世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
トランプ米大統領の貿易政策論への貢献
(慶應義塾大学商学部 教授)
2019.01.28
国内外の国際貿易の研究者と話をすると,トランプ氏の米大統領就任以降,貿易政策の意義が再認識されていることで意見が一致する。ただしそれには,自分たちの専門分野の重要性が世に認められてうれしいという気持ちは全く伴ってはいない。むしろ,研究者がほぼ一致して否定的に評価している類の貿易政策を,米大統領が繰り出している現状に落胆している。
それでも,現米大統領のおかげで,我々は貿易政策に教えがいをまた感じられるようになった。2000年代に入り,通商摩擦は以前ほど大きな経済問題にならなくなり,WTO(世界貿易機関)のルール・メイキング機能は停滞し,各国の関税等の貿易障壁は小さくなった。そのため,貿易政策の講義でも,学生の関心は以前ほどには高くないように感じていた。教える我々も,最適関税や各国間の関税設定ゲームなど,ニュースで扱われることも実例を目にすることも少ない事項が学生にどのように伝わっているか,心もとなかった。それが,トランプ氏の米大統領就任以降,現実の課題となり,それを理解したい学生に我々の見方を伝えられるようになった。
2017年以降,貿易政策論のどの課題について,学生の反応が大きく変わったか? 講義を受け持つ人それぞれに異なる印象があろう。私の講義では,上記の2点,最適関税と関税設定ゲームである。
一つ目の最適関税とは,自国の経済厚生を最大にする関税のことである。学生が講義で,最適関税の従価税率は外国の輸出供給の価格弾力性の逆数に等しく,その価格弾力性が小さいと自国の最適関税は高くなると説明を受けても,その現実説明力は弱いと思いがちである。なぜなら,各国政府は関税率を決めるにあたって自国の経済厚生は明示的には考えておらず,このようなフォーミュラも使ってはいないからである。
しかし,結果として,米国が高関税を課した中国からの輸入品には,最適関税の税率が高い品目も相当数含まれていると思われる。中国からの輸入品への関税を引き上げる際,米国がより高い関税をかけないと輸入が減らない品目は,中国の輸出供給の価格弾力性が小さいものである。そのため,中国からの輸入品目のうち,米国での最適関税が高いものは,実際に米国での輸入関税が大きく引き上げられる。最適関税論では関税賦課によって輸入量を絞る目的は相手に安く売らせることであるのに対し,米国の対中輸入関税引き上げは輸入量そのものを絞ることを目指しているが,途中まではロジックは同じである。
2国間での説明を多国間に適応するには留意が必要だが,例えば米中貿易摩擦の発端となった鉄鋼は大装置産業であるため,価格が変化しても生産量を短期に変えることは難しく,そのため,輸出の価格弾力性は小さいであろう。また,家具や自動車関連は,中国の輸出のうち米国向けの比率が高く,そのため米国に高関税を課せられても,他の国に振り向けることは難しい。このことから,中国の米国向け輸出供給の価格弾力性はやはり小さいと思われる。
二つ目の各国間の関税設定ゲームについては,学生はえてして,現状のWTO協定関税や各地域貿易協定の特恵関税は,制度化された以上,特別な事情がなければそのまま続くものと思いがちである。それらが微妙な力の均衡の上にかろうじて成り立っており,事情が変われば制度も変わることは,力学が見えないので,理解しづらい。
各国の政治家や政策担当者が通商交渉を1回限りのゲームだと想定したり,将来の利益よりも現在の利益をことさらに重視したり,国民の経済厚生よりも企業の利益を判断基準にしたり,絶対利得(自分の利得がどれだけ上昇するか)ではなく相対利得(相手と比べて自分がどれだけ得をするか)で戦略を決めたりすれば,互いに高関税をかけることがナッシュ均衡になる(ナッシュ均衡では,他のプレイヤーの戦略を所与としたときに,自分の戦略を変更しても自分の利得が上昇しないという状況が,全てのプレイヤーについて成り立っている)。トランプ米大統領は,私にはゲーム理論における合理的なプレーヤーに見える。これほどゲーム理論の分析が適合する指導者は,近年稀であろう。トランプ米大統領は,通商交渉の力学を見事に可視化してくれた。
ちなみに,貿易政策の研究面でも,トランプ米大統領は様々な材料を提供している。そして,多くの生産者や消費者にとっては,彼による通商政策の変更は突然の外生ショックであろうから,自然実験とも考えられる。そうであれば,内生性の問題にあまり煩わされずに分析できる。今後10年間は,トランプ氏の貿易政策の効果に関する研究が続々と現れるだろう。
現米大統領の貿易政策を残念に思う私にとって,ささやかな慰めは,彼が貿易政策の豊富な実例を提供し,またその帰結の経済分析を刺激することで,貿易政策論に大きく貢献していることである。
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