon (Arkhê))では,引きこもりと生活の極端な孤独化,安全な空間探しというライフスタイルが他者を拒否する傾向にもつながると懸念されている。

 第2に巣ごもり消費はコロナ感染によって拍車のかかったデジタリゼーション(DX)の進行を通じてどのような消費の構造的な変化が予想されるのか。まず浮かび上がってくる設問は,このような巣ごもり消費がテレワーク比率と比例的な相関で変動するのかどうかである。精度が高く多くの国のデータを検証する必要がある。論調は日本も含めて各国とも揺れている。都市近郊の自宅ごもりでない農村への脱出組も多い国や都市圏の田園郊外では簡単にそれを巣ごもり現象とは結論づけられない。あるいはそれは産業構造の変化に関連づけた方がいいのかもしれない。従来からのフリーランサーを超えたプラットフォームを活用したギグワーカーのようなオンディマーンドな労働契約が大きな流れとなるようなハイパー産業社会がどこまで定着しているのか。

 第3にそれでは逆にワクチン接種比率の浸透,あるいはコロナ感染の収束が訪れてきたときにフェイス・トウ・フェイスこそR.フロリダが提起した「創造都市」がスピルオーバー効果を生む源泉ではなかったのかという考えは時代遅れになったのか。少なくとも都市集積論においては対面接触,時間制約,異業種交流,高度インフラ依存,空間や場所の信用性などを重要視するオフィスのCBD(中心業務地区)論において今後の多国籍企業が都心部の重要性を過小評価することは少ないような気がする。「グローバル都市」(global city)という表現を始めて定義したコロンビア大学教授サスキア・サッセンによれば,多国籍企業は90年代以降,金融部門やサービス部門の果たす役割が上昇している。

 第4に長期停滞バランス・シート破綻説は20世紀に入り金利が2002年3月ピークに低下,最近では1%台まで低下,また家計の負債や借入金の比率も減少した。バランス・シートは大きく改善したのである。ではバランス・シート破損仮説に代わりうる長期停滞を説明する背景として,大阪大学の小川一夫教授は,①市場の新陳代謝機能の欠如,②経済政策の失敗,③不確実性の高まり,の3点を提起している。そして将来に対する悲観的意識を持った家計は,現在の消費を抑制して不確実な将来に備えるために貯蓄を増大させると。

 フランス人にふたりにひとりが消費性向を恒常的に修正するとの調査結果がある。EU加盟国の個人消費支出減少が貯蓄増に結び付いている。将来に対する不安や悲観的意識を持つ家計の割合はどうも欧州と日本ではかえって高まった。フランス人は消費態度を変えたと答えている。7000以上のパン,アイスクリーム,ケーキなどが癌性物質だとして返品され,また自宅での食事が従前以上に頻繁なったという。

 長期停滞の主犯は内需の中心である個人消費であるとする仮説が説得力を持つ気配である。4つの理論的課題を検証しなければならない。①ケインズ型消費関数のように今期の可処分所得だけで消費は決定されずに,退職金,貯蓄,金利配当,年金なども説明変数に入れる必要があるのではないか,②人生100年時代とされる世帯の消費行動は生涯所得の大きさに左右されるとするモジリアニー理論も動員されるべきである,あるいは③一時的なショック等による変動所得を捨象した恒常所得をベースにしないと問題を見誤るとするフリードマン仮説,そして④過去の最高所得水準の時間に依存するラチェット効果と共有空間にある消費のデモンストレーション効果に左右される。これらの理論が果たしてどこまで繭ごもり消費を包摂して説明できるのか。

[参考文献]
  • La civilisation du cocon, Vincent Cocquebert, Arkhê, Paris 2020
  • 『日本経済の長期停滞—実証分析が明らかにするメカニズム』,小川一夫著,日本経済新聞出版 2021年
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2245.html)

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