世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
グローバル企業のサステナビリティ経営:スクレッティング社の戦略
(日本大学 教授)
2019.04.29
近年,食の世界でも持続可能性という点が重要な戦略的課題になりつつある。事実,日本の食料自給率は1960年以降,低下し続けており,現在の食料自給率は40%を割り込んでいる。この数字は,他の先進国と比較してもきわめて低い数字になっている。しかも,食料自給率のなかでも,他の品目に比べて高い自給率を誇っている魚介類についても,限りある資源としてマグロをはじめ,世界的に規制の対象になりつつある。その意味でも,限りある天然資源をいかに有効に活用し,また生産するかということが,日本の食料自給率を上げるうえで重要な課題となってきている。そこで,近年,注目を集めてきているのが,近大の養殖マグロで一躍脚光を浴びた養殖事業のイノベーションである。
しかし,養殖事業のイノベーションも,水産資源を安定的に創り出す有効な方法ではあるが,養殖魚に与える餌を,イワシなどの小魚の天然資源に頼れば,新たな資源枯渇という問題も生じてくる。実際,養殖事業が成功するかどうかは,魚の品質を決めるだけではなく,コストの半分以上を占めることになる餌の問題を解決することが鍵になる。
日本の養殖業界の場合,餌は天然資源の小イワシなどをベースとした魚粉を使用するというのが,業界の常識であった。この常識を打ち破ったのが,オランダにグループ本社を置く,世界的な養殖飼料メーカーの日本法人スクレッティング(Skretting Co. Ltd.福岡)である。スクレッティングは,持続的可能性とイノベーションをグローバル戦略の中核としているため,日本の市場参入当初から,小魚の含有量が少ない低魚粉の販売を主力としていた。
現在,日本の養殖業界は,大きな再編期にあり,規模の経済性を生かすべく業界再編が進んでいるとはいえ,依然として中小企業が多数を占める業界である。その多くを占める中小企業の経営者が餌を購入する場合に決め手としていたのが,魚粉の比率が高いことであった。事実,魚粉の比率が高ければ,確かに栄養素が高く,養殖魚の成長率は高い。とくに,冬場の寒い時期は,魚の代謝も悪くなるので,魚粉の比率が高ければ効率的に栄養を摂取することが可能である。そのため,日本では餌イコール高魚粉というのが定着していた。とくに,その常識が強く根付いていたのが,中小の養殖企業であった。
そのため,この業界では,価格と餌の中に何%の魚粉を入れられるのか,というのが競争の常識であった。例えば200円の餌であれば,餌の中に魚粉が何パーセント入っているのかということが,問われていた。その一方で,餌の栄養成分それ自体には関心が薄かった。そのため,顧客から支持を獲得するためには,低魚粉でも,高魚粉と同じように養殖魚が成長するという効果を証明しなくてはならなかった。
この業界の常識を打破するために,スクレッティングは科学的データを用いることで,低魚粉の成果を市場にアピールした。しかし,低魚粉の成果を効果として把握するためには,養殖の生け簀をある程度の規模で持っていることが必要条件であった。というのも,養殖事業の場合,赤潮や海水温などの外的要因に影響を受けることが大きいので,生け簀の保有台数が少ない中小企業の場合,その成果を統計的に検証することが難しく,養殖魚の成長が悪い場合には,すべて低魚粉が原因であると判断されがちであった。低魚粉イコール悪という常識が定着している業界ではいたしかたなかった。
そこでスクレッティングは,規模的に大規模な企業と,中小でも既存のパラダイムに縛られていない若い経営者が経営する企業を主要なターゲットとした。とくに大手企業の場合,生け簀を数百台規模で持っており,餌の効果をきちっと科学的に測定することが可能であるだけではなく,現場での餌の管理にも長けていた。しかも,大手企業の餌に対する評価は,効果が変わらなければ魚粉の比率は問題がないという認識であったため,スクレッティングとの取引が開始される。
確かに大手企業との取引は,製品の認知度を高めるということに関しては大きな効果があった。その一方で,スクレッティングには危機感があった。というのも,大手企業は餌の効果だけを注視しており,持続可能性という点には必ずしも関心が高いわけではなかったからである。しかし,スクレッティングの戦略に追い風が吹くことになる。ASCが日本でも導入されたからである。ASCとは,養殖水産物の生産,加工,流通が適切に管理されていることを示す国際認証であり,欧州ではすでにメジャーになっていた。ASCでは,当然,環境に影響を与えることになる餌のレベルまでの管理が要求されることになり,スクレッティングが掲げる低魚粉による養殖事業の持続可能性という戦略は,まさにこの認証に適合するものであった。
日本でも東京オリンピックからは,ASCのマークが入っている魚を提供することが奨励されている。そのため,日本水産などはASCを日本でもいち早く取得している。その影響は川上だけではなく,川下の大手小売企業,イオンなどでもASCのラベルのついた魚をすでに販売している。間違いなく日本の食品業界にも,持続的可能性という概念が徐々にではあるが定着しつつある。
世界的にみても,きわめて早く養殖事業の持続可能性という概念を掲げて,世界市場の開拓に挑んできたスクレッティング。参入する当初から単に日本市場に適合する戦略を実行せず,常に国際市場を視野に入れた戦略を展開してきた。現地適応をどこまで進めるのかというのが,グローバル戦略では常に議論されることになる。しかしその前に,世界市場を視野に入れながら,どこまで自らが掲げる戦略的な理念に拘ることができるのか,ということの重要性を改めて教えてくれるのがスクレッティングの事例である。
[謝辞]
本稿を作成するにあたっては,スクレッティング(株)のプロダクトマネージャー濱﨑祐太氏から貴重な情報を提供して頂いた。ここに記して感謝の意を表したい。
- 筆 者 :髙井 透
- 地 域 :日本
- 分 野 :国際ビジネス
- 分 野 :資源・エネルギー・環境
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