世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
「域際収支赤字」の誤解
(慶應義塾大学商学部 教授)
2016.07.19
ある県の経済が弱く,政府による地方創生支援の必要性を示す際に,その県が「域際収支赤字」であることを引き合いに出す人が多い。政治家,経営者だけでなく,経済学者にもこのように言う人がいる。「域際収支赤字」とは不正確な言い回しであるが,この人たちはその地域の域外貿易収支が赤字であることを指してこの言葉を使っている。このような主張は,2つの誤解をもたらす。
1つ目は,経済が弱いから域外貿易収支が赤字になるという誤解である。正しくは,その地域の支出額が生産額を上回るからである。
コップに満たされた水を例に説明しよう。コップは県内総生産,水は県内居住者が使える所得である。もしこの県が域外と全く経済取引を行っていなければ,コップの容量分だけの水が存在する。
しかし,県内居住者が使える所得は,県外からも入ってくる。多くの道府県では,国庫から地方交付税や国庫負担金などを受け取っている。加えて,例えば奈良県や埼玉県では,県民が大阪府や東京都で働いて得た所得がある。これは,コップを満たす水に,さらに上から水が注がれる状態である。コップからこぼれた水の量は,その地域の居住者の支出額が生産額を上回った分であり,域外貿易収支の赤字分である。
もちろん,県内居住者が所得税や法人税など国税を支払ったり,日本の国債や外国の金融資産を購入したりすることで,コップから吸い上げられる水(県外に出ていくお金)もある。しかし,多くの道府県では,財政の機能を通じた所得の流入額の方が多く,そのために域外貿易収支が赤字になるのである。貿易赤字は「富の流出」を表すというよりも,「富の流入」によって起こると表現すべきである。また,道府県が地方創生のために追加の財政支援を受ければ,むしろ赤字幅は拡大する。
2つ目は,貿易収支の赤字が原因で県内経済が弱くなるという誤解である。正しい因果関係はその逆である。
確かに,都道府県のデータを見ると,1人当たりGDPの低い県ほど1人当たり貿易収支赤字額が大きいという関係は観察される。しかし,「相関関係」と「因果関係」は別である。そして「因果関係」は「域内総生産が原因で,貿易収支は結果」である。
このような因果関係になるのは,域内総生産が高いと国税の国庫への支払いや国債購入などの域外投資が増え(コップから水が多く吸い上げられる),また財政を通じた所得移転の受取額が減る(コップに上から注がれる水が減る)ことで,貿易収支が改善することによる。
貿易黒字は善で赤字は悪という主張は,家計・企業の損益からの誤った類推であり,国際経済学の誕生以来,国際経済学者はその誤解を指摘し続けている。地域経済を活性化させるには,域外貿易収支を改善する「対症療法」ではなく,地域の生産活動の付加価値創造能力を向上させる「原因療法」が正しい取り組みである。
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