世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1565
世界経済評論IMPACT No.1565

価値共創としてのリビングラボ

髙井 透

(日本大学 教授)

2019.12.09

 先進国の中でも急速に少子高齢化が進む日本。確かに,高齢化が進むことでさまざまな課題が社会に持ち上がる。しかし,高齢化社会で持ち上がるさまざまな課題を,他の先進国に先駆けて解決していけば,新しいビジネスチャンスがもたらされることになる。そのビジネスチャンスの鍵を握るのがイノベーションである。今日のイノベーションは,外部組織を巻き込んだオープンイノベーションがトレンドになっているが,日本の場合,連携のパートナーが企業間や産学連携などにとどまることが多い。しかし,世界では産学官民が連携したイノベーションの仕組み,リビングラボが台頭してきている。今や,全世界で300を超えるリビングラボが,欧州を中心に登録されている。

 リビングラボというのは,製品開発や「まち」づくりなどの課題解決に,企業や行政,大学と住民自身が一体になって取り組む研究所のことである。視点の異なる者同士がアイデアを出し合い,利用者重視の製品開発や地域問題の解決を目指す仕組である。つまり,産官学民が一体となって社会の課題を解決するプラットフォームといっても過言ではない。もともとこのリビングラボというコンセプトは,1990年代の前半に米国で生まれたものであるが,現在は欧州を中心に普及が進んでいる。日本でもまだ数的には少ないが,確実にリビングラボの活動は普及しつつある。ここでは,地域活性化をベースとして製品開発に取り組んだ鎌倉リビングラボのケースをみてみよう。

 鎌倉リビングラボが拠点を構える今泉台地区は,進みつつある高齢化に歯止めをかけて「若い人が住みたい『まち』にする」というのが課題であった。この課題解決に向けて,鎌倉リビングラボでは鎌倉市の強みや弱み,さらに隠れた「まち」の資源などを洗い出すと同時に,全国から情報を集めて解決策をいくつか提示した。この情報の収集では,大学が持つネットワークが活かされることになる。

 議論を通じてわかってきたのは,町内すべてが一戸建て住宅であり,高度成長期に建設された家であることから,多くの家に応接間があるということであった。しかし,高齢者世帯では,応接間はほとんどが利用されてはいなかった。そこで,この使用されていない応接間を利用して,自宅でもできるテレワークを始めてはどうかという提案がなされた。また,自宅でのテレワーク以外にも,自宅の近所で働けるシェアオフィスやサテライトオフィス等の設置も提案された。

 このテレワークの「まち」の実現に向けて,ワークショップが開催された。このワークショップには,住宅メーカー,ICT企業,オフィス家具メーカーなどの企業も加わり議論が交わされた。このワークショップを通じて,多様なアイデアが提案されたが,その中でも,参加者からのコンセンサスを得たのが大手オフィスメーカー,(株)イトーキから出された「在宅やモバイルという新しいワークスタイルも考えて製品開発をする必要がある」という提案であった。

 具体的なテレワーク家具の製品の開発に向けて,「自宅での仕事と家具に関心のある方」ということで今泉台地域の住民にワークショップの募集をかけることになる。募集に応じた男女を,子育て世代,リタイア前の世代,リタイアグループの三つに分けて議論をしてもらうと,多様な意見が出された。イトーキはその中から開発に向けての共通コンセプトを抽出することになる。第一のコンセプトは,「どこでも働ける」ということである。つまり,介護ベッドの近くや,台所などでも,時間とスペースがあれば仕事をしたいというニーズがあることを突き止める。第二のコンセプトは,「こもる」ということである。日本人の持つ一つの特性でもあるが,畳三畳などの小さな空間や,廊下のコーナーなどに座りたがる人が多い。わざわざ家の中に大きな空間を創りたくはないが,自分のスペースを狭くても良いから確保することで,集中力を持って仕事に取り組むことが可能になるからである。第三のコンセプトが,「仕事のオン・アンド・オフ」を明確にすることである。つまり,仕事をしている時と,そうでない時のけじめをつけるということである。

 イトーキは,これら3つのコンセプトをベースに,段ボールでプロトタイプの机を作ってきた。今度はこのプロトタイプを囲んで,住民が自宅に置いた場合を想定して,さまざまなアイデアを投げ合う。さらに,このアイデアをベースに,イトーキは試作品を作ることになる。しかし,ここで終わらないのがリビングラボの特徴である。改良した試作品を,今度は住民が自宅に持ち帰って実際に生活の場で使用することで,さらなる改善案を出すことになる。

 リビングラボの特徴は,実際の生活の場で製品をテストすることが,これまでの企業の製品開発とは決定的に異なる。そのため,住民のニーズを細かく吸い上げられると同時に,住民も高いモチベーションを持って製品開発に参加することが可能である。このようなプロセスを経て,在宅勤務に適した折りたたみ式ワークデスク「ONOFF−オノフ」(以下,「ONOFF」)をイトーキは開発し,販売することになる。

 この机はワークショップでの意見を十分に取り入れられており,生活空間に馴染む製品となっている。例えば,机を閉じたり開いたりすることで,仕事と普段の生活の切り替えをしやすくしている。事実,机を畳むと厚さ約24センチメートルに収まり,生活空間の邪魔にならなく,机を開くと収納時には蓋となる扉の部分が壁の役割をし,仕事に集中しやすい個室のような空間を作りだすことができる。製品の材質も,樹脂ではなく,木質感を前面に押し出している。「ONOFF」の開発で,樹脂部材や金属部品を極力使用しないようにしたのも,ワークショップでの議論の成果であった。どんなに機能的に優れた家具でも,家族に受け入れられない限り家に置いてもらうことができないという意見を考慮したものであった。

 「ONOFF」のような製品は,企業サイドだけで開発できるものではない。住民,行政,NPO,企業,大学などが連携したからこそ,市場に送り出せた製品である。この成果を足がかりに,現在,鎌倉リビングラボの活動は多様な分野に広がりを見せている。アメリカで産声を上げて,欧州に拡大していったリビングラボという新しい製品開発の形態は,今や超高齢社会に向けて突き進んでいる日本社会にとっても,新しいイノベーションの形態として注目されているのである。

[注]
  •   鎌倉リビングラボは,鎌倉市,三井住友フィナンシャルグループを代表とする企業グループ,一般社団法人高齢社会共創センター(東京大学高齢社会総合研究機構に加え,東京大学教授陣が中心となって設立した一般社団法人),NPO法人タウンサポート鎌倉今泉台などが連携することで,住民,企業,行政などのニーズを吸い上げながら課題を解決することを目指している。
[謝辞]
  •   鎌倉リビングラボについては,秋山弘子先生(東京大学名誉教授),鎌倉市共創計画部政策創造課,(株)イトーキ・パーソナル環境事業統括部,NPO法人タウンサポート鎌倉今泉台から貴重な情報を提供して頂いた。ここに記して感謝の意を表したい。
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1565.html)

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