世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
マクロン 高揚感なき勝利 陶酔の後の失望:マクロンの経済政策「マクロノミクス」の評価と展望
(パリクラブ日仏経済フォーラム 議長)
2019.01.07
演出による高揚感をマクロンの実力と勘違い
黄色チョッキの人々のデモは燎原の火のごとく拡がった。マクロン大統領の支持率もついに前のオランド大統領を下回るところまで下落。フランスでは既存政党に属さない新しい政党「共和国前進」が総選挙でも圧勝。この若き大統領の登場は内外で既存の政治制度を超越するものとして論壇にも大きな衝撃を与えた。パリ政治学院大学教授・政治刷新基金(Fondapol)所長ドミニク・レイニエ所長はマクロンの政治思想を「アンチ・システム」と形容した。また週刊誌エクスプレス論説主幹クリスフ・バルビエはこれまでの左右の対立軸の間隙をつく1974年のジスカール・デスタン以来の左派系の「新しい中道」の出現と評した。日本でも評論家の浅田彰が「忘却との闘いのなかの新自由主義改革」と意味深長なコメントを述べている。日本では大統領夫人の紹介も含めて肯定的な評価がマスコミを筆頭に圧倒的に多かった。しかし大統領選挙の決選投票では有権者の棄権率は実に25.3%,白票無効票が9%という1969年以来の高さであった。要約するともともと支持基盤が脆弱で2大政党であった共和国連合党の敵失と社会党の分裂に助けられ,根強く残る極右極左に対する警戒感などによって消去法で勝利したといっても過言ではない。従ってご祝儀相場は長く続かず就任後の夏が終わると支持率は急落し始めたのである。
就任後からその年の秋口にかけてマクロン大統領は国内では早々と労働改革や教育改革を実行に移すことに成功,外交面では「フランス外交が帰ってきた」と宣言。EU統合の政策的推進を力強く掲げてきた。その政治姿勢は前のオランド大統領が合意を形成しながら現実主義的な社会民主主義路線を打ち出してきたのに対して,大統領主導の華々しい構造改革路線が中道派的な政策として展開されてきた。演出による高揚感をマクロンの実力と勘違いして報道されてしまった。
構造改革と緊縮政策,需要と供給の兼ね合いなどの視点からマクロニズムの正体を解明することが本稿の目的である。
5年間の政権構想と75の選挙公約プログラム
2016年後半から2017年にかけて左右主要政党,社会党と共和派が予備選挙において大統領候補選びにおいてこれまでに経験したことのないような混乱に陥るなかで,2016年4月6日に誕生した新政党「共和国前進」はエマニュエル・マクロンを党首にその間隙をついて瞬く間に第1党の地位を獲得し一躍,内外から大きな注目を集めた。大統領選挙を控えた党大会で発表されたマクロンの向こう5年間の政権構想はその75の選挙公約プログラムに表明された。15分野にわたって掲げられたその政策の特色は次の通りに要約されるであろう。①5年間500億ユーロの公共投資,②社会保障制度の簡素一元化,③大学や病院の自治管理化,④移民統合・難民受入れ等の保安対策,⑤租税負担率軽減による国民購買力の向上,⑥欧州軍隊創設やユーロ圏財政の強化,⑥企業減税と労働市場の柔軟化,⑧「小さい」政府と国会議員の綱紀粛正,⑨地球環境パリ協定推進,⑩農業の近代化,⑪社会住宅・中古住宅の促進補助。
財政支出の抑制と節約から捻出される財源によって国民の購買力をなるべく損なわず,同時に地球環境パリ協定に沿って脱炭素化政策を徹底させながら,フランスの産業競争力の強化を図っていく。経済政策の目標と手段の数と変数が多岐にわたり,そこをどうこの若き大統領が調整していくのかが大きな課題であった。「合成の誤謬」という言い方がある。それぞれの分野領域では方程式は成立し解が成立するが,全体の領域では連立方程式としては回答が出てこないかもしれない。そういう大統領の考え方を代弁する表現がひとつの流行語にさえなった。フランス語で「アン・メーム・タン」(en même temps)。これは「同時に」ベクトルの違う目標を並行して追求するという意味である。
5年後に1.6%経済成長率,92%債務比率,失業率7.6%の目標
まずマクロ経済面における大統領任期の2017〜22年までのマクロン政権の5年間中期経済見通しを見ていくと,5年間の実質経済成長率は平均1.6%,前半は加速,後半は鈍化する。租税負担率をGDP比0.7ポイント,公共支出を2.3ポイント,それぞれ低下させて対DGP財政赤字は3%から1.4%に引き下げる。この結果,プライマリー・バランス公的債務比率は金利上昇を見込んでもGDP比で0.9ポイント改善,公的債務比率は96%から92%に低下する。問題の多いとされてきた失業率は需給バランスの改善によって9.2%から同期間に7.6%まで低下する。
フランスではマクロ経済分析や見通しではINSEE(国立経済統計研究所)とOFCE(フランス経済観測研究所)の予測値と比べる必要がある。政府系に近いINSEE,若干ケインズ的な調整色のあるOFCE,両研究所ともそれぞれ1.2%,1.3%と大統領府予測をかなり下回っている。この成長率の誤差は潜在成長率を評価するのに生産人口伸び率と150億ユーロの規模になる労働市場改革の効果をどう算出するかによるものである。注意すべきは政権発足の初年度2017〜18年前半あたりまでは総額約90億ユーロの見積もりされている「減税」効果の内,70億ユ-ロはオランド政権当時の世帯向け減税,CICE等の企業減税,環境税制などの一連のケインズ型の景気刺激策のおかげであるとしていることである。
向こう5年間の現実経済成長率の予測をするにあたり,政権構想内容から見えてくる政策から結論的には2018〜20年にかけて財政支出は予測以上になることが懸念されている。
政権初期は財政支出予想以上に増大
潜在成長率に加えて財政措置,労働市場改革,社会保障改革などの公約を実行するとこの現実成長率はどうなるのか。第1に欧州でも北欧と並んで高い水準にある租税負担率(prélèvement obligatoire)は家計と企業とを合わせて現行水準から1.2ポイント下がって,逆に環境税負担は0.5ポイントの負担増となり初年度で90億の減税となる。第2は600億ユーロに上る公共支出の節約の内訳は政府支出250億,社会保障250億,地方財政100億で2022年までに対GDP3ポントの節約を行うことである。しかしOFCEは410億という1.6ポイントの節約にとどまるとみる。マクロン政権の予測よりも公的支出の節約が少なる理由は,失業低下による失業保険支払いの水準がどうなるかは構造的に決定されずに需給ギャップに左右されるものであること,さらに政府予測と違い潜在成長率で算出している点である。就業手当,身障者手当,老齢者手当,国防費,刑務所経費などは当初より支出が予定以上に上回るとしている。政権初期は結局,財政支出が予想以上に増大する可能性が強い。
この上でフランス中央銀行は財政赤字の対GDP比は現在の2.7%から2019年には2.8%に上昇するものの2020年以降,下がり続けて2022年には0.3%にまで低下すると睨んでいる。フランスの公的債務は2008年から悪化し始めていた。景気後退による税収の減少,危機対策の財政支出,ユーロ危機救済金拠出,など財政負担が相次ぎINSEEマーストリヒト基準で2017年4四半期の2兆2181億ユーロの公的債務は2019年までは対GDP比約96%にとどまるが,20年以降は債務の低下が始まり22年には92%にまで下がるものと見通されている。
600億ユーロの公共支出の節約は失業率が9.6%から7%に引下げられれば引き下げ分2.6%相当の100億ユーロの失業手当が支出減になり,さらにそれに伴う社会保障支出の抑制によって150億ユーロほど公共支出節約は進むものと期待されている。政府支出削減にはとくに12万人の公務員の削減が注目される。
財源を削減対象の政策経費を背景とする5年間の500億ユーロの公共投資が予定されている。その投資の内訳は職業訓練対策150億,環境エネルギー対策150億,行政デジタル化50億ユーロ,医療保険50億,農業50億,公共輸送50億の6部門である。これらはバラマキ需要でなく公共政策がらみの外部経済性の形成を狙ったものである。供給能力の強化,サプライサイド重視が滲み出ている。
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