世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1572
世界経済評論IMPACT No.1572

地域企業のひとつの歩み:想い・思い・念(おも)いからの起業

大東和武司

(関東学院大学経営学部 教授)

2019.12.16

 ひとりの女性起業家が山口にいる。2011年3月一般社団法人設立による古民家事業,2015年5月企業組合設立による農業事業,さらに2015年7月株式会社設立による酒事業またカフェ事業などと,起業の幅を広げている。「風景というのは文化そのもの」とは詩人・長田弘の言葉であるが,この起業家の根幹には,「生まれ育った風景が消えていく」ことへの想いがあり,すべてはそこから出発している。何とかしければという心のなかでの「想い」が,次第に考えを深め「思い」となり,さらには強い願望あるいは強い意志へと転じ「念い」にまでになった。生まれ育った風景を取り戻すための過程としての事業化である。

 女性起業家は松浦奈津子さん,生まれは,山口県では標高がもっとも高い地域の,下流に錦帯橋をもつ錦川とその支流の宇佐川の川沿いに集落が点在している錦町,全校生徒10名ほどの小学校で学び,美しい清流と山の緑にあふれた地域で子ども時代を過ごした。20数年前,中学まで住んでいた家は,しっくいの壁で,爽やかな風がわたる縁側のある古民家だった。

 「古民家」事業は,自らの想いを他の人の想いに重ね,そこに事業の可能性を見い出す眼識ないし洞察力をともなう。通所介護(デイサービス)施設への転用による古民家の再活用は,施設に通う人がもつある種の抵抗感をやわらげるだろう。農家民宿への転用は,原風景への想いをもっている人に安らぎをもたらすとともに,都市圏や都市圏近郊から古民家がある地域への移住ないし半定住を後押しするだろう。古民家鑑定士資格を取得して始めた「一般社団法人おんなたちの古民家」は,地域を活性化させるための一歩となった。それはまた,古民家の所有者と入居希望者等との結びつけだけでなく,古民家再生を担う大工・設計士などの建築専門家とのネットワーク構築にも一役買い,地域空間内・外の人びとをつなぐハブとなった。エコシステムの構築である。

 生まれ育った原風景は,人と環境との相互作用で成り立っている。そうであれば,「古民家」から農業事業へと拡がっていくのは自然の流れであった。2014年春,日中と夜の寒暖差が大きく山口県有数の米どころの山口市阿東徳佐で「田楽(でんがく)米(まい)」プロジェクトが始まった。事業採算性を勘案し,昔ながらの有機栽培・減農薬によるプレミアム米の生産を企図した。人手不足が深刻な田植え,草刈り,稲刈りは,山口県立大で開発された伝統作業着「もんぺ」のスタイリッシュ版「モンペッコ」着用など,参加者が楽しめるイベント化で補った。収穫された「献上田楽米」は,東京日本橋・高島屋において,桐箱2㎏約5,000円で即日500箱完売した。流通経路も確保し,2015年5月の農事法人,個人,加工業者などを取り込んだ「企業組合アグリアートジャパン」設立へとつながった。今日では,作付面積も20アール(2反)から10ヘクタール(10町)超へと約50倍にもなり,桐箱なしで,「山口県阿東 特選田楽米 こしひかり」として2㎏1,200円の高級ブランド米として販売されている。

 「古民家」事業,「田楽米」事業は,「夢(む)雀(じゃく)」事業につながった。2015年7月設立の株式会社Archis(アーキス:山口市)が行っている事業である。故郷でつくられていた米「イセヒカリ」,それは1989年の伊勢神宮の神田を襲った2度の台風でも倒れずに立っていた2株が山口農業試験場に送られ原種管理,その後,岩国市でも栽培され,株数を増やしていったお米である。2015年5月,錦町の広瀬八幡宮宮司の神事を経て,50アールの田植えが行なわれた。その天日干し無農薬栽培米を1割8分まで磨き,仕込みには錦川最上流の硬い水を使い,醸造は地元の堀江酒場が行った。最初の純米大吟醸「夢雀」は,2016年5月に完成した。錦帯橋の古材を使ったプレートにシリアルナンバーが刻まれた限定1000本,1本(750ml)税抜88,000円で,同年8月から販売を始めた。コンセプトはフレンチやイタリアンにも合う「ライスワイン」,「濃い味の酒」だ。ドバイではイスラム圏の酒税もあり1本約60万円,香港では約20万円で供された。2016ヴィンテージは2019年夏188,000円で販売された。

 酒米に神田米(しんでんまい)の「イセヒカリ」という歴史性,醸造方法は長期熟成型純米大吟醸酒によるヴィンテージ型,さらにMakuakeなどのクラウドファンディング活用,また海外市場での製品評価にもとづく高価格帯販売,さらに経済価値,希少性,模倣困難性などがブランド価値を高め,販路は地域空間外の国内だけでなく世界に拡がり,また年々プレミアムが付きワインのような資産としての所有の動きもみられる。

 この事例は,ひとりの想い・思い・念いからの起業の進行形である。株式会社Archisは,夢雀事業にとどまらず,インバウンドともかかわるカフェ事業,また国際的視点での新規事業の構想などと,まだまだ新事業は続いている。「生まれ育った風景」への想いが思いに,そして思いが念いに連なった起業は,とどまることを知らないように活性していくようだ。

[主な引用・参考文献]
  • 『日本経済新聞』2014年10月12日付,2016年7月20日付,同年8月23日付,2017年5月11日付,2018年2月14日付,2019年1月6日付ほか参照
  • インタビュー:松浦奈津子氏・原亜紀夫氏(2019年7月8日アーキス本社),そのほか,松浦奈津子氏とは2015年以降山口県立大学などで適時面談
  • 詳細は,拙稿「地域企業のひとつの進化プロセス(仮題)」広島市立大学国際ビジネス研究フォーラム(編著)『国際ビジネスの現実と地平(仮題)』2020年3月刊行所収を参照されたい。
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1572.html)

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