世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1149
世界経済評論IMPACT No.1149

米国トランプ政権下で再認識すべきWTOの意義

松村敦子

(東京国際大学 教授)

2018.09.10

 米国トランプ政権の輸入制限的な貿易政策が世界貿易体制を混乱させている。2018年3月23日にトランプ政権は,国家安全保障を目的とした通商拡大法第232条に基づき鉄鋼に25%,アルミニウムに10%の追加関税を賦課した。また中国の知的財産権侵害等を理由に,通商法301条に基づき米国の対中国輸入の500億ドル分に高関税を賦課する方針を打ち出し,7月6日の第1弾で340億ドル(818品目)分についての25%の追加関税,8月23日の第2弾で残りの160億ドル分(279品目)についての25%の追加関税措置を発動したため,中国側も同規模で報復的な追加関税措置を実施した。米国はさらに第3弾の追加関税も検討している。

 世界の国々が第二次大戦後に築いてきたGATT=WTO体制の下での貿易自由化に逆行するこうした保護主義的な政策は,非常に危険と言わざるを得ない。言うまでもなく,WTO(世界貿易機関)協定はGATT(関税及び貿易に関する一般協定)の精神を引き継ぎ,市場経済原則によって世界経済の発展を図るべく,「関税その他の貿易障害を実質的に軽減し,国際貿易関係における差別待遇を廃止する」ために締結された相互的かつ互恵的な取極である。WTO加盟国は,この協定に明記される条項,それに基づく決定事項を遵守する義務を負っている。

 安全保障のための自由貿易の例外規定はGATT第21条に規定されているものの,今回の米国による鉄鋼,アルミニウムに対する追加関税発動に関して,追加関税対象とされた国々は,本措置が国家安全保障上の問題による関税適用という説明では正当化できないとして,WTOの紛争処理手続きを求めて次々と米国を提訴している。2018年4月5日の中国の提訴を皮切りに,5月にインド,6月にEU,カナダ,メキシコ,ロシア,7月にノルウェー,スイス,8月にトルコが提訴した。WTOの紛争処理手続きには時間がかかることから,中国などは紛争解決を待たずに報復関税措置を採っている。

 WTO協定の紛争解決に関する仕組み,規則及び手続については,WTO協定〈附属書2〉における「紛争解決に係る規則及び手続に関する了解」において,一方的措置の禁止,(一審に相当する)紛争解決のための小委員会(パネル)の設置及びパネル報告の採択の自動性,紛争解決に係る時間的枠組み,(二審に相当する)上級委員会の設置等による紛争解決手続の一層の強化が規定されている。2017年のWTOの貿易紛争処理活動の総数は月平均で38.5件と,2014年以降最高数を更新しており,貿易紛争処理はWTOの重要な機能として定着してきた。一方で2018年のWTO年次報告では,処理すべき件数の増加により紛争解決の遅れが生じることを指摘しており,さらに委員会議長の発言として,紛争解決の遅れはルールを重視するWTO体制の価値低下を招くとした懸念が表明されている。

 紛争処理手続きの機能保持に関するもうひとつの問題は,(二審に相当する)上級委員会委員の欠員が補充できていないことである。上級委員の定数は7名であるが,2017年8月1日に韓国の委員が退任し,同年6月30日にメキシコの委員が,同年12月11日にベルギーの委員がそれぞれ二期8年の任期満了により退任した結果,2017年に3名の欠員ができた。本来ならば2017年末にこの欠員が補充されなければならなかったが,2018年のWTO年次報告によれば,欠員補充に関してWTO加盟国間で合意に至らなかったとされる。

 さらに深刻なのは,2018年8月27日に米国が,2018年9月に任期切れとなるモーリシャスの上級委員の再任を認めないと伝えたことである(「米,WTO「判事」再任拒否」『日本経済新聞』,2018年8月28日付)。WTOの加盟国全会一致方式により,米国の再任拒否は上級委員数減少をもたらすことになるが,これによる紛争処理機能低下は米国の目指すところではないかという見方もある。結局,7名の定員のうち4名が欠員となり,2019年に任期切れとなるインドと米国の上級委員,2020年に一期目を終える中国の上級委員の3人が残ることとなるが,上級委員会審理は1案件を3人の上級委員で担当する決まりがあることから,2018年9月以降は非常に厳しいぎりぎりの体制となる。

 トランプ政権はWTOに対し,企業補助金や知的財産権侵害に関連する貿易問題への対処,上級委員の判決,審理期間の長さ等で,不満をあらわにしていると伝えられる(前述の日本経済新聞記事による)。しかし上述したとおり,対象国によるWTO提訴を多発させるようなルール上問題のある貿易制限措置の相次ぐ実施,WTOの機能を麻痺させるような決定を下す方策は,WTOの将来に不安をもたらすものでしかない。日本などWTO主要加盟国は,WTO機能低下を招く事態にしっかりと対処するための建設的提言を行うと同時に,WTOにおける「ルールに基づく自由な世界貿易体制」確立に向けた努力継続の必要性を広く発信していくことが重要である。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1149.html)

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