世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
なぜ米国にとってのTPPと日本にとってのTPPはこんなに違うのか:前途多難なTPP発効までの道筋
(経団連国際経済本部 シニア・アドバイザー)
2016.05.23
TPPは事実上の日米FTAと言ってもよいが,それぞれの国内におけるTPPの受け止め方はかなり異なるようだ。本稿では,その違いと背景について思いを巡らせてみたい。
まず,日米企業の関心分野の違いについて。経団連では,2月にTPPの戦略的な意義をアピールする目的で企業人のみならず幅広い分野からパネリストを招き「TPPを活かす」と題するシンポジウムを開催したが,そこで最も強く明確に発信されたメッセージはやはり製造業の視点だった。すなわち,TPPの成立でアジア太平洋地域の関税・非関税が撤廃ないしは削減されることによりシームレスな統合市場が実現すれば,グローバルなサプライチェーン構築の選択肢が拡大する,それこそがTPPの最大のメリットだというメッセージである。
これに対して,米国産業界のTPPに対する関心のポイントはかなり異なる。端的に言えば,後述するクルーグマン教授の指摘のとおり,知財,紛争解決ならびに金融規制に関連する分野にほぼ限定される。金融・サービス,ICT,エネルギー,ヘルスケア等に国際競争力のある米国とあくまでモノづくりを中心とする日本との違いである。
次にやや視点を変えて,両国の社会全般におけるTPPの受け止め方の違いをみてみたい。日本では,民主党政権下でTPP交渉に参加すべきか否かで国論を二分していた当時から今日に至るまで,TPPに本当に反対する勢力は実は農業団体およびその関係者のみだったというのが筆者の観察である。一時期,医師会や法曹界などがTPPに反対していたようだが,これは所謂「TPPお化け」の類であり,殆どサブスタンスのない懸念だった。日本では既得権益が侵されかねないと考えたグループのみがTPP参加に反対したのであって,国家全体を見据えた総合的視点や社会理念的な立場からTPPに異を唱える議論はあまり耳にしない。
では,米国ではどうだろうか。筆者が驚いたのは,クルーグマン教授がTPPに反対を表明していることである(「2020年世界経済の勝者と敗者」講談社)。クルーグマン教授だけではない。同教授と同様にノーベル経済学賞を受賞しているスティグリッツ教授もTPPに反対しているという。クルーグマン教授によれば,米国ではリベラルな経済学者でTPPに熱心に賛成している人は誰もいないらしい。日本のまともな経済学者でグローバルな視点からTPP反対の論陣を張っている学者を寡聞にして知らない。
本来,自由貿易論をリードすべき立場にある国際的にも著名な米国のトップクラスのエコノミストたちが,なぜTPPに反対し懸念を表明するのだろうか。彼らに直接聞いてみないとわからないのだが,根底には,米国における深刻な格差の問題,さらにはエスタブリッシメント,エリート層に対する米国民の根深い不信感があるのではないか。米国では,TPPではビッグ・ビジネス(大企業)やエスタブリッシメント層のみが恩恵を受け,一般大衆は何の恩恵を受けないどころか格差は拡大するだけだとの見方が根強い。大統領選の指名争いで先頭を走る共和党のトランプ氏と民主党のヒラリー氏は本来は水と油のはずだが,TPPについてはそろって反対している背景にはそうした事情がある。因みに日本では自由貿易の意義とメリットが広く国民一般に浸透しており,労組の総合団体の連合もTPPを支持している。米国の労働界ではあり得ないことだ。米国の労組は業界を問わず全面的にTPP反対である。格差の拡大はそれに拍車をかける。
TPPは12カ国による多国間条約だが,日本と米国が批准しない限り発効しない。日本では参議院選や熊本地震の影響で今期国会ではTPP関連法案は先送りとなったが,批准されるのは時間の問題だろう。だが,米国ではそう簡単ではない。大統領選後のレイムダック・セッションでの批准という見方は聞けば聞くほど困難になっているようだ。ヒラリー氏は大統領に就任すればもともと国務長官としてTPP推進側だったのだから,態度が変わるだろうとの楽観的な見方もあるが,あれだけ明白に反対表明している以上,ホワイトハウスに入ったらすぐさま手のひらを返すようなことは政治的にも困難だとの指摘もある。トランプ氏が大統領になった場合は想像もつかない。いずれにしても米国の政治リーダーは「TPPは格差を拡大するものではない。自由貿易の拡大により成長を促進し格差を縮小するものだ」と国民を説得しなくてはならない。果たして説得できるのだろうか。昨年10月のアトランタ閣僚会合でTPP大筋合意が実現した際には大いに盛り上がったTPPだが,実際の発効までにはまだまだ前途多難な茨の道が続きそうだ。
*以上はすべて筆者の個人的見解である。
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