世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.694

英国はEUを離脱するのか

田中素香

(東北大学名誉教授,国際貿易投資研究所客員研究員)

2016.08.15

 6月23日の国民投票を受けて英政府はEU離脱を決定したことになっている。だが,英国は本当に離脱するのだろうかという疑問を感じる。理由がいくつかある。

 第1.メイ首相は離脱交渉開始を「来年以降」としている。5年後も10年後も「来年以降」である。交渉開始を決める権限は英政府にあり,EUには強制する権限はない。離脱プロセスは,①英政府が離脱プログラムを決める。②EUに離脱を通告し原則2年間の交渉。③離脱協定により離脱,という3段階である。目下第1段階にあるわけだが,この第1段階がずるずる延びていけば,英国はその間EU加盟国としてやっていく。

 「10年後」というのは極論だが,そういう言い方をメイ首相はしているのである。来年秋のドイツ総選挙後にずれ込む可能性はかなりあるのではないか。

 第2.離脱プラン作成の作業は困難を極めるのではないか。5年くらいかかっても不思議ではない。実務的にまず大変だ。英国とEUの間には多国籍企業(金融機関を含む)が国境を越えるサプライチェーンを形成しているので,英国が切り離されてしまうと,たとえば,英国から大陸に輸出される乗用車には10%の関税がかかる。これでは双方の企業が困るので,英政府もEU側も関税ゼロをはじめ現在と同じような貿易条件を確保してやらないといけない。このような相互の譲歩は農産物を含めて何十万という貿易品に妥当するわけであり,双方は「英国は離脱しても実質的に残留」という関係を構築しないといけない。

 交渉がこじれるとそうはいかないので,メイ政権が残留に舵を切る方が確実だし,政府の負担軽減にもなる。これまで通商問題は通商政策といい関税同盟といい,EUの「排他的権限」に属しているので,それを担当する役人は英国にはほとんどいないのである。貿易・投資担当省はこのたび,EUとの交渉を担わせるために職員を40人から300人に急遽増やすが,にわか増員でカネはかかるは,効率は低いわ,といった困った事態に直面するであろう。離脱のための新設の2つの省をはじめ,農業・環境,単一市場関連,その他多くの省庁が同じ問題に直面しているであろう。


 第3.国内に残留・離脱をめぐる厳しい対立があり,国民の大多数を満足させるような離脱プランが完成するだろうか。国民投票では南イングランド,スコットランド,北アイルランドのアイルランド国境側,西ウェールズで残留票が過半,北イングランドと北アイルランドの北側で離脱票が多数だった(北イングランドにはマンチェスター,リバプールなどいくつか残留票多数の地区があった)。英国には地域に断層線が走っている。英国離脱になるとスコットランド独立,アイルランド統一など,非常に怖い政治の大問題が浮上するかもしれない。そのほかにも,若い世代と老年世代の間,労働党と保守党の間,党内にも,そして離脱派の中にも自由貿易派と保護貿易派の間に,断層線がある。それを乗り越えることの出来るような離脱プランができるのだろうか。

 第4.英国では国民投票を国政への「助言」と位置づけ,下院の決定で国家方針を決めることができる。メイ内閣の閣僚23人のうち3分の2以上は残留派(残留派16人,離脱派7人)であり,下院議員の多数も(おそらく3分の2程度)残留賛成である。

 結論。メイ政権がEU残留へと舵を切り直す可能性もあるのではないか。メイ政権が残留へ舵を切り直す可能性を頭の隅に置いて,英政府の動向などもしっかりと観察することが,この問題に関わる日本企業には求められている。

 英国はEU第2の経済大国でGDPはEU全体の17%,ユーロ取引においてもロンドン金融市場はハブであり,また軍事力・諜報力では欧州第一位だろう。交渉力は高い。

 離脱交渉で「形式は離脱だが実質残留」の関係をさしあたり離脱後数年間維持できるような脱退協定へとまとめていく自信が出来れば,英政府は離脱交渉を開始するであろう。だがEUと27加盟国という相手のあることであり,「形式離脱,実質残留」という条件を勝ち取れるかどうか,リスクは小さくない。

 残留を決めれば,スコットランド独立といった将来のリスクを回避することもできる。メイ首相は名首相として英国の歴史に残るかもしれない。

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