世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
文系新卒者のジョブ型採用は現実的か
(明治学院大学国際学部 教授)
2020.11.23
「ジョブ型雇用」をめぐる議論がマスメディアを賑わしている。日本の従来の雇用が長期勤務を前提としてジェネラリストを養成する「メンバーシップ型」だったのに対し,企業が必要な時に必要な労働者を雇い入れ,職務と報酬を厳格に対応させることをジョブ型雇用と呼ぶのだそうである。政府や経団連によると,メンバーシップ型では労働者の主体性や専門性が育たず,グローバル化や社会の変化に対応できないので,欧米式のジョブ型雇用に移行する必要があるのだと言う。
筆者は大学教員なので,企業が自社の人材をどのように処遇するかに関しては意見を持たない。しかし政府や経団連は「これからは大学の新卒者にもジョブ型採用をどんどん取り入れるべきだ」と言っている。日本経済新聞などのメディアも社説や特集記事を通じてこうした意見を煽っている。しかし新卒者のジョブ型採用は本当に現実的だろうか。また,それは社会的に望ましいのだろうか。
ジョブ型採用の候補としてしばしば挙げられているのは,AIやデータ分析の専門家である。しかし文部科学省の「学校基本調査」によると,2019年3月に四年制大学を卒業して就職した44.7万人のうち,情報処理・通信技術の仕事に就いた人は3.2万人しかいない。しかもそのうち理・工学系学部の出身者は4割程度にすぎず,残りの大半は文系学部の出身なので,その多くはズブの素人だろう。逆に事務や営業,サービス職への入職者は250万人に上る。ソニーや日立製作所は文系も今後は営業や財務などの職種別に採用を行うと言っているが,新卒の営業スペシャリストなど存在するのだろうか。
実際,政府や経団連の見解と現実の企業の採用行動の間には大きなギャップが存在する。経団連自身が今年9月に実施したアンケートによると,回答企業423社のうち,今後5年間に新卒のジョブ型採用を(特定職務ではなく)広範な職務に適用してゆくと回答したのは23社だけだった。広範と言ってもその大半はエンジニア等の理系職だろうから,学部卒で民間企業に就職する若者の8割を占める文系学生にはほとんど関係のない話だろう。
政府や経団連の文書を見ると,グローバル化やSociety 5.0,DXといった言葉がくり返し立ち現れ,それらに対応できない人材は生きてゆけないかの書き振りになっている。しかしグローバル化が進むと英語ができない人の仕事がなくなるとか,AI時代には国民全員がデータサイエンスを学ぶ必要があるというのは,幼稚で短絡的な発想である。
20世紀には電気や自動車が普及して社会と経済のしくみが根底から変化したが,国民全員に電機工学や内燃機関の知識が必要になっただろうか。知識や技術の習得には時間もカネもかかる。したがってある知識や技術が重要であればあるほど,それを一から学ばずに利用できる仕組みに価値が生まれ,それを開発しようとする人や企業が現れる。そうした仕組みを開発して一山当てたい人や企業はそれに取り組めばよく,それ以外の人々や企業はそれを他の目的に活用すればよいだけの話だ。
実際,経団連の加盟企業のような特権的な大会社ですら,新卒者の選考時にもっとも重視しているのは「主体性」や「実行力」などのソフトな能力である。経団連が行ったアンケート調査を見ても,少なくとも文系大卒者に関する限り,AIやIOTのスキルはもちろんのこと,外国語の能力や一般常識にすら大した関心が払われていない。経団連の主張を真に受けてAIを学んだり大枚をはたいて留学したりした若者は報われるのだろうか。
それでも外国はジョブ型採用なのだから,日本も同じことをしないと競争に勝てないと考える人がいるかもしれないが,こうした意見も短絡的である。「欧米はジョブ型採用」と言う人は多いが,そもそも欧州とアメリカでは学校制度と職業教育の関係がまったく異なるし,欧州各国の教育も多様である。
アメリカの大学は学術研究・リベラルアーツ教育が中心で,職業教育が周辺的なものに留まっている点で日本と似ている。しかし日本のようなポテンシャル採用が少ないため,新卒者が安定した仕事に就くまでに時間とストレスがかかり,社会の不安定化を招いている。職業教育の伝統が強い欧州においても,文系大卒者は劣悪な条件のインターンシップや試用期間を経て入職せざるをえないことが多く,失業率が高止まりするなどの問題が発生している。
政治家や経団連の幹部に比べると,日本企業の現場で新人の採用や指導に当たる中堅社員の眼は冷静で的確である。上述したように,彼らが新卒者に何よりも求めているのはITスキルや語学力ではなく,「鍛えれば使い物になりそうだ」と思わせてくれる程度の主体性や責任感,チームワークの意識などのようである。逆に言うと,そうした最低限の要件すら満たさない大学生が少なくないということなのだろう。
大学がこうした状況の改善に取り組むべきことは勿論だが,何の役に立つか分からない短期留学をむやみに奨励したり,すべての大学生に強制的にデータサイエンスを学ばせたりすることがその解になるとは考えにくい。箱庭のような環境で行われるキャリア教育やインターンシップの効果も疑問である。若者が働き手としての自覚を得て自立するためには,まずは退路を断って本気で働いてみることが必要だ。
そうであるなら,政府や財界団体は大学にあれこれ注文をつけてその肥大化を許すより,学問に関心を持たない学生をさっさと卒業させて社会に送り出すよう迫るべきではないか。経団連の言うジョブ(job)は,正確な英語ではprofessionやcareerのことだろう。それらは学校で身に付けたスキルを機械的に適用するようなものではなく,各人が仕事の中で試行錯誤しながら自ら築き上げてゆくものである。現職のサラリーマンの中にそうした機運を持つ人材が不足しているとしたら,それはこれから入職する若者の問題ではなく,経営者が人材育成に失敗している証左ではないだろうか。
*本論の詳細な論考については,「ジョブ型雇用と大学教育」(世界経済評論インパクトプラス No.18)を参照ください。
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