世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1254

新自由主義と通俗道徳

岩本武和

(京都大学公共政策大学院/経済学研究科 教授)

2019.01.14

 最近しばしば仄聞するようになった「反知性主義」(Anti-intellectualism)とは,厳密な定義ではないが,「知的権威やエリート主義を嫌悪し,データやエビデンスを懐疑して,皮膚感覚や直感で物事を判断すること(人)」を指す。

 どこかの国の「頑張れば報われるという社会の実現にむけ尽力してまいります」という首相の演説が,典型的な事例である。「頑張れば報われる」という,分かりやすい「通俗道徳」のみに訴えていて,容易に「衆愚政治」(ポピュリズム)に転化する。

 少し考えれば分かることだが,「頑張りたくても頑張れない人」,「頑張ろうとしても予期せぬ事態に直面して頑張れなくなった人」がいたり,「頑張りたくても頑張れない時」があったり…,要するに,市場経済には,「頑張っても報われなかった人」の方が,「頑張って報われる人」よりも圧倒的に多いのだ。そうした人たちを救済することこそ,公共性の使命である。にもかかわらず,それでも国民を頑張らそうとするのは,ファシズム(一億総玉砕)か,彼の国の首相がヘイトして止まない共産主義社会の実現である。

 日本の歴史を振り返れば,勤勉・倹約・正直・孝行といった江戸時代の二宮尊徳(金治郎)に体現された通俗道徳が,メインストリームの価値観となり,さらには支配のイデオロギーとなったのは,明治時代のことである(安丸良夫『日本の近代化と民衆思想』,松沢裕作『生きづらい明治社会』)。それが,ファシズムの時代,戦後復興期の時代,高度成長期の時代…と形を変えて脈々と受け継がれてきた。そして,市場経済がグローバル化し貧富の格差が歴然となった現代においても,「成功した人は頑張ったからであり,失敗した人は頑張らなかったからだ」という支配のイデオロギーとして,二宮金治郎は生き続けているのである。

 恐るべきことは,冒頭のどこかの国の首相だけでなく,世界中のリーダーとなるべき国のリーダーの多くも,同様に通俗道徳に頼り,衆愚政治の状況に陥っていることである。1929年の世界大恐慌からの回復が遅れ,ファシズムの台頭と世界大戦に繋がった状況は,2008年の世界金融危機からの回復が遅れ,社会の分断を招いている点で共通している。

 ところで,1980年代のレーガン,サッチャー,中曽根のいわゆる「新自由主義」も,この系譜に属する典型である。レーガノミクス減税の「理論的」支柱となったラッファー曲線(高い税率が人々の勤労意欲を下げ,減税すれば勤労意欲が上がり,税収は増える)がLaughable(ばかばかしい)曲線と言われたように,小さな政府で,強い国家を目指す新自由主義も,やはり通俗道徳に訴え,証明されない直感のみに訴える衆愚政治であった。

 新自由主義が,対外的には,強硬路線をとることも共通している。レーガノミックスは,減税による歳入減に加え,旧ソ連のアフガニスタン侵攻に対抗した軍拡で歳出増となり,大幅な「財政赤字」を生み出した。これが,インフレ退治のマネーサプライ抑制と相まって,クラウディング・アウトによる「高金利」をもたらし,それが「ドル高」を生み,「経常収支赤字」となった。「双子の赤字」とは,正確には,財政赤字が原因で,それを「高金利・ドル高」という媒介項を挟んで,経常赤字という結果を生み出したことを意味する。

 同様に,昨今の嫌(反)韓(中)・嫌(反)日(中)は尋常ではない。YouTubeで動画を見るなら,日韓の軍事摩擦の喧伝動画ではなく,ぜひ「韓国人が日本焼き鳥専門店初体験」をお勧めする。日韓の若い世代が,大人げない嫌韓・反日を振りかざす大人たちを全く余所に,実に健全な隣国交流を続けていることに安堵するはずである。この世代の健全さを,思考を停止した大人たちが,「毅然とした態度をとれ」などという通俗道徳を振りかざすことで,二度とぶち壊さないことを念じている。

 思考を停止した大人たちは,決まって「美しい国日本」とか「日本人に生まれて良かった」とかいう通俗道徳に回帰する。「兎追いし彼の山 小鮒釣りし彼の川…志を果たして いつの日にか帰らん 山は青き故郷(ふるさと) 水は清き故郷(ふるさと)」は,明治という時代に生まれた勤労者を癒やす虚構であった。いかにもそれらしい原風景であるが,実際は探すのに困難な,頑張って働き「志を果たした」一部の人だけが夢見る幻である。「日本の伝統」なるものは,ほとんどが明治以降の近代国家の支配イデオロギーだ。フィクションにすぎない日本の原風景を揶揄すると,決まって思考を停止した大人たちは怒り出す。非国民!

 外国へ行って数日経つと,体が自然と「日本食」を欲しがり,否が応でも「自分が日本人であること」を実感させられる。「日本人に生まれて良かった」という通俗道徳の押し売りは,「日本食を食べたい」という現実とは,似て非なるものである。新保守主義(ネオコン)が,新自由主義,あるいは何よりもデータやエビデンスを重んじる知性の塊であるはずの新古典派経済学と,どのような親和性があるのか,あるいはないのかは,これからも考察を続けたいと思う。

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