世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1399

何事も当たり前と考えず,自分を阻む壁を打ち破れ:メルケル首相がハーバード大学の卒業生に手向けた言葉

新井聖子

(慶應義塾大学SFC研究所 上級所員)

2019.07.01

 この春卒業して社会に出た人達は,新しい職場で色々な壁にぶち当たっている時期ではないだろうか。そのような若者にとって,勇気と示唆を与えられるスピーチがあったので紹介したい。去る5月30日,ハーバード大学の卒業式で,ドイツのメルケル首相がメインの来賓として行ったスピーチが,それである。

 ハーバード大学は毎年の卒業式で,各界で長年功績があった人を来賓として招き,スピーチを行ってもらうのが習わしだ。今年は,メルケル首相が招かれたが,彼女は,2005年に,51歳の若さ(歴代最年少)でドイツ初の女性かつ東ドイツ出身の首相となり,以来14年間の長きにわたり首相を務め,欧州の実質的リーダーと目されている政治家である。

 メルケル首相のスピーチは,若かりし頃を振り返りながら,自らの経験から学んだ信念や考え方を,これから世界に羽ばたく卒業生に伝えるものだった。聞いていた人々は,その話の最中に何度も総立ちになって拍手したそうである。

 メルケル首相は,何事も当前と受け止めてはならないと卒業生に警告し,「私たち個々人の『自由』は所与ではない。『民主主義』も当たり前の存在ではない。『平和』も『繁栄』も同様だ。」「もし私たちが自分を阻む壁を打ち破れば,また,もし壁が開けたところに足を踏み入れて,新しい始まりを喜んで受け入れる勇気を持つならば,何事も成しうる。」とスピーチで言った。

 メルケル首相は,変化を恐れず,リスクを取ってチャレンジする重要性を語りかけたが,同時に,思慮深い決断やcore value(基本理念・価値基準)の大切さを説いた(詳しいスピーチの内容は,ハーバード大学のホームページやYouTubeにあるので,ご覧いただきたい)。

 メルケル首相は,もともと東ベルリンの物理学者だったが,毎日職場からの帰途,家族や国を分断するベルリンの壁を見ては,壁の向こう側の自由の思いながら,家に帰ったと述べている。しかし,今からちょうど30年前の1989年,彼女が35歳の時に,突然ベルリンの壁が崩れ,自由への扉が開かれた。そして,これを機に,彼女は政治家へと転身した。リスクを取って運命がくれたチャンスを生かし,自分の信念を実行するようになったのである。

 メルケル首相のスピーチに説得力があるのは,それが自分自身の35年間に及ぶ東ドイツでの抑圧や,その後の経験から得た確固たる信念に根差しているからであろう。彼女は,まさに何もないところから,数多の試練を乗り越えて,東ドイツ出身の女性でありながら,今日実質的な欧州のリーダーとみなされるまでになった。

 ちなみに,東西併合の後,ドイツ政府は,東ドイツと西ドイツの公立の研究所を,同じ研究分野毎に比較し,より競争力がないと判断された研究所は,時限を切って閉鎖した。この結果,東ドイツの研究所のほとんどが閉鎖され,その研究員は職を失った。もし,メルケル首相が政治家に転身せず,そのまま研究所に勤めていたならば,どうなっていたことか。

 筆者は,実は,ベルリンの壁が崩れるちょうど1年前の1988年の秋,東欧を旅して,まさにメルケル首相が毎日見ていたベルリンの壁を,西ベルリンと東ベルリンの両側から見た。当時,西側の人間であれば,こうして西と東を行き来することは当然許されていたが,東側の人間には許されていなかった。東側の世界では思想も統制されており,道行く人々の表情は暗く,食料などの基本的物資も恒常的に不足していた。

 メルケル首相はドイツ初の女性の首相であるが,これが就任当時いかに大変なことだったかは,14年間も女性の首相が続いた今では,ちょっと想像しづらいかもしれない。筆者は,2000年代前半に,企業経営の研究のためにドイツ企業のエギュゼキュティブ数十名にインタビューを行ったが,その中で女性はたった3名だった(うち2名は他社からの転職者で,すなわち同じ社内で女性が管理職に昇進することは極めて稀有だった)。この例からも分かるように,当時のドイツで女性の管理職は極めて珍しく,女性の仕事と言えば,秘書や補助的なものがほとんどだった。

 真のリーダーには,単なる冷静さや頭の良さや優れた判断能力などだけではなく,人を引き付けて引っ張っていくため,誠実さや清廉潔白さと言った内面的な品格が必要である。欧州は異なる利害を持つ多様な大小の国・地域や民族を抱えているが,メルケル首相がそうした複雑な欧州の求心力として頼りにされているのは,その政治的手腕やドイツの経済力だけではなく,人柄に依拠するところが大きいと言われている。

 「日本人は平和と水はただで手に入ると思っている」とよく揶揄される。日本とドイツは,ともに全体主義の政府によって第2次世界大戦へと導かれて,敗北した。しかし,戦前から戦時中に長年抑圧されていた人々が,戦後,メルケル首相の言う「自由」や「民主主義」や「平和」や「繁栄」を所与のものと受け止めず,体制にチャレンジし,経済面でもリスクを取ってがむしゃらに努力を続けて,奇跡の復興を成し遂げた。

 日本はこの戦後の勢いを随分前に失ったが,ドイツはベルリンの壁が崩れた1989年に2度目の戦後を迎え,メルケル首相の他にも,多くの希望に燃えた東ドイツ出身者が長年の抑圧から脱して,新しいチャレンジをすることとなった。東西併合の結果,ドイツは,長らく経済不況に陥ったが,その混乱を乗り越えることで,近年再びたくましいドイツ経済を復活させた。

 ひるがえって,日本はどうだろうか? 日独の政策や企業経営の詳しい比較は,別の拙稿(世界経済評論2018年1/2月号)に書いているので省略するが,日本は,ドイツと違い,戦後約75年を経て,完全に制度疲労を起こしているようにみえる。政府にしても,明治政府ができて約150年経つが,第2次世界大戦がちょうど真ん中にあり,戦後に体制が大きく変化したが,その後硬直し続けている。

 どの社会や組織でも,危機の無い時代が長く続くと,人々は体制に迎合し,利権に群がる既存の勢力が固定化して,柔軟性を失うようになる。そうなってくると,次第に保守化が進んで,新しいことにチャレンジする人が報われなくなるので,イノベーションが起こりにくくなる。日本では,政府はもちろん,企業の意思決定や人事などをみても,世界の変化や時代のニーズに対応しないまま存続し,国際競争力を失ってきているようだ。

 特に,もともと日本人は見て見ぬふりをしたがる国民だと言われているが,出る杭になりたくないために,良くないと分かっていながら,そのまま体制や組織のやり方を受け入れる人が多くなってきているのではないか。昨今,職員が,組織防衛のために違法行為を行っているという事件の報道が後を絶たないが,個々人が正義感やcore valueをしっかり持って,変えていく勇気を持たなければ,決して組織や社会は良くならない。

 この春新しく社会に出た人たちは,自分を阻む色々な壁にぶち当たっていると思うが,メルケル首相が言うように,core valueを大切にし,何事も当たり前と受け止めず,リスクを取って,どんどん新しいことにチャレンジして欲しいと思う。私たちの「自由」も,「民主主義」も,「平和」も,「繁栄」も,自分達一人一人が努力してこそ得られるものであり,過去の人々の多大な犠牲の上にある。メルケル首相のスピーチは,そのことをあらためて思い起こさせてくれるものだ。

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