世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.920

日本に適した通商交渉はバイかマルチか:拡大TPPこそ模索すべき道

金原主幸

(国際貿易投資研究所 客員研究員)

2017.10.02

 このところ,日本では通商分野は小休止のような観がある。一昨年10月のTPP大筋合意(米国アトランタ)で大きく膨らんだアジア太平洋新時代への期待が,トランプ大統領によるTPP離脱宣言で一気に萎んでしまったことが最大の要因だろう。TPP11での発効に向けた交渉が始まっているが,米国抜きのTPPでは産業界も盛り上がらないし世間の関心も低い。7月の日EU・EPA大筋合意はたしかに朗報だが,一筋縄ではいかない未決着項目が残っており,最終合意と発効はまだまだ先の話だ。「仮死状態」のWTOドーハ・ラウンドについては,もはや誰も話題にすらしない。もっとも,これから本格化する日米対話が日米FTA交渉へ発展する見通しがあるならば,今は嵐の前の静けさなのかもしれない。

 このように目下,メディアを賑わすようなホット・イシューがないなか,本稿では,これまでの日本の通商交渉を振り返ってバイ(二国間)とマルチ(多国間)を比較し,日本にとってどちらがよいのか若干の思いをめぐらせてみたい(バイに対してWTOの場をマルチ,それ以外をリージョナルやプルリとする分け方もあるが,本稿では便宜上,バイ以外はすべてマルチという呼称を使用している)。

 結論を先に言うと,筆者は日本にはバイよりもマルチの交渉のほうが向いているような気がしてならない。むろん,実際のFTA/EPA交渉では,日本独自の判断でバイでいくかマルチにするか決められるわけではないし,これまでに締結した協定の殆どが2国間である。ただ日本の特異性に鑑みるとマルチを重視すべき理由が,少なくとも3つある。

 ひとつは,貿易投資の国際展開への効果の違いである。日本の企業群のなかでFTA/EPAを最大限活用すべき主役は,グローバルなサプライ・チェーンを構築する電機・自動車等の製造業部門である。彼らにとって,一カ国のみ相手のバイの協定よりも特定の地域全体をカバーするマルチの協定のほうがビジネス戦略上,好ましいことは論を待たないだろう。AJCEP,RCEP,そして本来のTPPがこれに該当する(日EU・EPAの場合は,交渉形式はバイだが,経済効果はマルチ)。

 2点目は,日本の外交力に係わる問題である。バイの交渉の場合,通商分野以外の要素が入り込み政治問題化しやすい。かつての鉄鋼,自動車,半導体等をめぐる厳しい貿易摩擦時代の日米交渉がまさにそうだった。他方,複雑な歴史問題を抱える中国や韓国等との交渉では,たとえ日本側の提案・要求が通商政策上,正当なものであっても,相手側の理不尽な抵抗にあって交渉が進捗せず頓挫するか水準の低いFTA/EPAで妥協せざるを得ない結末となる恐れがある。これが多数の国が参加するマルチの交渉であれば,澱のようにこびりついた日中・日韓特有の問題が少なからず薄まると期待できる。

 敢えて楽観的見通しを示せば,次のようになる。TPP11が発効した後,頭を冷やした米国(トランプ政権かポスト・トランプ?)が復帰し本来のTPPが完成する。すると,以前から参加希望を表明していた韓国(およびタイ等の未参加のASEAN諸国)が参加し,それに続いて中国が戦略的判断から参加に前向な動きを本格化する,といった見立てだ。知財権の強化や国有企業への規律等々の高水準なルールは他のFTA/EPAには前例のないTPP独自のものであり,仮に日中バイのFTA/EPA交渉を行ったとしても獲得できるとは到底考えられない。もし中国のTPP参加が実現すれば,結果的に日中間ビジネスやTPP域内での日中企業間競争においても中国がTPPルールで縛られることになる。ここにも日本にとってのTPPの意義とマルチ交渉の利点がある。

 3点目の理由は,日本の通商交渉スタンスが「攻め」よりも圧倒的に「守り」重視型であることだ。むろん,守りとは殆ど農業分野のことであり,通商問題における国内の政治エネルギーは「国益」という言葉の下にここに集中する。他方,攻めについてはさほど力が入らない。通常,攻めのための所謂タマ出しは,交渉開始に先立って交渉当局からの要請を受けて産業界から行うことが多いが,いったん交渉が始まれば「○○がとれるまで,絶対に降りるな」といった圧力を特定の輸出企業が交渉当局にかけることなどまずない。個別の業界や企業がUSTR(米国通商代表)に対してとりたいものを直接突きつけ,交渉過程まで監視する米国とは全く状況が異なる。よくも悪くも日本の企業は大人しい。

 このため,これまで日本が締結したFTA/EPAを概観すると,守り(農業)はしっかりできているが,攻め(相手国の工業品関税引き下げ等)は全く不十分なまま妥協したケースが少なくない。守り優先の日本は受け身の交渉スタイルとなる場面が多いため,バイでは,交渉戦略上,どうしても不利になる。これに対してマルチの場合では,日本以外の交渉参加国(例えば米国)が強硬な姿勢で他の交渉参加国を攻めて獲得した成果は原則として全ての交渉参加国に均霑されるので,日本は他国の交渉努力にただ乗りできることになる。米国がリードしたTPP交渉がその好例だった。

 さて,あらゆる外交局面でバイ志向の際立つトランプ大統領の下で日米FTA交渉が始まると,どうなるのか。上述の2点目の文脈では,中国の露骨な海洋軍事進出や北朝鮮の核・ミサイル脅威に直面する日本に対して,米国は外交・安保問題と通商分野を絡ませ,理不尽な要求を突きつけてくるかもしれない。貿易摩擦時代の「リンケージ」戦略の復活だ。3点目の文脈でも,懸念は尽きない。日本の国内規制にまで踏み込んで露骨に内政干渉し,ギリギリ攻めてくる米側に対して,日本側からの米国市場に対する要望事項は限られている。相対的に米国市場は規制が少ない上,日本企業は文句を言う前に努力して対応してしまうからだ。

 このように考えてくると,いかに困難であっても日本が目指すべき道筋はやはりTPPが中核となるのではないだろうか。すなわち,まず早急にTPP11を発効させ,バイのFTA交渉に持ち込まれる前に米国をTPPに復帰させ,中国から見たTPPの戦略的価値を高める。日本の総合的な外交力が問われることになる。

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