世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1553
世界経済評論IMPACT No.1553

ドイツ経済一人勝ちの6つの理由:その裏返しから停滞の危機に

瀬藤澄彦

(帝京大学 元教授・東京理科大 元非常勤講師)

2019.11.25

 シュレーダー首相時代(1998~2005)とその後を受け継いだメルケル首相の登場以来,「ドイツ一人勝ち論」がついに崩壊し始めた。この凋落傾向はしばらく続く可能性がある。その理由はまさにこの強いとされたドイツ経済の裏返しがすべてこれからマイナス材料に転化していくことが予想されるからである。その理由を考えてみるとこれほど競争優位を築くのに有利な環境条件が集中していたドイツのような事例はめったになかったように見える。そして今,その一人勝ちを可能にした諸条件が逆回転し始めた。その裏返しから今度は停滞の危機に陥るリスクが浮上してきた。バブル崩壊後の日本のように。ここのところ立て続けに発表されたOECD,IMF,欧州委員会などの経済見通しでもドイツの成長率は2020年以降,1.1%前後とEU平均を下回ることが明らかになった。

外需主導型経済の脆さ露呈

 第1は何と言っても行き過ぎた外需主導型の成長であった。今やGDPの輸出依存度はなんと40~50%である。EU単一市場の深化に逆行するかのようにドイツのEU域内貿易依存度は低下するばかりであった。経常収支の黒字は対GDPで10%前後にも達し,IMFやEU委員会からも過剰であるともうかなり前から批判されていた。これではかつての日本,最近の中国やトルコのようになりふり構わない近隣窮乏化政策であるという注意を受けていた。巨大な黒字は,まず高級乗用車の中国向け輸出によるものである。中国はドイツにとってその経済の命綱となり,メルケル首相は13回も多くの企業家を引き連れて中国を訪問した。中国との蜜月関係は政治的にチベットの人権問題や尖閣諸島問題などでも中国寄りの姿勢にも繋がっていった。

超インフレ恐怖症体質の国民的コンセンサス

 第2に内需のデフレ志向経済である。それは単なる反インフレ感情を超えてドイツ政治指導者が第2次世界大戦の時から意図的に労働組合の合意を背景に掲げてきた国策である。1923年その日の朝誰もが想像もしなかった激しいインフレの結果,身に余るような札束を抱えてパンを買いに行った悪夢。1919年調印のベルサーユ条約によってフランス等の戦勝国からドイツに天文学的な巨額賠償金支払いが課せられた。ドイツ・マルクは1922年より急速に失墜,信任は瞬く間に崩壊。マルクは1922年対米ドル420マルクの為替レートが1923年4200マルクまで暴落,ハイパー・インフレーションがドイツ国民を窮乏に陥れた。ヒトラーによる新しい通貨レンテンマルク(Rentenmark)導入で事態収束したが,深い傷跡をドイツ人に残した。以来,ドイツの物価上昇に対する異常な警戒心や根強い反インフレ感情は中央銀行のブンデスバンク銀行だけの政策効果だけでなく,ドイツ社会に労使を問わず支配的なコンセンサスとなった。物価と賃金の連動性を断ち切ってしまった。ここではフィリップ曲線は通用しなくなってしまった。

ユーロ導入で実質切り下げの漁夫の利

 第3は1999年ユーロの導入が経済政策の前提大きく変えてしまった。ユーロ加盟国為替レート調整という経済政策の自由裁量を喪失してマンデル・フレミングの開放経済モデルから閉鎖経済モデルへの逆戻りしたのである。シュレーダー社会民主党政権の登場以降,競争的ディスインフレ(デフレ)政策が一層強化され,国際競争力をつけたドイツは経験もしたことのない巨額の国際収支黒字をするようになった。赤字拡大の欧州近隣諸国は通貨切り下げもできず対外不均衡是正することは不可能になってしまった。競争的ディスインフレ政策は共通通貨,欧州統合そのものを崩壊に導く「劇薬」とまで言われても仕方がないのである。

中国・新興国・中東欧への輸出ブームに酔いしれた

 第4はドイツの対新興国貿易黒字は約1200億ユーロ以上にも達するようになった。他のユーロ圏諸国全体とはその黒字額以上の赤字を記録するようになった。さらにドイツの機械類等の資本財と高級乗用車に対する新興国よりの輸入需要も同時に膨れ上がった。圧倒的なドイツの中間財産業が中国,インド,ブラジル,トルコなどの新興国の1990年代以降の急速な工業化に伴う産業機械需要を中心とする輸出ブームに潤った。産業機械と並んでドイツ経済が新興諸国のブームの恩恵を受けたのは,メルセデス・ベンツ,ポルシェ,アウディ,BMWなどのドイツの高級乗用車部門であった。今,ブームの終わった新興国への輸出は大きく減少してしまった。

バブル不在で不動産コスト上昇なし

 第5は独仏両国の住宅政策の対照的な違い。フランスでは個人住宅の購入や不動産投資などの優遇税制措置という政府の公的な支援策が存在する。ドイツの住宅保有率は2010年で53%,フランス62%,スペイン83%と違い,賃貸住宅が重要な柱になっている。2010年からのユーロ危機でドイツの金利が大幅に引き下げられた。不動産価格を巡る独仏間の信じられないような乖離こそドイツ産業のコストの低水準,及び賃金コストの抑制に直結。物価上昇率を引いた実質金利はドイツの方が他の欧州諸国,とくにスペインやアイルランドのインフレ率格差により高めに推移したことによってドイツでは不動産バブルは発生しなかった。コスト競争力に貢献した。

人口ボーナス終了・2045年独仏の人口は逆転する

 第6はドイツの人口減少は賃金の抑制に決定的なインパクトを与えた。21世紀の最初の10年間の人口構造の老齢化現象はまだ始まったばかりで今後さらに加速していく。欧州委員会の予測 50年後の2060年にドイツ人口は現在の8300万から6700万に急減。フランスの人口はその間6500万から7400万となるが,2045年に独仏の人口は逆転する。ドイツでは15才以下と65才以上の非労働力人口は2030年よりフランスを上回る。人口ボーナスのおかげで2000年代まで有利に動いていた状況は製造業雇用者であったベビーブーマー世代の定年退職によって生まれる雇用者の空白を埋めるには十分な労働人口ではない。

 シュレーダーの労働改革もメルケルの政治もほとんど21世紀の奇跡とも言われたドイツ一人勝ちに実は貢献していないのである。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1553.html)

関連記事

瀬藤澄彦

最新のコラム