世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.918
世界経済評論IMPACT No.918

労働生産性と教養:欧州的パワー・リトリートのすすめ

金子寿太郎

(国際金融情報センター ブラッセル事務所 所長)

2017.09.25

 「夏休みをどう過ごしましたか?」というのは9月の欧州で頻繁に聞かれる質問である。欧州の人たちは通常2週間以上のバカンスをとるので,こう聞くことによって様々な回答が得られる。国内外の旅行を柱としつつ,その間,スポーツであれ,芸術鑑賞であれ,実に精力的に活動していることに驚かされる。彼らにとって,長い休暇を有効に使ったことはアピールすべきことで,少なくともやましく感じるべきことではない。

 これは,プライベートの友人・知人関係でのみ当てはまるものではなく,むしろ仕事上の付き合いがあるハード・ワーカーほど,休暇をどのように過ごしたかを積極的に話し,また相手に尋ねる傾向があるような印象がある。もっとも,筆者はこうしたやり取りを真剣な仕事上の会話の息抜き程度にしか位置付けていなかった。

 しかし,どうもそうではないのではないか,と思い始めている。OECDの統計によると,日本の労働生産性は先進国の中で低位にある。極論すれば,これは日本人の能力が低いせいではなく,労働時間が長いせいである。労働時間と生産性の間には部分的な負の相関があり,ある程度の時間以上働くと生産性は落ちていく。プライベートを犠牲にしながら残業しているにもかかわらず,それが非効率の原因というのでは,多くの日本人にとって何とも切ない。

 なぜ日本人の勤務時間が長いのか,については様々な要因が考えられる。ただ,欧州から見ると,仕事の質への拘りが大きな要因であるように感じる。仕事の質に関して,欧州ではかなり割り切った考え方を取っているように見受けられる。つまり,最初から完璧を目指すのではなく,問題が判明してから必要な対応をとる,という発想である。

 もちろん,国や地域に関係なく,最初から完璧を目指さなければならない類の業務は存在するし,完璧への拘りが日本の競争力の源であるとも思う。とはいえ,欧州にいると,多くの類の業務はその程度のスタンスでも致命的なことにはならないのではないか,という気にさせられてしまう。完璧を目指すあまり,日本の職場には,決して不要ではないが,不可欠でもない仕事が相対的に多いのではないか。仕事に対する意識改革によって,日本人の勤務時間を効率的な水準にまで減らすことはできる筈だ。

 とはいえ,勤務時間を短縮すれば,それで良いのだろうか。大事なのは,自由な時間を使って何をするかの筈である。働く日本人の余暇活動については,テレビなどを観て過ごす時間が非常に長いという調査結果がある。もちろん体と頭を休めることは仕事に打ち込む上で不可欠の前提である。長時間残業で疲弊した後なら尚更であろう。また,番組を選べば,テレビなどを観る時間も有意義なものにできる。しかし,それだけでは少し物足りない気もする。

 欧米人は,パワー・リトリート(power retreat)という言葉を好んで使う。リトリートは引籠ることである。一方,パワーはこの文脈では何を表しているのであろうか? まず思いつくのは充電といったニュアンスだが,それに加えて,精力的という意味合いもあるように思う。つまり,パワー・リトリートとは,休暇後の仕事に向けて力を充電するべく,日常から離れた環境で精力的に休暇を活用する,ということではないだろうか。

 筆者はEU機関の当局者等とよく会うが,長い時間話していると,話題は歴史,文学,美術,科学,スポーツ等,様々に展開していく。身近な例を挙げると,ある局長はバカンス中に覚えたという論語の短文を幾つか解説してくれた。中世の日本文化に興味を持った別の局長は,相撲の歴史やその背景にある思想について,興味深い自説を披露してくれた。また,よく知られているように,ヴァンロンプイ前EU大統領は俳句の名手である。教養について語っている相手は,それまでのややもすれば無機質な仮面が剥がれ落ち,生き生きと魅力的なオーラを放ち始める。こうした時,筆者は相手の新たな一面が見えてきたような気持ちになり,以前より親密に感じる。。

 最近になって,こうした人達は教養に関する意見交換を通じて,相手の本質を見極めようとしているのかもしれない,と考えるようになった。仕事を人間関係の観点から捉えたとき,個々の案件は「点」に過ぎない。ある案件では所属組織の立場の違いなどから歩み寄れないこともある。しかし,違う案件であれば,そうとは限らない。長期的に重要なことは,目の前の相手が「線」,更には「面」の関係を構築するに足る人物か否かであろう。

 教養は,考え方の幅を拡げるのに役立つ。日々の職場において,様々な観点から多様な意見を出せることは大きな貢献になり得る。しかし,本質的にもっと重要なのは,教養にはその人の関心事項や問題意識だけでなく,人格や世界観さえも表れる,ということであろう。異なる文化的背景を持つ相手と相互理解を深め,確たる信頼関係を築こうとするようなときには,内面の深い部分で共感し合えることが欠かせない。そう考えると,教養と労働生産性の間には,休暇を介して正の相関があると言えよう。

 教養は勤務時間中に磨くものではない。日本人は,休暇の意義を単なる休息を超えてより積極的に捉え直した上で,戦略的にこれを活用すべきではないか。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article918.html)

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