世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
Brexit(英国のEU離脱)と世界経済の不確実性
(立教大学経済研究所 所長)
2016.08.01
2016年6月23日,英国のEU離脱(Brexit,発音はブレクシット。ブレグジットではない)をめぐる国民投票の結果,世界の株式時価総額は約5%減少した。これは1日の値動きとして,リーマンショック後を上回る。欧州関連通貨も急落した。また,3週間ほどで混乱から「回復」したかに見えるが,短期に収束したと言えるのか,それとも中長期的な影響を与え続けるのか。
暴落の要因は,直前の楽観が裏切られたことにある。各種世論調査は拮抗を伝え続けたが,市場関係者は楽観しており,直前の世論調査が残留優勢を伝えると,その楽観が強化された。直前に有利とされた側(候補者)はむしろ警戒を強めるのが投票行動についての常識だ。常識とは逆のその楽観は,最終的に経済的利害の大小比較から残留に傾くという考えから来ていた。これは「マーケットの読み」であり,経済学的な想定でもある。だが結局,経済的に恵まれない人々・地域・産業からの抗議の声が僅差の逆転を生んだ。
背後にあって問題の核心となった構造は何か。離脱をめぐる争点として,①EU官僚の主導する運営や規制への反発(EUレベルでの「民主主義の赤字」),②移民・難民と主権・国境管理・失業問題があり,投票結果からは,③産業間・地域間と世代間の格差・相違が明らかになった。庄司克宏氏は「EU統合の方程式」と「許容のコンセンサス」が崩れたのだという。EU統合への支持は,目に見える経済的利益が国内各層に広がる限りで保たれてきたという意味だ。イアン・ブレマー氏のように,「国から大切に扱われずに『社会契約』が途絶えたと感じる人々の抗議」が大きくなったとも言える。私見では,背後で広がった格差構造を放置し,大きな経済的利益のうちから小さな補償措置さえとらなかった政策的な不作為こそが焦点である。目の前の移民が失業の原因のように見え,ポピュリスト的な説明の方に説得力をもたせる政治経済的な事情こそが探られなければならない。それはまた,英国やEUだけの課題ではないのである。
Brexitはリーマンショックと違って政治問題だから株価や為替への影響が永続せず,短期に回復・収束したのだと見る向きがある。だが,背後にある構造は世界に共通する大きな課題であり,中長期に続く様々な局面で現れ試されていくだろう。欧州危機からの回復が遅れ,銀行部門に脆弱性を抱える欧州では,金融の不安定につながりかねない。莫大な司法コストをかかえるドイツ銀行の不安定に加え,イタリアでは大手行の不良債権処理と資本注入をめぐってEUの制度との間に齟齬がある。また,憲法改正を問う10月の国民投票次第では,救済策実行のスケジュールに狂いも生じうる。
金融と連動しかねない政治的な不安定の火種は絶えない。まず,残留派が多く独立運動を抱えるスコットランドや北アイルランドの動き次第では,英国の解体につながりかねない。Brexitはまた,EUやグローバリゼーションの下で国境を開放する動きが反転する契機となり,「連鎖離脱」を誘う可能性がある。すなわち,今年10月のイタリア,ハンガリー,オーストリアでの国民投票や大統領選を皮切りに,「欧州2017年問題」が控える。3月にオランダ総選挙があり,ウィルダース氏率いる反EUの自由党は世論調査で首位にある。4—5月にはフランス大統領選があり,ルペン氏率いる国民戦線が反EUを掲げて躍進してきた。秋にはドイツ総選挙が予定される。Brexit の1週間後,スペイン総選挙でEU離脱を掲げた左派連合ポデモスが伸び悩んだが,Brexit 直後の暴落によるRegrexit(後悔)に影響されたに過ぎない。
幾多の局面を乗り越えても,離脱通告後2年の協議で英国とEUの諸関係がどう再構築されるのか。その方向が見えないと,英国に拠点を置く銀行や企業も移転さえままならない。英国の選択肢としては,EFTA(欧州自由貿易連合)加盟国だったノルウェーなどが94年にEUと結んだEEA(欧州経済地域)に参加する方法がある。従来通りEU単一市場へのアクセスなどの利点を得る一方,拠出金と人の移動の自由などEU規則の順守義務を負う。同様に,EFTA加盟国だったスイスはEEAに参加せず,個別分野ごとにEUと協定した。他国で通用する金融分野での単一免許制度(シングル・パスポート)をはじめ,他業種でも各種許認可が焦点になる。
次いで,英国がEUの一員として交渉していた第三国との協定,たとえば日-EU間のEPA,米国とEU間のTTIPでは,個別に交渉することになる。オバマ大統領が投票前に警告したように,離脱後の英国は交渉の列の最後に並ばなければならない。中長期の不確実性にさらされる英国を救済するには,早急にかつての地位を与えればよい。だが,やっかいなことに,それが短期決着の好条件であるほど他国の連鎖離脱を促し,EU全体を動揺させかねない。いずれにせよ,ぎりぎりの折り合いを模索することになり,決着まで不確実性が続くのである。
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