世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2168
世界経済評論IMPACT No.2168

天然ガスの道から水素の道へ

蓮見 雄

(立教大学経済学部 教授)

2021.05.24

EUのエネルギー安全保障を強化してきたTEN-Eの「共通の利益プロジェクト」

 2020年12月15日,欧州委員会は,トランスヨーロピアン・エネルギーネットワーク(TEN-E)のガイドラインに関する規則改正案(COM/ 2020/ 824 final)を公表した。TEN-E規則は,ウクライナ・ロシア間の天然ガスパイプライン紛争の影響を受け,EU諸国,特に中東欧,南東欧諸国が「相互接続の欠如と物理的孤立」によってガス不足に陥った教訓から,国境を越えるエネルギーインフラ関連プロジェクトを支援し,エネルギー供給の安定を目指して2013年に採択されたものである。

 こうした経緯から,天然ガスパイプラインの国境を越えた相互接続の強化もEU全体の利益に資する「共通の利益プロジェクト(PCI:Projects of Common Interests)」としてEUの財政支援の対象であった。PCIによる相互接続の強化は,EUの天然ガス市場統合を促し,ロシアなど供給国に対するEUの交渉力を高め,EUのエネルギー安全保障の強化に貢献してきた。

「共通の利益プロジェクト」の対象から外れる天然ガスパイプライン

 しかし,今回の提案では,天然ガスパイプラインはPCIの対象外となる。なぜなら,拙稿「ジオポリティックスからレジリエンスへ:次世代のエネルギー安全保障」(当インパクトサイト2020年8月3日付け第1835号)で論じたように,再生可能エネルギー主力電源化の時代が到来し,エネルギー安全保障のキーポイントが,賦存の不均質な化石燃料の確保をめぐる地政学(ジオポリティックス)から,異なるエネルギーキャリアを結びエネルギーシステムを統合することによってエネルギー市場の強靱性(レジリエンス)を確保することへと根本的に変化しつつあるからである。

 この変化をはっきりと示すのが,欧州グリーンディールの一環として打ち出された「エネルギーシステム統合戦略」(COM/ 2020/299 final),「水素戦略」(COM/2020/301 final),「洋上再生可能エネルギー戦略」(COM/2020/741 final)であり,これらを実現するためにエネルギーインフラ全体を根本的に見直す必要が生じたのである。

送電インフラ,水素インフラ投資の必要性

 2050年までに気候中立を達成するには,再生可能エネルギー電源を80%以上に,洋上風力発電設備容量を300GW,海洋エネルギー発電設備容量を40GWに増加させなければならないが,これは現在の25倍の規模である。洋上再生可能エネルギー利用を拡大するには,2050年までに8,000億ユーロのコストがかかると見積もられており,その3分の2は送電インフラの整備のためである。また,2030年までに国境を越えてつながる国際連系線の容量を発電設備容量の15%にすることが目標とされており,送配電網の整備には,毎年,505億ユーロが必要である。さらに,水素は,2050年に再生可能エネルギーと低炭素ガスの46~49%を占めるとされ,2030年までに,水素電解装置への投資は240億~420億ユーロ,水素の輸送,配送,貯蔵に必要な投資は650億ユーロと推定されている。

TEN-E規則の改正の狙い

 ところが,現行のTEN-E規則は,こうした新たな課題に適応できていない。第1に,現行のTEN-E規則は,2050年気候中立実現を目標とする欧州グリーンディールに適合しておらず,デマンドレスポンスによる需要側の電力調整を含むスマートグリッドなどの技術発展を反映していない。第2に,現在のエネルギーインフラ計画は,部門ごとに評価されており,電力・ガス・輸送・産業をつなぐセクターカップリングを想定していない。そのため,再生可能エネルギーから水素や合成ガスを製造し,これを発電量の調整や化学プラントで利用することによる脱炭素化プロジェクトを支援することができない。第3に,今後,急速な拡大が見込まれる洋上再生可能エネルギー利用のための海上送電網の整備,および再生可能エネルギーの大半が接続される低圧・中圧の送電網など配送系統の拡充が必要であり,これらを支援対象にする必要が生じている。第4に,電力系統における「共通の利益プロジェクト(PIC)」の27%において平均17カ月の遅れが出ている。

 これらの問題を解決すべく新たに示されたTEN-E規則改正案には,次の4つの狙いがある。(1)気候中立目標達成に必要なEUと近隣諸国との国境を越えたプロジェクト・投資の特定。(2)エネルギーシステム統合と海上送電網のインフラ計画の改善。(3)「共通の利益プロジェクト(PCI)」の許認可手続きの簡素化。(4)コストシェアリングと規制によるインセンティブの利用。

 上述の(1)(2)は,欧州グリーンディールとの整合性を考えれば当然であるが,より重要なのは(3)(4)である。後述するように,エネルギーインフラ・プロジェクトに積極的に民間資本を呼び込むことが必要だからである。

電力とガスの統合-EUのエネルギーインフラ・ガバナンスの変化

 EUでは,2009年に発効した第3次エネルギー規則・指令パッケージに基づき,欧州エネルギー規制機関協力機構(ACER:Agency of Cooperation of the Energy Regulators),欧州送電系統運用者ネットワーク(ENTSO-E:European Network of Transmission System Operators),欧州送ガス系統運用者ネットワーク(ENTSO-G:European Network of Gas Transmission Operators)が設立された。ACERは,各国の規制機関と協力しながら,電力・ガスの国際市場枠組のガイドラインを定め,市場監視を行う。ENTSOは,欧州委員会,ACERと協力しながら送電網,送ガス網へのアクセスに関するEU共通のネットワークコードを策定する役割を担い,また2年ごとに10年間の域内送電網・送ガス網の開発計画(TYNDP:Ten-years Network Development Plan)を策定しなければならない。「共通の利益プロジェクト(PCI)」は,TEN-E規則に基づいて,単一市場の完成,供給の安全性強化,EUの結束という視点から選定されるが,当然のことながらTYNDPと関連している。

 留意すべきは,電力とガスで別々に出されてきたTYNDPが,2018年以降,ENTSO-EとENTSO-Gの共同で作成されるようになったことである。これは,再生可能エネルギーで製造した水素を貯蔵し必要に応じて発電に利用するだけではなく,水素をガスと混合してパイプラインで運ぶなどセクターカップリングを進めるためには,送電網と送ガス網を連携させることが必要となってきたからである。

エネルギーインフラ・プロジェクトに民間投資を呼び込む

 今回のTEN-E規則改正案は,(1)報告・監視義務を合理化し,(2)TEN-E規則と同等以上の国内のルールでカバーされている場合には事前協議が省略できるようにし,(3)PCIのTYNDPへの組み込みを容易にすることを目指しており,「これらの直接的な利益は,プロジェクト推進者など特定のステイクホルダーの私的利益である」と指摘している。

 EUは,「社会経済的・社会的価値が高いにも関わらず,商業的実現性に乏しい共通の利益プロジェクト(PCI)の資金ギャップ」を埋める財政枠として「コネクティング・ヨーロッパ・ファシリティ」(2021~2027年EU中期予算では184億ユーロ)を備えているが,2050年気候中立実現という目標から見れば,それだけでは十分ではない。先に指摘したようにPCIプロジェクトに大幅な遅れが出ており,欧州大のエネルギーネットワークの整備という膨大な投資を要するプロジェクトには,さらに積極的に民間投資を呼び込むことが不可欠である。この点を考えれば,TEN-E規則の改正が極めて重要であることがわかるだろう。

産官学連携による水素インフラの整備と水素市場の育成

 欧州グリーンディールとの関連で特に重要なのは,EUが,欧州バッテリー同盟や欧州クリーン水素同盟の設立のイニシアチブを取り,産官学の連携で蓄電池と水素の開発を進めようとしていることである。ここでは,水素に関する最新の取組について紹介しよう。

 2020年4月時点で260以上の企業,27カ国の協会が参加する国際NPO法人「水素ヨーロッパ」と26カ国91の大学や研究機関が参加する国際NPO法人「水素ヨーロッパ研究」は,欧州委員会と協力して燃料電池・水素共同事業を行っているが,2021年4月に「水素法-欧州水素経済の創出に向かって」と題するレポートを公表した。これによれば,EUが水素戦略文書を示したにもかわらず,水素に関連する既存の政策や規制は,ガス,電力,燃料,排気ガス,産業などに分散しており,水素関連の法令を調和させ統合する包括的なフレームワークが必要となっている。同レポートは,水素インフラと水素市場の育成を重視しており,そのポイントは次の点にある。第1に,段階的に水素を天然ガスとブレンドし,天然ガスインフラの大部分を水素インフラに転換していくことである。第2に,初期段階では,水素関連事業に対する国家補助規制の緩和や特例,およびクリーンスチールやアンモニアの製造を促す割当制度などのインセンティブによって水素市場を育成することである。第3に,再生可能エネルギーから生産されるクリーン水素,製造工程において炭素を削減したブルー水素などに関する明確な定義(温室効果ガス排出量の算定基準や持続可能性に関する基準など)と透明性の高い認証制度を構築することによって,商品としての水素の信頼性を高め,流動性の高い水素市場を確立することである。これは,第三国との水素貿易の基礎となるばかりでなく,EUの資金援助プログラム選定の基礎となる。

 こうした状況を考えれば,天然ガスパイプラインの新規建設プロジェクトはPCIの対象外となるとしても,天然ガスを水素とブレンドして運ぶために天然ガスパイプラインを改修・転用していくプロジェクトはPCIの対象となる可能性が残されている。その実現には,解決しなければならない数多くの技術的課題があるとしても,EUでは,国境を越えて縦横に天然ガスパイプラインが張り巡らされており,しかも送電,送ガスについて共通のネットワークコードが形成されてきたことを考えれば,天然ガスパイプラインを水素パイプラインに転換し,かつ送電網と連携していくという構想は単なる夢物語だとは言い切れないだろう。こうした新たなインフラプロジェクトは,魅力ある投資対象となり,EU経済の復興の一助となるかもしれない。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2168.html)

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