世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
NAFTA再交渉成功後,対中攻勢にシフトするトランプ政権
(関西学院大学 フェロー)
2018.10.22
NAFTA再交渉も,トランプ大統領の選挙公約の一つであった。
これまで約1年の交渉を経て,8月27日,先ずはメキシコとの間で,初期的な大筋合意が成立,この合意を梃子に,一方では米国議会の承認手続きに着手した。
その結果,議会が行政府に授与していた通商交渉権限(Trade Promotion Authority; TPA)のルールで,妥結内容のテキストを9月30日までに,議会に届けなければならなくなり,逆に言えば,この9月30日というデッド・ラインが,カナダにとっての交渉妥結期限ともなった。9月30日までに,カナダとの合意が成立しなければ,仮にメキシコとの新協定だけが議会承認され,それが発効した暁には,カナダは3カ国の通商フレームから取り残されてしまう(もちろん,3カ国の協定を前提に成り立っているTPA権限で,2カ国間の交渉を認めることが出来るのか,議会では大いに疑問視されてはいたが,カナダにとっては,むしろ9月30日迄という,時間のプレシャーの方が大きかった)。
選挙を控えた米国の議員たちにとっても,既存のNAFTA3カ国のフレームが残った方が,何かと問題は発生しなくて済む。だから,議会は,ホワイトハウスに,米・メキシコではなく,あくまでも米・メキシコ・カナダの3カ国協定の存続を,という圧力をかけ続けた。
いずれにせよ,こうした政治状況の下,米国とカナダの当事者たちは,9月30日深夜のデッド・ラインを前に,同日,朝から11時間のマラソン交渉を行い,午後10時,カナダのトルード首相が閣議を招集,米・カナダ間でも妥結が成ったのだという。
トランプ大統領としては,選挙公約実現と,NAFTAへのこれまでの否定的発言に鑑み,改定協定をNAFTAとは呼ばず,米・メキシコ・カナダ協定(USMCA)と呼ぶことにするのだそうだ。名称変更によって,公約を実現したイメージをさらに際立たせたいのだろう。
実は,9月30日というデッド・ライン圧力は,トランプ政権側にものしかかっていた。
12月1日には,メキシコで新大統領が誕生する。
一方,改定NAFTA協定は,TPAの規定で,議会通告から2カ月以内に各国指導者によって署名されねばならない,とされる。
9月30日を起点にすると,去り行く現ニエト・メキシコ大統領がUSMCAに署名するには,2カ月,つまりは11月30日までの期限しかない。新大統領が,現大統領に代わる署名者ということになると,メキシコ国内の政治事情からデッド・ラインが順守されなくなる可能性が大きくなる。つまり,USMCAを発効させるまでの,スケジュール上の時間はもうギリギリだったのだ。
かくして,結果,NAFTAを米国に有利な方向で書きなおす,と言い続けて来たトランプ大統領は,中間選挙を前に,通商分野でも大きな政治的実績を挙げたことになる(USMCAの中には,メキシコからの自動車の輸出台数に枠をはめる合意だとか,自動車生産にかかわる労働者の賃金水準に関する合意などがあり,こうした諸点でも,将来の日米合意や米欧合意に応用出来る,原形モデルを創り得ている。だから,トランプ大統領は初期目的を達している,とも理解出来るのだ)。
USMCAの妥結を報じたNYT紙(10/1)は,この交渉成功によって,大統領は単一の敵国“single enemy”中国との,他方面に及ぶ通商戦争に備えることが出来ることになったとの記事を掲載している。
この記事によると,トランプ大統領は,EUや日本に,関税賦課可能性の圧力を掛け続ける,と述べながら,その戦術の成功には自信を持っていること。他方,中国との関係では,未だ中国は交渉を真剣に考え始めてはいない“I said frankly it is too early to talk, because they are not ready”との認識だという。
この様な眼で,米国のEUや日本との交渉の現状(交渉入りの合意)を眺めると,いずれの合意にも「我々が交渉に取り組んでいる間は,一方の当事者が交渉を終了させない限り,我々は本合意の精神に反する行動を取らない(即ち,一方的な関税賦課は行わない)」旨の規定が挿入されている。つまり,こういう暫定合意を入れることで,取り敢えずは,当面の相手を中国に絞り切っている,とも解せるのだ。
恐らくは,そうした戦略思考の延長線上で,トランプ大統領は9月末の国連総会の場を使って,「米国での中間選挙の直前のこの時期,中国は私の政治的立場を傷つけようとしている…中国は,私,或いは,我々を勝たせたくないのだ…何故なら,私は,通商分野で中国に挑戦している初めての大統領であるからだ…“The Chinese, Mr. Trump claimed, are trying to damage his political standing before the midterm elections///They do not want me or us to win because I am the first president to ever challenge China on trade”」との趣旨の発言を行った(NYT9/26)。
トランプにとって,中国こそは真のガチンコ勝負の相手と見えているのだ。
トランプ自身,大統領選挙出馬に際して出版した本「タフな米国を取り戻せ」“Time To Get Tough”(2012年)の中で,「執拗に米国を破産に追い込もうとし,我々の生活を破綻させようとする連中の代表格」として中国を挙げていたことは目新しい。
かつて,トランプ側近で絶大な権力を握ったとされるスティーブ・バノン元戦略官も,一にも二にも中国が問題,と指摘したことがあった。
偶々,これらの発言や主張が頭に浮かんできたので,ちょっと気になって,2015年に米国で発売されたマイケル・ピルズベリーの“China 2049”読み返してみた。「トランプ大統領は本を余り読まないという。だが,恐らく,トランプも,タカ派の中国専門家ピルズベリーの意見を,直接に,聞いたことがあるのでは…」,との考えが頭をかすめたからだ。
ピルズベリーの本を,改めて再読すると,米国の対中政策をこれまで進めて来た人たちの頭の中には,「中国は,私たちと同じような考え方の指導者が導いている…脆弱な中国を助けてやれば,中国はやがて民主的で平和な大国になる…中国は大国となっても,地域支配,ましてや世界支配を目論んだりしないだろう」という,間違った認識が在ったのだ,との指摘に出くわす。
ピルズベリーによると,「中国の刊行物に戦国時代に関する記述が見られるようになったのは,1990年代のこと」だそうで,1991年には,鄧小平が唐の時代の言葉“韜光養晦”を用いるようになった由。
この言葉は当時,「好機を待ち,力を蓄えよ」という,ごく一般的な教えだと曖昧に説明されたそうだ。しかし,正しい文脈に置かれた時に,この諺が示唆するのは,「才能や野心を隠し,古い覇権を油断させて倒し,復讐を果たす」ということだった,とピルズベリーは指摘する。
ピルズベリーはまた,そうした思考は具体的に,以下の9つの方針として,中国に採用されて来た,と主張する。
- ①敵(米国;以下同じ)の自己満足を引き出して,警戒態勢を取らせない。
- ②敵の助言者を上手く利用する。
- ③勝利を手にするまで,数十年,或いはそれ以上,忍耐する。
- ④戦略的目的のために敵の考えや技術を盗む。
- ⑤長期的な競争に勝つ上で,軍事力は決定的要因ではない。
- ⑥覇権国(米国)はその支配的な地位を維持するためなら,極端で無謀な行動さえ取りかねない。
- ⑦勢を見失わない。
- ⑧自己とライバルとの相対的な力を測る尺度を確立し,利用する。
- ⑨常に警戒し,他国に包囲されたり,騙されたりしないようにする。
つまり,ピルズベリーが指摘しているのは,中国流戦略が,孫子の兵法から派生して来たもので,その戦略観が,欧米クラウゼビッツ流のそれとはまったく異なる,ということなのだろう。
もっとも,筆者は,戦略の専門家ではないので,以下の理解が適切かどうかはわからないが,失笑を買うことを承知で,敢えてピルズベリーの考え方を解説すると,「米国と中国の戦略概念は以下の点で異なり,米国,或いは,歴代の米国大統領は,つい最近まで,その違いに気付かなかった」,とでもなろうか…。
つまり,欧米の戦略では,「先ず目的としての,理想的な状況を予め想定,それを実現させるため,手段としては,以前から緻密に計画し,物事を発生させるように仕向ける」。
それに比べ,中国孫子流の戦略では,「状況の勢いの力に頼りつつ,その流れに従う」。要は,「目標は,直接狙うものではなく,状況の帰結に過ぎない」。だから,孫子流戦略家たちが“形勢”を定義して,「満々とたたえた水を千仞の谷底へ堰をきって落とす様なもの」,つまり,そのような「“流れ:勢”が発生しやすいよう,予め準備しておく」と強調するのだ。もっと具体的にいうと,「状況が実際に形になる前の時点から,有利に働く要因を特定しておき…累積した潜在要因が自分の優位になることが明確になってくると,優れた将軍は断固とした態度で戦闘に臨む」(勝利の軍は,戦う前に,先ず勝利を得て,それから戦う)ということになる。
こうした思考は必然的に,「長期的な流れの中で勝利を収めるためには,国家の実力行使そのものを制限し,その能力を適度に隠しておく」ことが必要となるはず。
そして,トランプ大統領は,「中国がこうした思考方法を取っている国だ」と知っているのだ。だから,覚醒した米国大統領にとって,みすみすそうした“形勢”が出来つつある現状に,無策ではいられないのだ(あくまでもトランプに好意的な解釈だが…)。
だとすれば,トランプの対中強硬姿勢には,だから,中間選挙を前にした選挙戦術的側面と,もっと長期な,挑戦を受けつつある覇権国の指導者としての対応の側面が併存している,と解しておかねばならないのだ。
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