世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
インドのGDPが日本を追い抜く日
(甲南大学経営学部 教授)
2017.11.27
将来予測
日本の将来,アジアの将来,世界の将来,人類の未来を語ることはそう簡単ではない。過去と現在を語る時,起こった事実の解釈の仕方は様々あっても起こった事実は一つである。一方,将来や未来を語る時には,語る人の主観,価値観,社会観,国家観,世界観により無数の予測や予想が出てくる。かつて世界的に著名な未来学者に,故ハーマーン・カーンと故アルビン・トフラーがいた。著書をよく読んだが,個人的には予測された未来そのものへの関心よりも,むしろ「なぜそのように予測するのか」という根拠や背景や動機に興味が湧いたものである。今,アジアの二つの大国,中国とインドの将来に,世界が関心を寄せている。以下は中国とインドの将来をどのように見るのかという筆者の経験したエピソードと所見である。
松下幸之助の中国観
筆者がかつて勤務していた松下電器産業(現パナソニック)の創業者である故松下幸之助は,1979年ごろ「中国の時代が来る」と社内外で言い放った。当時,中国の鄧小平氏と松下幸之助の会談が2度行われていた。社内では役員から管理職,一般社員にいたるまでそんな時代が来るわけはないだろうと半信半疑どころかその発言に極めて懐疑的であったと記憶している。当時としては「アジアの時代が来る」と言われれば,ASEAN(東南アジア諸国連合)に40社を超える現地法人を持っていた同社の社員としては,なんとなく「そういうこともあるかもしれない」という消極的同意ができただろうが,「中国の時代が来る」というトップの発言には違和感と戸惑いを持ったのである。戦前に中国大陸で乾電池製造の上海工場を経営していた松下幸之助と,“文化大革命で混乱したよくわからない貧しい共産国家・中国”というイメージしかもっていない社員との間では,中国の将来性についての見方は全く異なっていた。多くの社員にとっては,「なぜそのような危ない国にわが社は投資をするのか」というものであった。
パナソニックの今日の中国の売上高は1兆円である。現在約60社ある中国現地法人の中で第一号として北京市にカラーテレビ用ブラウン管の合弁会社を設立したのが1987年である。合弁交渉に3年間ほど費やしていた時代である。あれから30年が経過した。社内外の多くの反対や疑問視の中で,当時中国投資としては巨額と考えられた資本金200億円で折半出資の合弁会社の設立を主導したのが創業者の松下幸之助である。この初の合弁会社の設立の可否が議論された同社の最初の常務会では,この案件は否決されている。不透明な中国の将来に誰もが懐疑的であったのが窺える。
関西財界セミナーでの講演
次にインドの将来についての筆者の拙い経験を紹介する。2008年2月,京都の国立京都国際会館で開催される関西経済連合会(関経連)と関西経済同友会共催の「第46回関西財界セミナー」で,分科会のスピーカーに指名されたことがある。関西地域の経済活性化のためには,その方策の一つとして今後はインドとの結びつきが大切であるという主旨のプレゼンテーションを行った。錚々たる企業の経営トップ600人ほどが二日間にわたって参加する大会議である。そのなかでの「アジアと関西の分科会」なので当然,中国,ASEAN同様,インドにも関心を持ち始めるだろうと勝手に予想していたが,「なぜインドがそんなに重要になるのだ」という半信半疑の反応であった。
今日,日本企業のインド進出成功事例として取り上げられる自動車のスズキのインド売上高は1兆円である。その現地法人マルチウドヨグ社(現マルチスズキ)にマイノリティ出資で合弁会社を設立したのは1982年である。あれから35年が経過した。トヨタ自動車,日産自動車など日本の大手自動車メーカーがインドに興味を示さない中,果敢にこのインド合弁会社の設立を主導し,幾多の合弁経営の困難を乗り越えて今日の興隆を導いたのが鈴木修現会長である。
日本のGDPの7割に迫るインド経済……アジア第3位の経済大国
中国に遅れること12年,1991年に外資への規制緩和に踏み切ったインドは,2000年代に入って,高い経済成長を見せている。1990年,日本のGDP3兆1,101億ドルに対してインドは3,266億ドルであり対日本比10.5%と約1割の経済規模であった。その後もインドは年によっては中国を上回る経済成長率を見せ,経済の躍進は続き,2016年にはGDPが2兆2,638億ドルとなり,同年の日本のGDP4兆9,365億ドルに対して45.8%と半分近い経済規模になっている。
IMF(国際通貨基金)が2017年10月発表した2017年〜2022年の予測値によれば,2022年の日本のGDP5兆4,820億ドルに対してインドは3兆9,238億ドルとなり対日本比71.6%となる。インドは1990年から約30年間で,日本の僅か1割だった経済規模が7割超に迫ることが予測されている。国土面積と人口で各々日本の9倍の規模を持つインドは,世界第3位の経済規模を持つ日本の「7割経済」にまで迫ってくる。インドは2022年には中国,日本に次いでアジア構成比11.1%(3兆9,238億ドル/35兆4,440億ドル)をもつ第3位のアジア経済大国として大きく飛躍する。
多くの日本国民にとって,また日本企業にとってインドへの関心が希薄なことから,今日,インドの経済規模が日本の半分となっている現実に気が付きにくいし,また僅か5年後の2022年に日本経済の「7割経済」に成長する予測には,「まさか」「信じられない」という感覚かもしれない。ましてや多くの人があり得ないと考えるであろう「インドのGDPが日本を追い抜く日」が,近い将来語られることは避けられないのである。
筆者が2000年前後にスピーカーとして招待された多くの財界,企業の講演会で「中国のGDPが日本を追い抜く日」に言及した。“技術大国日本”,“モノづくり大国日本”,“科学立国日本”,“知財立国日本”,“すり合わせ技術日本”,“匠の技日本”といったスローガンに酔いしれていた聴衆の反応は,“ありえない”,“信じられない”,“奇を衒っている”というものであったと記憶している。筆者としては,追い抜く日の予測の精度が問題ではなく,「追い抜かれた後の経営環境の変化」や「追い抜かれる心づもりの経営がどうあるべきなのか」ということを言いたかっただけである。現実はその10年後の2010年に日本のGDPは中国に抜かれ,2016年には中国のGDPは日本の2.4倍まで拡大し,驚くなかれ2030年前後には米中逆転が予測されている。
すでに日本のGDPを追い抜いたという現実の中国と,このまま時代が進むとインドは日本のGDPを追い抜くだろうという未来は,インド・中国両国の政治・経済・社会・文化が異なるだけに同じアナロジー(類推)で語れないかもしれない。しかしながらIT,あらゆるものがインターネットにつながるIoTを駆使するデジタル社会を迎えて,日本の持つ過去の栄光や強みにしがみ付いて「日本がインドには負けるはずがない」という根拠のない自信を持つと,当時の企業経営者,役所,学者,政治家の皆様の「日本が中国に負けるはずがない」という“自信あふれた薄弱な根拠”と重なって見えてくる。インドの未来を語るのに傲慢さ,予断,予見,偏見は不要である。さもないと中国の未来を語った時と同じ轍を踏むのではないかと危惧する今日この頃である。
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