世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1005

グローバル化と国際化

西 孝

(杏林大学総合政策学部 教授)

2018.02.05

 この区別それ自体は,おそらく特に目新しいものではないであろう。言葉というのは良くも悪くもネットワーク外部性の最たるものであるから,今さらその使い方をとやかく言うのはペダンティックのそしりを免れないかもしれない。しかし単なる言葉を超えて一つの概念として考えるとき,その意味するところを常に意識するのは重要であり,それを怠ることは思考停止をもたらすことになる。というわけで,あらためて「グローバル化」と「国際化」の使い分けを論じてみたい。

 もっとも重要なポイントは,「国際化」においては「国家」「国境」というものが厳然としてあり,それがとりわけ重要な役割を果たしていることである。その上でそれを超えて,ヒト・モノ・カネ,あるいは政治的・文化的交流が行われるのが「国際化」である。

 これに対して「グローバル化」は,直訳すれば「地球化」であることからわかるように,「国家」や「国境」の役割自体が意味を成さなくなる現象を指す。「国家」や「国境」はあるにしても,その内側と外側との間に差がないことを意味するのである。

 さて,そのように考えると,昨今の世界は果たしてどれほど「グローバル化」しているのだろうか。おそらく誰もがそのような意味での「グローバル化」を実感する典型的な機会がインターネットであろう。言語を別としてさまざまなサイトをPC上で行き来する時に,私は国境というものをあまり意識することがない。温暖化に代表されるタイプの環境問題も,国境や排他的領域に限って地球を暖めることはないから,そのおよぼす影響はしばしば国境とは無関係なものである。また,外国為替市場も24時間,常に地球を周回しており,国をまたいで市場間の鞘で利益を上げることはほとんどできない。

 しかしさらに探索を進めると,限界的な発見量は途端に逓減することに気づき始める。世間を賑わすオリンピックも,あなたが自国の選手を贔屓にし,日本選手が獲得したメダルの数を数えて,それを他国と比較して競うのであれば,まさに「国家」の存在は決定的に重要である。

 農産物の取引について,東京と新潟の間では生じ得ないことが,日本と外国の間には生じる。最近は「原料は国産です」という表示をやたらと目にするようになった。観光旅行英語の基本単語である「sightseeing!」は,「決して仕事を探しに来たのではありません」という意味だ。

 そして一部の例外を除いて,国によって用いる通貨は異なっている。これは「わが国でお買い物をする時には,原則としてわが国の通貨を使ってください,あなたの国の通貨は使えませんよ」と言っているわけだ。

 われわれの日常において,「国家」や「国境」の内側と外側の差はなお顕著であり,われわれにはそれをまたぐことはできても,その差異が意味を成さなくなるような機会はまだまだ多くはないのである。

 したがって,「グローバル化」の代表選手のように言及されることの多い多国籍企業も,実はここでいう意味においてグローバルなのではない。むしろ多国籍であることは「国家」や「国境」による人件費,物価,消費嗜好,法・税制度の違いを利用して収益を得ているのであり,まさに「国際化」の申し子なのである。多国籍企業は無国籍企業ではないのだ。

 近代国家が登場する以前のグローバル交易は,自然的な要素賦存の相違,あるいは文明の自然的な相違をおもに利用することで,その差異から利益を上げていた。近代国家の登場は,むしろそれに加えて制度的,法的,文化的な相違を,まさに「国家」という形で「国境」の内側と外側に新たに生み出したのである。多国籍企業は,発達した流通・運輸・情報手段を駆使して,その利益を絞り尽くしているという意味で,国際的なものの中でもっとも国際的なものである。

 逆説的であるが,近代国家が現れることで「国内市場」というものが生み出された。そのためには統一された度量衡,価値標準,法的規制が必要であり,経済学が分析の対象としつつ崇めてもいる自由市場とは,そのような国家的規制の下で初めて機能するのである。自由な市場と政府の規制を対立的にのみ考える教義ほど有害なものはない。

 「グローバル市場」なるものが存在し得るとすれば,そこには国内市場における国家に相当する統制の主体がなければならない。そこにたどり着くはるか以前に,「国家」「国境」を超えた国際的な取引においても,異なるルールの調整,調和が求められる。

 忘れてならないことは,かつてはそのような国家間のルールの策定,調整は軍事力をもってなされていたということである。今日においては国家間の戦略的な合議によってそれがなされるようになったが,その背後にある政治的・軍事的安全保障がまったく無縁になったわけではない。

 トランプ大統領の「自国優先主義」にことさら過剰反応するのも,現代の世界経済における「国家」の役割を忘れているからであり,その遠因が「グローバル化」の不適切な使い方による思考停止にあるとすれば,このエッセイを書いた意義もあるというものだろう。

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