世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1176
世界経済評論IMPACT No.1176

統計科学の制約要因に関連して

末永 茂

(前いわき明星大学 非常勤講師)

2018.10.08

 学会報告は厳密なデータに基づき,理論的には先行研究を踏まえたものでなければ評価されない。ただそれ故,特に人文系や社会諸科学の分野は先行研究に重きを置き過ぎ,時として蛸壺化する危険性も常に指摘されてきた。大国の政策が大きく方向を変えた時,学術研究なるものが変更を余儀なくされる,あるいは変更しなければならいと研究者が自覚した時,我々は如何なる弁明をしなければならないのだろうか。こうした事態に備えるためにも,この「世界経済評論インパクト」は,有益な媒体である。充分論証なり実証がなされていない段階での仮説やアイディアが,どの様な思考によって社会を観察しているのか,を事前に知ることが出来るからである。研究ヒントを与える学会のロビー活動の様な場である。

 このコラムで西孝教授の論考(2018/06/11)は教訓的である。GDP概念や数学的モデル分析をブルジョア科学と断罪し,それらの体系を一蹴することは論外であるが,やはり経済学者の研究が格言「鵜の真似をする烏」と評される「科学」であってはならないだろう。サムエルソン『経済学』教科書の構成から,それが寄せ木細工で成立していることは一目瞭然であるが,レキシスやリッケルトを引くまでもなく,ニュートン力学だけが「科学」ではないことを認識しなければならない。社会科学を疑似科学に落とし込めないためには,より慎重でなければならないし,学派学流を超えた論争が求められる所以でもある。

 この様な学界状況下で,碩学の竹内啓教授は大冊の『歴史と統計学』(注1)を上梓した。ここで教授は理論モデルと統計分析について論じている。リカードの比較生産費説の説明で用いられる[「毛織物」「ワイン」/「イギリス」「ポルトガル」]の数表はモデル説明のための仮の数字であり,現実の統計数字ではない。スミスがハットピンで分業論を論じたり,マルクスがリンネルを事例に価値論を展開したりする手法も,明示的モデルで説明しているに過ぎない。そして,リカーディアンはこの論理数表に統計数字を代入して実証することはなかった。また,限界効用理論や一般均衡理論も高度な数式化(論理式)によって説明する傾向を強めたが,これらも実際の数字を用いて検証することは殆ど行われなかった。計量経済学の構造方程式や合理的期待形成理論でも内生変数と外生変数の区別に疑問が残り,70年代以降は大量データの母集団を計算上は処理出来ても,推計値の誤差がそれに伴って増大したのである。

 一方で,バブル経済崩壊以後,ITやAIは個人レベルへ急速に普及し,経済学会では巨大モデル化や経済学理論への高等数学的,幾何学的ミクロ経済学的説明原理を採用する傾向がさらに高まってきた。初等数学においては「答えが一つ」の世界である。これはある意味,唯一神に繋がる社会哲学思想で,紛争を未然に防ぎ,合意形成のためには魅力的であるが,周知の如く高等数学では一つの答えではなく,「解」がないのが一般的である。

 従って他方で,実際の政策論議は非統計的政策論議へと傾斜して行くのである。つまり,規制緩和や市場に委ねるという,統計数字に依存しない「市場原理」=市場動向に丸投げするような政策提言が大手を振って闊歩するようになった。いわゆる「市場原理主義」と言われるものであるが,これは民間企業の自由な経済活動や個人の消費行動に判断を任せるというものであるから,政府で国内経済の数量的総体を把握する必要もなくなってくる。引いては,マクロ数量モデルも統計数字もそれほど意味をなさなくなる,というパラドックスが発生した。

 完全自由競争は大多数の敗者と絶対的勝利者である独占体を生み出す。そして,これが国家独占体になり,統制経済に移行する。統制経済や計画経済に移行すれば社会全体の利益は過不足なく合理的に運営される。という論争が1930年代に展開された。そして,この論理を承認するためにはマルクシズムを受け入れなければならなくなる(注2)。とは言いながらもソ連方式とは異なった自由主義経済の中で,統制を図らなければならない,と当時のケインジアンは主張している。この論争から結局導き出される事は,経済分析は統計学的にも数学的精緻化をいくら追及しても,モデル分析や統計解析は一定の明示的説明としては有効であっても,「会計報告」の様にはならない,ということではないだろうか。

 2008年の中谷巌教授は『資本主義はなぜ自壊したのか—「日本」再生への提言』で新自由主義との決別を宣言したが,この時は中谷教授ただ一人が「早期退職」したという印象であった。だが,保護貿易主義の発言が強まる中で主流派経済学といわれる全体が,この流れに合流したというイメージが形成されつつある。「資本主義の自壊」とはかなり大胆で非現実的なタイトルだが,保護主義者による経済学界への注文もかなり破壊的ではある。何れも冒頭で指摘した学術的論議を踏まえたものとは考え難い現象である。

 本稿ではいくつかの論点を提起したが,工学的手法の有効性を検証する意味でも,下記のデータを紹介したい(注3)。

[注]
  • (1)竹内啓『歴史と統計学---人・時代・思想』日本経済新聞出版社,2018年7月,p.198。
  • (2)有井治『自由価格と統制価格』有斐閣,1939年5月,p.221。
  • (3)江尻陽三郎・元いわき明星大学教授によれば,産業連関表に基づくスカイライン図表及びその元データを,国際経済の研究者・実務者に提供可能である,とのことである。ご希望の方は,次のメール・アドレスにアクセスして頂ければ幸いである。[ASEANや近隣アジア諸国10カ国の4時点データ(1985・1990・1995・2000)]*江尻Eメール・アドレス:ctrnw261@ybb.ne.jp
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1176.html)

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