世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1498

中国の「グリーン成長」事業:OECD担当者の葛藤と憔悴

安部憲明

(外務省経済局政策課 企画官)

2019.10.07

 パリ16区にあるカフェの夕暮れ。経済協力開発機構(OECD)で中国との協力を担当するヨーロッパ出身の彼女は,このところの八方塞がりに憔悴しきっていた。共産党統治の下に「中国の特色ある社会主義」を堅持し,国際的には途上国の代表を標榜してきた中国と,西側諸国を母体とし,民主主義や市場経済など同質の価値に基づき,政策の一般化を志向するOECD。水と油ほども異なる両者の協力は,彼女の溜息を聞けば聞くほど,なるほど,思うに任せぬことが多い。

 「グリーン成長」は,OECDと中国の協力の看板事業だ。2015年,中国首脳初となる李克強首相のOECD訪問を待ちきれずに開始した相思相愛のプロジェクトである。「持続可能性」は,習政権が進める改革開放のキーワード。中国と付き合ったことがある人ならば誰しも,国民の生活面での失望や不満は,共産党の統治能力それ自体への疑念に容易に転化しかねないということを感じている。

 この共同事業の正式名称は,「産業高度化の文脈における中国のグリーン成長の育成」という。この名の示すとおり,中国側は,このテーマを持続可能な成長と環境保全の両立を産業高度化の文脈でとらえている。鍼灸に例えれば,中国が描く「グリーン成長」は,①鉄鋼など過剰供給能力解消,ゾンビ企業の退出,②環境保全,③技術革新・クリーン技術の導入,④余剰労働力の吸収,⑤国際競争力の強化,といった構造改革の総目録の経絡が集まる「ツボ」にほかならない。中国としては,これまで各省庁がバラバラ取り組んできたこれらの事項を「世界最大のシンクタンク」と称されるOECDに分野横断的に分析させ,平仄のとれた処方箋を書かせたい。一方,OECD側にとり,この事業は,中国にOECDの有用性を訴え,一層の国際協調に呼び込むために,整体師としての技量を示す恰好のテスト・ケースというわけだ。

 しかし,鳴り物入りで始めたこの事業は,双方の熱意とは裏腹に,最初の2年間に続く次の局面が見通せていない。中国語にも堪能な彼女の脳裏には,「四面楚歌」という故事成語が浮かんでいたことだろう。

 彼女を追い詰めていた第一の敵は,上司の期待だ。中国への積極的関与を至上命題とするアンヘル・グリア事務総長の次の訪中の目玉商品を一刻も早く完成しなければ―。さっきからのテーブルの振動は,上司の貧乏揺すりが彼女に伝染したものに違いない。

 第二の敵は,こうした対中積極路線に対する加盟国の慎重論である。多くの加盟国は,加盟国の拠出金で賄われるOECDの支援には,苦い薬を飲み,痛みを伴う改革を進めるのだという中国側の確固不動の約束と目に見える行動が伴うべきだ,と主張する。「グリーン成長」は,北京ではなく加盟国側のニーズ,すなわち,①補助金廃止,②国有企業改革,③これらを通じた内外の競争環境の均等化(レベル・プレーイング・フィールド),④世界市場の需給調整,⑤気候変動パリ協定などの国際約束の国内履行などを促すための協力でなければならない,として,中国側の要請を丸呑みした計画案には,けんもほろろなのだ。上司の「行け行け」号令と加盟国の「待て待て」の制止との板挟みにある彼女の足場は,日に日に危うさを増している。

 これらに加えて,彼女の前に立ちはだかるのは,中国側の協力体制の壁である。すなわち,①統計情報の信頼性やデータへのアクセスの困難さ,②中国側関係者の非協力(地方政府や国有企業が,その実態を評価され,関連部門における法令順守の状況の審査に晒されることへの抵抗),③省庁間の温度差や連携の欠如(OECDとの窓口を務める中国商務部が,他の強豪官庁を牛耳ることは,どう考えても無理がある),④沿岸部と内陸辺境部の間の著しい経済格差や独特の政治体制などの中国の事情を捨象し一般化を志向するOECD的手法への反発,などの問題だ。専門的な統計データに基づく実証分析を真骨頂とするOECDが,これではとても仕事にならない。

 エスプレッソを飲み終え時計を見た彼女が,勢いよく席を立つ。最近の憂鬱にだめを押していたもうひとつの強敵が,家庭との両立であることを思い出した。一人息子を迎えるために,近くの保育園に走る長い影を追いながら願う。この窮地において,「乾坤一擲」の四字熟語が彼女の辞書にあらんことを。

[参考文献]

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