世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
トランプの衝撃と波紋:背水のTPP,落としどころは良くても再交渉
(杏林大学 名誉教授)
2016.12.26
■TPPに隠されたもう一つの意義とは
TPPの隠された戦略的意義は,自由化も中途半端,ルールも守らない,国有企業が頑張っている中国に,自由化とルールに従わせることである。中国の「国家資本主義」の「国家」を取り除きたいと米国は思いつづけてきた。中国では政府が市場に介入しすぎる。子どもの喧嘩に親が手を出すようなものだ。
国家資本主義との戦いの一手が,TPPによる「中国包囲網」だった。米国はTPPの発効後,将来的に中国も含めてTPP参加国を拡大し,FTAAPを実現したいと考えていた。国有企業,政府調達,知的財産権などで問題の多い中国に対して,TPPへの参加条件として,「国家資本主義」からの転換とルールの遵守を迫るというのが,米国の描くシナリオであった。
昨年10月にTPP交渉が妥結した直後,台湾,韓国,タイ,フィリピン,インドネシアなどがTPP参加の意向を表明した。レベルの高いTPP交渉に参加できず,TPPによる中国包囲網を警戒していた中国は,外堀を埋められるかと焦ったはずである。
ところが,まさかの事態が起こった。TPP離脱を明言していたトランプが次期大統領に就任することになり,TPPの発効が全く見通せなくなった。TPPの頓挫は米国の自滅によるもの,オウンゴールみたいなもので,「命拾い」する中国はさぞかし笑いが止まらないだろう。米国がTPPを離脱すれば大きな墓穴を掘ることになるが,それで本当にいいのだろうか。
■米産業界は黙って指を銜えているか
一方,トランプは,TPPから離脱する代わりに,主要な貿易相手国と2国間FTAを締結していくと言い出した。だが,それは世界貿易の潮流に逆らうものであり,周回遅れの発想だ。2国間FTAには飽き足らず,メガFTAの締結を強く望んだのは米産業界ではないか。
サプライチェーンのグローバル化に伴い,2国間FTAの限界も明らかとなった。2国間FTAでは,サプライチェーンが展開される国の一部しかカバーされない。サプライチェーンをカバーするために複数の2国間FTAを締結しても,FTAごとにルールが異なれば,企業にとっては煩雑で使い勝手が悪いものとなる。こうしたスパゲティ・ボウル現象を避けるためには,サプライチェーン全体をカバーするTPPのようなメガFTAが必要だ。
米産業界は,TPPの発効をアジア太平洋における米企業のビジネス環境を改善する絶好のチャンスだとみていた。米産業界が,TPPの頓挫を黙って見過ごすとは思われない。トランプ新政権が発足すれば直ちに反撃に転じ,水面下で激しいロビー活動を展開するだろう。
トランプがTPPをベースに2国間FTAの締結交渉をすると言っていることの裏を読む必要がある。現行のTPPの承認を否定し,NAFTAの時のように,TPPの補完協定に11カ国を誘いこむ算段もしれない。トランプの腹は,「TPP離脱と言って,最後の落としどころは再交渉。補完協定を締結する」と見るのは,深読み過ぎるか。
■参加国は国内の発効手続を進めるべきか
今年11月下旬,米国のTPP離脱が懸念される中で,ペルーのリマでAPEC首脳会議が開催され,リマ宣言で「TPP参加国は国内発効手続きを進めるべき」ことを確認している。TPP発効に向けて「協調を演出」した形だ。
トランプが米国のTPP離脱を表明しても,英国のEU離脱交渉とは違い,面倒な離脱手続きなどはなく,ただ米議会が批准しなければよいだけの話だ。ということは,逆に見れば,離脱表明しても気が変われば,いつでも議会の承認を取り付けることができる。
したがって,トランプがTPP離脱を表明しても,各国が国内手続を進めることにはそれなりの意味がある。TPPの戦略的な重要性をトランプ新政権に再認識させるため,APECリマ宣言に基づき,日本は率先してTPP協定案を承認したが,それは大いに評価すべきであろう。
■補完協定の再交渉に舵を切れ
片足を棺桶に突っ込んでいるTPPをどうするか,本当に悩ましい問題となってしまった。トランプへの説得が功を奏して,現行のままTPPの承認を米議会から得るのがファースト・ベストだが,可能性は非常に薄い。
トランプが「就任100日行動計画」の中でTPP離脱を明言している以上,2年後の中間選挙を意識すれば,「米国にとってプラスになるように変えた」という形をつくらずに,米新政権が現行のままTPPを容認するのは極めて困難な状況である。したがって,TPP離脱が回避され,TPP発効に向けて首の皮一枚残るとしても,TPPの一部見直しがなければ,米国でTPPの批准は得られそうもない。
しかし,それは米国の身勝手な論理であり,他のTPP参加国からすれば,更なる譲歩を迫られる「ふざけた話」に映るに違いない。各国の利害が交錯するなか,5年半にわたる交渉の末にようやくまとまったガラス細工のようなTPP合意だ。もし再交渉になったとしても,上手に調整しないとまとまらないだろう。
ファースト・ベストに固執しすぎるのは,TPPにとって危険である。セカンド・ベストの選択を考えておくべきだ。TPP発効を求める米国の産業界と共和党議員たちが,あの手この手でトランプへの説得工作を強めていくだろう。どうすれば,プロレスのようにトランプを羽交い絞めにすることが可能か。
再交渉がTPPの落としどころである。日本は米国のTPP離脱を思い止まらせるよう,落としどころを睨みながら,最大限の外交努力をすべきである。TPPを支持する米国の関係者が,それを「渡りに船」と考えてトランプ新政権を突き動かせば,NAFTAと同じように,別途,補完協定を締結するための再交渉の道を開くことになるかもしれない。最後のTPPアトランタ会合で揉めた知的財産権や原産地規則などに絞れば,影響も限定的となろう。
日本が2国間の日米FTAの交渉を受け入れる覚悟があるならば,事実上,TPPの補完協定のための再交渉に舵を切るべきだ。米国の対日要求をかわすという点からみると,再交渉の対象が圧倒的に絞られ,要求も各国に分散するため,日本への風当たりは弱くなる。外科手術で大量出血をする心配はなく,傷口に大きな絆創膏でも張る程度で済むかもしれない。
■日本が「一皮むける」ためには
日本が補完協定の再交渉を拒むべきでない理由が,もう一つある。日本の自由化率は,全体で95%,農産物は81%で,これは他の参加国と比べてダントツに低い数字である。日本の交渉力を褒めるべきか,それとも「頑張り過ぎ」であり,アジア太平洋において自由貿易を牽引していく国としては恥ずかしい数字だと見るべきか,評価は分かるが,私は両方だと思う。
再交渉で自由化率を引き上げる姿勢をTPP参加国に見せるべきだ。日本の交渉力は捨てたものではない。農産物の自由化率を引き上げるとか,コメの段階的な関税撤廃を最後のカードに使うべきだ。再交渉に向けて12カ国をまとめていけるか,調整役としてリーダーシップを発揮してこそ,日本はアジア太平洋のリーダーとして「一皮むける」ことができる。
- (追記)トランプ・ショックの影響について詳細は,世界経済評論IMPACT PLUS「鼎談:アジアの経済統合の行方とトランプ・ショック」を参照されたい。
関連記事
馬田啓一
-
[No.3405 2024.05.06 ]
-
[No.3295 2024.02.12 ]
-
[No.3062 2023.08.07 ]
最新のコラム
-
New! [No.3581 2024.09.30 ]
-
New! [No.3580 2024.09.30 ]
-
New! [No.3579 2024.09.30 ]
-
New! [No.3578 2024.09.30 ]
-
New! [No.3577 2024.09.30 ]