世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
不十分だった新規加盟国への事前検証:ベノア教授によるEU統合の失敗要因
(パリクラブ日仏経済フォーラム 議長)
2019.09.09
ベノア教授が指摘するEU統合の失敗要因に挙げた先の二つ(本サイト8月26日付,No.1459)に続いて,第3番目に挙げた要因,即ち「政治構造や統合ガバナンスを十分に成熟されることもなく新規加盟国を拡大してしまった」点を考察してみたい。
軽率だった東方拡大が誤算
近隣政策と補完性の原則は本来EU経済統合の外延的拡大と深化を達成する上での統合の車の両輪の政策哲学であった。加盟についてはEEC条約第237条と欧州条約第49条において「“すべての欧州国家”」とだけ言及されているだけで欧州の境界線は不明確であった。1987年モロッコはこの条文をたてに拒否されたが加盟申請をした例もある。その後,コペンハーゲン基準が1993年に,①欧州連合との価値共有と,②共同体規則の“アキ”(Aquis communautaire)として採択された8万の法規範体系の受容,この2つ条件が加味されることになった。そこでは法治国家,競争原理,経済通貨同盟等の基準を順守することなどが加盟希望国に要請された。
第3の過ちは十分に熟慮せずに欧州統合を地理的に拡大させてしまったことである。本来は域内加盟国の意見を踏まえてその最終的な目標についての合意を形成するための議論をしながら現状の統合を深化させていくことが優先課題であったはずである。ローマ条約締結時の欧州経済共同体結成以降,8回に及ぶEUの拡大は常に北欧諸国のように地政学的にマージナルナな周辺地域に追いやられてしまうという不安から加盟希望があったほかは基本的に市場拡大という経済的な理由に基づくものであった。自由保守派は常に統合の深化に背を向けた統合の外延的拡大のみを追求するばかりであった。統合にまつわる課題は山積しているのにどれひとつとして欧州の市民レベルにまで降りて意見を聴くことはしなかった。
新規加盟時に強い政治的意思を確認しておく必要があった。中東欧諸国のEU加盟は1993年のコペンハーゲン基準に基づいて2002年から2004年にかけてルーマニア,ブルガリア,クロアチアまでも含めて拡大が決定されたが,その実態というのはこれら新規加盟国とってはNATO(北大西洋条約機構)枠内の軍事的な安全保障を勝ち取ることが主眼であった。米国のイラク戦争への介入をこれら中東欧諸国いち早く支持したことがこのことを示している。このことはポーランドがEU加盟後,たった2週間後にフランスのミラージュ機やスウェーデンのJas-39等の軍用機の代わりに米国製のF16戦闘機の購入を優先したことが物語っている。新規加盟の中東欧諸国の生活水準,社会保障,税制,労働などの経済格差の現実は,ドイツを中心とする企業による大量の中東欧への工場移転によって産業構造の空洞化を招来することとなった。このことが統一通貨ユーロの導入が欧州各国の経済的な収斂ではなく一層の不均衡を加速することに繋がり,これが,結局はユーロ危機発生の重大な原因の一つになっていったのである。EUの制度改革も,財政支援も,EU加盟国等への相談もほとんどないまま,市場経済移行間もないこれら旧ソ連圏の社会主義諸国の国々が実は大西洋主義に染まってしまって西欧の欧州主義的な考えにはかなりほど遠いということを認識することなくEU加盟を認めてしまったのである。こうして28カ国にも達する拡大EUはどうも統治不可能であり,トルコのEU加盟問題とともに文化も宗教も言語も大きく異なる中東欧諸国とは相容れないという感情が急速に広まったのである。
EUは拡大すればするほど,その深化は難しくなる。2002年当時の日刊紙ルモンド紙は次のように当時,批評している。「この2つ,拡大と深化はなかなか両立させるのは難しいところがある。一国のパワーはその大きさではない。単に大きければ大きいほど強くなるということではないのである。その逆である。欧州連合は統合の質を深めることなく拡大すれば,そのパワーの低下は深刻さを増すのである。このことは拡大のある時点から欧州統合の質そのものが変質してしまい,それまでのようには機能しなくなってしまう」と。それでは統合のための欧州連合の共通政策は一体,何カ国で停止すべきであろうか。
トルコのように7200万人の国のEU加盟を米国は支持しているが,その人口比率からEU内の最大の投票権を有する国になって,統合を深化させることなく地理的な拡大のみが先行してしまい,欧州連合は永遠に政治的な統合体になることは幻の夢と化してしまうだろう。フランス中道派の理論家ジャン・ルイ・ブルランジュ(Jean-Louis Bourlanges)はこの辺のことを次のように解説する。トルコのEU加盟はここ半世紀の相対峙してきた欧州統合の2つの考え方にひとつの裁断を下すことになる。それはイデオロギー的な理念と地政学的な論理との間の確執である。欧州の普遍的な価値観やローマ法以来の法体系が,欧州の特別な歴史や地理的な条件を凌駕するものであるのか。ベノア教授はこれについて次のように懸念する。国際連合的発想の統合欧州の考えが中世のカロリング王朝を源流とする欧州統一という考えに勝利することを意味するのかもしれない。ここでは世界的に普遍的な理念を掲げて,国連事務次長として紛争処理の第一人者であったジャン・モネが,遂にかつてのフランク王国分裂後のロタール王国の精神を体現し,欧州の共通の歴史の紐を繋ぎ合わせ,その歴史的に形成されてきた社会モデルの独自性,その歴史になかで戦争という狂気によって引き裂かれた人々の連帯を蘇生させようとしたロベール・シューマンの考えをも凌駕してしまうことになると。
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