世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
人権や環境に配慮した「公正な貿易」への希求
(福井県立大学 特任教授)
2021.05.31
コロナ後の世界経済は,グローバリゼーションが進む中で顕在化した「富の偏在」や「格差の拡大」の是正に向けた制度改革とともに,「自由な貿易」から「公正な貿易」へとパラダイムシフトが進む可能性がある。そう思う理由のひとつは,世界経済における所得再分配上の不平等があまりにも急速に拡大していることだ。1980年と2016年の世界の家計所得の伸びを比較した調査によると,この間に増加した世界のトップ1%の所得は下位50%の同2倍を超えている。
「富の偏在」は環境にも悪影響を及ぼしていることが『ネイチャー・コミュニケーションズ』に掲載された論文によって明らかになっている。これまで,環境にもっとも大きな影響を与える要因は「消費」と「技術」だと考えられてきたが,ここ数十年で,豊かな国の消費者による「消費」が急拡大した結果,技術革新を通じて削減できるレベルを遥かに超えてしまったのだ。驚くべきは,地球上の生活に関連した温室効果ガス排出量の10%を約40億人の「下位50%」が生み出しているのに対して,その100分の1に過ぎない「世界でもっとも裕福な0.54%」が生み出す同排出量は全体の14%に及ぶとの事実だ。
富への飽くなき欲求はイースタリンの「幸福のパラドックス」と矛盾するように思われるかもしれない。しかし,今,現実の世界で起こっているのはそれとは正反対の概念である「地位消費」である。即ち,人は基本的な欲求を満たすと,社会的希少性によって少数の人しか入手できない「地位財」を求めだすというのだ。2027年開業予定の「宇宙ホテル」が3泊500万ドル(約5億5000万円)の宿泊料で売り出せるのもそのためだ。もしも,今後,先進国の人々が一斉に地位財を求めだすと,地球環境の破壊はとめどなく加速していくことが懸念される。そのため,「もっとも裕福な人々に課税すること」や「弱いエコシステムと貧しい人々に投資すること」が必要との同論文の主張は,ロールズの「正義」の概念とも合致しており,検討に値する。
ところで,経済理論上は,自由貿易は競争力が弱い国においても,比較優位な分野に特化することで,最終的には社会的余剰(豊かさ)を増やすことができる,はずであった。しかし,現実には,グローバリゼーションの結果,急速な発展を遂げたのは一部の新興・途上国に過ぎない。なぜなら,貿易のメリットを途上国にもたらすには,市場アクセスだけでは不十分なためである。たとえば,EUでは,後発途上国に対して,武器以外のすべての製品の輸入関税を免除する優遇制度(EBA)を採用しているが,タンザニアからEUへの輸出は停滞したままだ。これは,後発途上国の輸出機会を活かすには,外資の導入などを通じた,生産能力の拡大や技術支援が不可欠なためである。この点においては,アフリカにおける中国の一帯一路政策は一定評価できる。しかし,「債務の罠」の問題のみならず,アフリカへの援助に際して政治的な制約を課さない「中国モデル」はアフリカ域内の汚職や人権侵害などを助長する恐れがあると危惧されている。
自由貿易が抱える問題のひとつは,このように,開発や貿易を通じて人権侵害や環境破壊が行われている可能性があるものの,WTO協定ではそれを制する術がないことである。「自由な貿易」から「公正な貿易」へのパラダイムシフトが必要と思われる所以である。
では,「公正な貿易」とは何か。WTOで認められているダンピング関税を例に取ると,これまでは,結果としての価格の正当性のみがチェックされてきた。たとえば,中国のWTO加盟時に,貿易相手国は最長15年間,中国を「非市場経済」として扱うことが認められた。それによって,輸入国は中国からの輸入品に対して反ダンピング税を課すことが容易になった。コストの割高な国の生産費用を中国における生産費用として代用することができるためだ。現在,中国のWTO加盟後すでに15年を超えていることで,多くの国は中国に市場経済としての地位を与えている。一方,米国とEU,そして日本は未だに認めていない。ただ,市場経済としての承認の遅れは,単に,覇権戦争の悪化を招くだけとの指摘がある。これから目指すべき「公正な貿易」においては,これまでのような,結果としての価格の正当性というよりも,むしろそこに至る経緯が重要となる。換言すれば,「ソーシャルダンピング」や「環境ダンピング」の概念を,国際的な貿易ルールの中に反映させることである。そうした試みは,すでにFTAにおいて先行している。たとえば,TPPでは「労働」章が導入され,ILO宣言に基づいた労働者の権利を取り入れた国内法を制定,施行することを各国に義務付けているが,ベトナムにとっては,こうした規定が入ったFTAの発効は初めてであった。労働規定を含む貿易協定は1995年には4件しか見られなかったが,2017年には77件に達している。
特に,人権問題への関心は高く,昨年末に大筋合意した中国とEUとの投資協定では,中国の人権問題がEU欧州議会の俎上に上がり,5月20日には,同協定の批准に向けた審議の停止が採択されるなど,早期発効は困難な状況となっている。
一方,2019年に「欧州グリーンディール戦略」を発表したEUは,温暖化対策が不十分な国からの輸入品に価格を上乗せする「国際炭素税」を2023年までに導入する方針を打ち出している。これも,一種の「環境ダンピング」概念の取り込みと言えよう。
こうした中,米中覇権戦争の板挟みの中で,身動きが取れなくなり,対応が後手に回っているのが日本である。懸案のRCEPについては,中国とミャンマーという人権弾圧で国際的な非難を浴びている国が参加しているものの,TPPの「労働」章のような規定は入っていない。日本が国際貿易のルールづくりにおいてリーダー的役割を果たすつもりであるならば,少なくとも国家としての明確なポジションを明らかにしていくことが大事であろう。「公正な貿易」の観点から言えば,経済連携を進めつつも,加盟国の中で人権弾圧があった場合,それを抑制または非難しうる法的な根拠を持っておくべきである。そのためにも,「人権デューデリジェンス」や「人権侵害制裁法」の立法化を急ぐべきである。
関連記事
池下譲治
-
[No.3609 2024.11.04 ]
-
[No.3523 2024.08.19 ]
-
[No.3393 2024.04.29 ]
最新のコラム
-
New! [No.3627 2024.11.18 ]
-
New! [No.3626 2024.11.18 ]
-
New! [No.3625 2024.11.18 ]
-
New! [No.3624 2024.11.18 ]
-
New! [No.3623 2024.11.18 ]