世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.693

一笑に付せない「我社の常識は世の非常識」

安積敏政

(甲南大学経営学部 教授)

2016.08.15

 個々人の持つ「常識」とは極めて多様なものである。「常識」である以上,社会通念上,一つの収斂された知識であり,あまねく通用するはずである。同様に個々の企業の持つ「常識」も極めて多様である。当該企業に創業以来培われてきた風土の上に築き上げられた「常識」も当該企業の社員から見れば,一つの収斂された知識であり当該企業の中では広く通用しているはずである。

 筆者が民間企業からアカデミックな世界に入って以来,毎年20回程度,大手企業から講演や幹部研修の講師を依頼される。役員研修もあれば事業部長や部課長の研修もある。半日研修,終日研修,週末の2日間にわたる泊まり込み研修もある。グループディスカッションなど研修が佳境に入ると,どの企業でも良く出てくる言葉に「先生,我社の常識は世の非常識なのです」とか,「世の常識は我社にとっては非常識なのです」というのがある。これらの言葉は,自社の企業風土を称賛しているというよりは明らかに自虐的に揶揄(やゆ)している際に使われている。社内の眼に見えない「常識」が大きく立ちはだかり,なかなか経営改革が出来ないと言いたいのである。

 個々人の持つ「常識」とは,長期間にわたり本人に培われた倫理観であったり,家庭や職場での躾の中から身についた知識や知恵であったり,数多くの経験から自分なりに納得した経験則であったり,学問を通じて習得した知識など様々である。そしていったん正しいものとしてそれなりに身についた「常識」は,今度は『先入観』として機能することになる。

 世界を駆け巡って活躍する国際ビジネスパーソンの「常識」も,ある時は“流石だね”となり,ある時は“まさか”,“そんな馬鹿な”という「常識外れ」となる。

 例えば,「ネパールの人口はおおよそ何人か」と尋ねると大半の日本人の答えは「ブータン,ネパールはせいぜい100~200万人規模でしょう」となる。実際のネパールの人口は予想を1桁上回る2,600万人でオーストラリア,マレーシアなどと同じ規模である。中国やインドの人口を正確に答えられる人が,ネパールの人口を10倍も読み違えるのは,普段ネパールに関心がないことと,時折耳にし,目にするネパール情報が偏っているからであろう。

 同様に,「1990年の東西ドイツ統合前の旧東ドイツと日本の国土面積ではどちらが大きいか」と尋ねられたら,多くの人は躊躇しながら「やはり東ドイツかな」と答える。「それでは西ドイツに旧東ドイツを加えた現在の統一ドイツと日本の国土面積はどちらが大きいか」と尋ねられたら,多くの人は躊躇なく「それは当然,ダントツ現在のドイツ」と答える。実際は島国日本の国土面積がまだ上回る。ドイツの国土面積に勘違いが起こるのは,小学校や中学校時代に学んだ社会科の地図帳に出てくる2頁にまたがる“広大な”ドイツの地図や欧州全土地図のイメージがあるからであろう。実際にドイツに住んだことがある人や行ったことがある人なら,“現場”を踏んでいるので正しい距離感を持って答えるであろう。

 次に「アフリカの上位4か国と韓国1か国の経済規模(2015年名目GDP)を比べたらどちらが大きいか」という問いに対して大半のビジネスパーソンは,「当然アフリカ」と自信をもって答える。それは,豊富な鉱物資源国の南アフリカ,工業国エジプト,巨大な産油国のナイジェリア,アルジェリア,リビアなどを瞬間的にイメージするからである。実際は韓国の方がはるかに大きいのである。かつて日本のGDP500兆円の10分の1以下だった隣国・韓国の経済が今日では日本の約3割の150兆円規模に躍進した事実に疎いことが背景にある。またアフリカの経済規模に勘違いが起こるのは,58か国からなるアフリカ大陸の国土面積や人口の多さが「それなりの経済規模になるはずだ」と考え,比較の判断を鈍らせるのかもしれない。

 以上の3つの事例に見られるように,誰しも先入観があるだけに勘違いの「常識」や根拠のない「常識」の事例は枚挙に遑(いとま)がない。ビジネスパーソンの「世界の常識」についての思い違いや勘違いは,本人の怠惰な学習態度にあるわけではなく,過去の歴史教育や地理の教育などにおける無意識の摺り込みに起因することが大きい。一人一人が何とはなしにそう理解しているということであろう。個々の企業内の「常識」と言われてきたものも長年の事業歴史の中でいつしか手垢がついて陳腐化し「常識外れ」となり,逆に自分自身を縛っている恐れがある。

 日々ダイナミックに変化する世界を相手に事業を行うビジネスパーソンにとって,そしてまた企業にとって,自分自身および自社の過去の「常識」はすべて疑ってかかる時代を迎えている。世界の経営環境次第では「常識」は常に変化するムービングターゲットなのかもしれない。「我社の常識はいつも世界の常識」とは限らないのである。

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