世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1488
世界経済評論IMPACT No.1488

なぜEUはEVシフトを推進するのか

蓮見 雄

(立教大学経済学部 教授)

2019.09.23

 2018年5月17日,EUは,ヨーロッパの交通システム近代化のための政策パッケージ「Europe on the Move 3」を公表した。これが目指すのは,安全でクリーン,かつ連係し自動化された(Safe, Clean, Connected & Automated)交通システムへのスムーズな移行を促すことである。これを見ると,自動車産業の大変革を象徴するCASE(Connected, Autonomous, Sharing, Electric)を思い浮かべる方も多いだろう。

 事実,EUはEV(電気駆動車)に力を入れており,環境規制がそれを後押ししている。2019年4月17日,EUは,2020年以降の新車の乗用車及び小型商用車(バン)のCO2排出規制を定めた規則を採択した。これによれば,乗用車で2030年までに2021年比で37.5%削減,小型商用車で同31%削減との目標が設定された。ざっくり言えば,CO2排出量を今までよりも半減させなければならない。

 自動車メーカーの立場から見れば,EVシフト待ったなしの状況に追い込まれ,業界からは支援を求める声が漏れ聞こえてくる。WSJ誌(2019年9月12日)によれば,2019年のフランクフルト・モーターショーはEV一色に染まった。とはいえ,バッテリー開発や充電設備の拡充には膨大な投資が必要であり,また自動車需要も低迷していることから,販路拡大には多くの課題が残されている。Bloomberg(2019年9月12日)によれば,ドイツ人がEVを買わない理由は,走行距離が短い(28%),高価格(27%),充電設備の不足(13%),充電時間がかかる(11%)である。

 なぜEUは,自動車業界に負担を強い,消費者からも支持されているとは言いがたいEVシフトを推進しようとしているのだろうか。

 通説によれば,環境対策あるいは気候変動対策が主な理由である。そうすると,いわゆる「環境派」からは賞賛され,いわゆる「ビジネス派」からは現場の苦労をわかっていない,と批判されることになりがちである。

 2015年9月のVWを始めとする欧州自動車メーカーのディーゼル車排ガス不正事件が大きなきっかけとなったことは,間違いないだろう。また2015年12月の第21回気候変動枠組条約締約国会議(COP21)においてパリ協定が成立したことも,運輸部門における対策の必要性を痛感させる出来事であった。なぜなら,EUは1990年以来,デカップリング(温室効果ガス排出量を減らしながら経済成長すること)に成功してきたにも関わらず,運輸部門では温室効果ガス排出量がほとんど減少していないからである。再生可能エネルギーの利用状況についてみると,2017年に発電では21.7%に達しているにも関わらず,運輸部門ではわずかに3.4%である。こうしたことから,2016年7月に低排出モビリティ戦略が採択された。この限りにおいて,気候変動対策がEV推進の理由であることは確かである。

 しかし,それだけでは,十分な説明とは言えない。EVに関するEUの政策を時系列で眺めてみると,EVがEUの新たな産業政策の一環として組み込まれていることがわかる。欧州委員会は,2017年5月に「Europe on the Move 1」を公表しているが,既にその段階で,クリーン・モビリティの推進が,投資計画,エネルギー同盟,デジタル単一市場と組み合わされて実現するとの展望が示されている。同年11月に公表された「Europe on the Move2」では,「クリーンな自動車におけるEUのグローバル・リーダーシップ」を強化することが強調されている。これは,同年9月に公表されたEUの新たな産業政策を踏まえたものである。EUの新たな産業政策の特徴は,「グローバリゼーション,持続可能性の挑戦,急速な技術的変化の時代において,ヨーロッパ産業のリーダーシップを維持・強化する」という文言に集約される。こうした経緯を踏まえて「Europe on the Move 3」が公表されたことを考えれば,今や,EVは新しい時代におけるEU産業政策の一環であることがわかる。

 EUは,ガソリンの元となる石油の94%を輸入に頼り,しかも運輸部門は温室効果ガスの4分の1をも排出している。だから,内燃エンジンによる車を電気駆動のEVに切り替えることの意義は大きく,その先に低炭素社会実現の可能性が示されている。

 とはいえ,それはたやすいことではない。なぜなら,EUとしてEVシフトを進めることは,それを支える急速充電可能で航続距離の長い個体電池やスマートグリッドなど新たな技術を開発し,国境を越えて充電設備など交通インフラを整備し,鉄道・船舶・トラックなどを組み合わせたより効率的なロジスティック(モーダルシフト)を実現していかねばならないからである。これには,膨大な投資が必要である。EUは,ホライゾン2020(科学技術予算)の35%,民間投資を呼び込むことを目的としたヨーロッパ戦略投資基金の40%を気候変動対策関連投資に振り向けようとしているが,そもそもEU財政はGDPの1%に満たない。

 また,EUにおいて運輸部門は,総雇用者数の5%(1200万人),GDPの4%を占め,年間500億ユーロもの民間研究開発費が費やされている一大産業である。また,輸送費は家計の13%を占め,その価格変化の影響は大きい。さらに,市場統合とともに進んだドイツから中東欧や南欧諸国に広がる生産ネットワークの分業構造も根本的な見直しが必要になる。このようにEVシフトは,多数のステイクホルダーの利害に関わり,その変革のコストを誰が担うのかという問題がある。

 さらに,EUが再エネやEVにかかわる原材料・部品の多くを中国に依存していることを考えれば,「クリーンな自動車におけるEUのグローバル・リーダーシップ」を強化するはずのEVシフトは,実は中国依存を深めるリスクをはらんでいる。

 とはいえ,EUのEVシフトの試みを過小評価すべきではないだろう。私見によれば,EUにおけるガバナンスの特徴の一つは,EU統合が作り出してきたルールとそれを具体化する道具(instrument)を応用して,不確実性の高い領域や未解決の課題に取り組むためのフレームワークを設定し,多様なアクターが競争と妥協を繰り返しながら自ずと新しい制度を創出していくプレイング・フィールドを設定する能力である。欧州自動車メーカーはもとより,中東欧諸国に生産拠点を置いている多くの日系企業も,既に「Europe on the Move」のプレイング・フィールドに組み込まれていることを忘れるべきではないだろう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1488.html)

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