世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
グローバル都市ロンドンの変貌とジェントリフィケーション:BREXITの影
(パリクラブ日仏経済フォーラム 議長)
2018.12.03
都心部からの中間階層の締め出し
ジェントリフィケーション(都市の富裕化現象)は1960年代に観察された現象を英国の社会学者Ruth Glassが名付けた有名な言葉である(注1)。これはこの25年間に見られたロンドン都心部への中間階層の到来から由来したものである。フランス語には存在しない言葉である。フランスでは給与所得者階層が労働者階層に取って代わる経済の第3次産業化のプロセスであると理解されていたからである。しかし21世紀に入って,今や実は社会を構成する「大衆」の都心部からの締め出しであることが殆どの大都市経済圏において明らかになってきたのである。
ジェントリフィケーション現象の発祥地
実際,ジェントリフィケーションとは言ってもその意味するところは一様でないところがある。政治学,経済学,社会学,地理学など様々な立場から解釈がなされるようになり,その現象の意味するところは文字通り複合的である。それでも一般的には次の2点において合意が見られる。①中間給与所得階層が労働者階層に取って代わること,②労働者階層居住区域に資本投下したり,不動産等の所有を拡大させること。すなわち,クラ-ベルとコロンブによれば(注2),それは中間階層を構成するグループがそれぞれ違った段階で,違った態様で都心部に参入してきたのである。まず最初の段階では中間階層のごく少数の「進取」の気性を持った者が,いわば「敵地」に乗り込むように「侵入」(invade,envahir)してきたのである。次に最初の侵入者の成功を目撃して,積極的にパイオニアとして都心部を開拓しようとする人々が出現してきたのである。次第に中間階層のユッピー(Yuppy)と呼ばれる精神的には進歩主義者で,物質的にはブルジョワ的だが,同時にボヘミアン的な自由奔放な都会生活スタイルに憧れるボボ族(bourgeois bohemian)と呼ばれる上層中間階層の流入が本格化するようになる。
1960年代以降の経済政策が引き金
都市の富裕化現象がいち早く1960年代に英国のロンドン都市圏において始まったのはどうしてであろうか。60年代のウィルソン労働党政権は「多民族共同体融合政策」(mixed community policy)を推進することによって都心部の再活性化が計られた。このとき民間部門で住宅建設の資金調達を担ったのはセカンダリーバンクと称せられた中小金融機関であった。中間上流階層による都心部の旧市街の住宅を高級な家屋にする大規模な不動産ブームが発生した。このロンドンの都心部再開発は多分,ほかのどの都市よりも「早熟」で「激し」かった(注3)。80年代の世界的金融の自由化の流れの嚆矢を切ったのはロンドン都市圏であった。このことは最初のパイオニアとなった芸術家や知的職業階層に続いて金融,保険,不動産部門に従事する上級管理職ホワイトカラー層の住民の数の急速な増加に現れている(Butler, Hemnet 2003)。このような事態は新自由経済主義路線に傾斜し始めたサッチャー政権の進めた社会住宅の民営化,あるいはブレア政権時代における民間資本を公共事業にも参画させる方式,PPP(Public Private Partnership)の推進,そして外国資本に大きく門戸を開放する経済政策,などによってロンドンは他のどの都市よりもグローバル化の波が押し寄せてきた。ひとつは金融自由化によるバブル経済の発生,もうひとつは産業構造のサービス化と,いわゆる「ウィンブルドン現象」である。この後者の傾向は産業の中核部門を多国籍企業に委ねて自国資本がその傘下に入ることを意味する。ロンドン都市圏には英国上位100社の半分以上,世界の上位500社の内の100社以上の企業がその本社をロンドンに構えているといわれる。世界の都市別多国籍企業本社立地数はニューヨーク,東京と並び,欧州中東アフリカ世界のグローバルビジネスの拠点である。
ロンドンのグローバル都市化
過去30年間,ロンドンの都市開発は政府主導で巨大プロジェクトが推進されてきた。キングスクロスやセント・パンクラスの交通拠点開発,あるいは市内東部のカナリー・ワーフの新金融街となりつつある大規模ウォーター・フロント地域の発展,市内の東西を連結する地下鉄ジュビリー線の拡張,ロンドン・オリンピックを契機にした東部郊外ストラトフォート多民族共生地区の大開発による変貌,そして第3滑走路と第6ターミナルの建設で欧州の空港ハブとなるヒースロー空港の大規模な整備,これらの都市開発によってロンドンのグローバル拠点メトロポール都市の地位はニューヨークを凌いで世界一になったとさえ言われた。さらに2007年から始まった300億ドルを投入する欧州最大規模の巨大プロジェクトとされる東西118kmのクロスレール・エリザベス地下鉄路線が2019年に完成予定である。ロンドンはこのクロスレール地下鉄交通大動脈の完成によって西のヒースロー空港と東のカナリー・ワーフ新金融副都心が連結して巨大な世界の拠点都市になるものと予測されていたのである。ロンドンはこれらのメガロプロジェクトによって欧州最大のグローバル都市国家,それも21世紀のニューヨーク的人種の坩堝の都市であると同時にかつての繁栄を誇ったギリシャの都市,シバリスにも匹敵するものとされたのである。しかし自由市場原理に基づく急速な発展モデルは都市としての根本的な非効率や問題を次第に表面化させ,また英国のほかの都市に対して大きな不均衡と不満を招くことになったのである。
インナーシティの社会的地位が上昇
これまでに発表されたロンドンの富裕化現象の地図を見ていくと,大都市のなかのイースト・エンド地区が繁栄したのに,緑の多い郊外地域が過去10年に社会的に衰退したことが観察される。インナーシティの社会的地位が上昇し(注4),外側のリング状環状の郊外は下落。21世紀の逆転現象ともいえるストラトフォード,ベスナル・グリーン,カニング・タウンなどのインナーシティの地区がかつて英国の有名な詩人ジョン・べジュマンが詩で謡い上げたメトロランド郊外住宅街に代わって富を集めるようになった。かつてスラム街であったロンドン東部やシティの南が今やロンドンの若いビジネス層が闊歩する現代的なファショナブルな場所に変貌した。これまでの富裕地域とされてきたイスリントンやファルハムのようなロンドンの中央,北部,西部は大きな変化はないが,西のハウンスローから東のイルフォードに至る北部の郊外は社会的に大きく地位を下げた。
クロスレール地下鉄路線はもともとグレイター・ロンドンの首都圏全体の活性化を狙った市民全体のための民主主義的な輸送インフラにするという目標を持っていた。しかしながら増え続ける高層タワービルや,拡張する巨大化したヒースロー空港が巨額の金融資本によって遂行されるなかで,もはや低所得層世帯はロンドン市内では高騰を続ける不動産価格についていけなくなり,職場から遠く離れた近隣の郊外に追いやられことをなってまったのである。
こうしたなかで,大ロンドン行政庁法を制定してロンドンの空間開発戦略として従来の戦略ガイダンスに代わるThe London Planが2004年策定された。各区(borough)のLocal Planもロンドン市長の構想する計画のなかに採択された。2017年社会民主主義路線を標榜するサディク・アマーン−カーン市長が登場して問題の解決の方向を見出そうと新しいロンドン・プランが発表された。2041年を目標年次に,経済成長・人口増加への対応(生活の質の向上),国際競争力の強化(強く多様な経済など),多様で安全でアクセス性の高い近隣地区の形成,感性を高める都市づくり(景観),環境対策で世界を主導すること(気候変動),仕事や機会への利便性・安全性向上(交通システムの改善)などの戦略に基づく政策が掲げられている。
BREXITの影響で都市の風景が変わり始めた
しかし今このような光景がBREXITによって大きく変わろうとしている。その心配をワシントン・ポスト(注5)は次のように伝えている。「銀行家の行き交う流れが鈍り,移民の眼差しがロンドン以外のところに向けられ,成長を支えてきたカネやヒトが枯渇し始めると一体どうなるのだろう。すでにポンドの価値は下がり始め,輸入インフレの兆候があり,そしてロンドンから移転しようとしている企業も出始めている……」。BREXITの不安からカナリー・ウォーフ地区の新たなビルの建設計画が延期になり,とくに長期の賃貸リース契約が破棄されつつあるとも言われる。
今の時点ではメイ首相の21年末までの移行期間関税同盟BREXIT案がEUの支持を得て英国経団連CBIにも受け入れられるまでになった。議会等の批准はまったく予断を許さないが,英国人の意識が最新2018年11月下旬の世論調査によると2016年6月23日の国民投票の前と現在では大きく変化が表れ始めた。すなわち英国人は次第に外国人からの移民に寛容になりはじめたという世論調査の数字が注目されている。新たな英国と大陸欧州との時代が現れつつある兆候であるかもしれないと評されている。
[注]
- (1)Ruth Glassは,ドイツ生れの英国人社会学者。「社会学の研究目的は政府の政策に影響を与え,そこから社会的変革を導き出すことである」。
- (2)Anne Clerval, Claire Colomb, La gentrification des métripoles européennes, 2000
- (3)David Brooks, Bobos in Paradise: The New Upper Classe and How They Got There, Simons & Schuster 2000
- (4)Approche comparé de processus de gentrification des trois villes européennes, Londre, Paris, Bruxelle
- (5)Kalra Adam, William Booth, Britons mellowing on issue that drove Brexit, The Washington Post, November 18, 2018
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