世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.631
世界経済評論IMPACT No.631

WTO2.0とGVC2.0:世界貿易のガバナンスとグローバル・バリュー・チェーン

西口清勝

(立命館大学 名誉教授)

2016.04.25

 世界貿易機関(World Trade Organization,以下WTOと略す)が成立したのは1995年のことであり,グローバル・バリュー・チェーン(Global Value Chain,以下GVCと略す)研究の嚆矢と目されているGary Gereffiらの著作が公刊されたのは1994年であった。つまり,両者は1990年代半ばのほぼ同時期に登場した。それから20年余が経過した今日,その第2版(second version)と言うべきWTO2.0とGVC2.0の可能性や必然性に関する新たな議論が登場してきている。そこで,小文ではこの両者の関係について検討してみたいと思う。Jeffrey NeilsonらとGVCに関する優れたサーベイ[2014]を行ったHenry Wai-Chung YeungはNeil M.Coeとの共著[2015]でGVC2.0の考えを提起した(彼らはGVCではなくてGPN[Global Production Network]という術語を用いているが両者をほぼ同義的に使用しているので,小文ではGVCを選択する)。但し,GVCのようなグランドセオリーを限られた字数で詳しく説明することは困難であるため要点のみを下記で示すことにならざるをえないことを予めお断りしておきたい。

 WTO2.0について本格的な問題提起を行ったのは,Richard Baldwin[2012]であった。彼によれば1980年代を画期としてGVC(原文ではSupply-chain)の延伸によるグローバル化の進展により,世界貿易の構造とガバナンスは激変してきている。それ以前の時期では,工業製品や農産物の完成品(最終財)が世界貿易の中心でありその輸出入は国境の壁=関税によって規制されていた。ところがGVCが延伸することにより世界貿易は完成品(最終財)から部品や中間財が中心になり,GVCの担い手たる多国籍企業の直接投資や知的財産権の保護といった新たな問題(彼はそれらを「21世紀の問題」と呼んでいる)が焦点となってきた。

 このように今日の世界貿易には,これまでの貿易(伝統的な貿易)とGVCによる新しい貿易の2種類があるが,両者の間には大きな差異がある。Baldwinによれば,現在のWTO—WTO1.0—は多角主義(多数の国が加盟できる)によるグローバルなガバナンスを有し伝統的な貿易を円滑に行うように加盟国やルールが決められている(彼はそれを「20世紀の問題」と呼んでいる)。しかし,世界貿易をガバナンスするWTOの中心性は衰退してきている。他方,GVCによる貿易とりわけTPPのようなメガFTAによるそれは分散化(地域化)と排除(加盟国の取捨選択)を特徴としておりグローバルなルールーを殆ど全く持たない。メガFTAによる世界貿易のガバナンスの分裂を避ける唯一の方法は,GVCのルールをWTOに盛り込むことであり,そのためには現行のWTOを「21世紀の問題」に対応できるように多角化して新たな構造に変えること,すなわちWTO2.0を構想することが必要である,と言っている。Baldwinはこのように現在の世界貿易が抱えるガバナンスの問題点を的確に指摘しWTO2.0の必要性を述べているが,意外にもその実現可能性については懐疑的である。その主な理由は,1)WTOの加盟国は多くかつ依然として伝統的な貿易が主要な問題であること,2)GVCから「排除」されても中国やインド等の大きな新興国は自立してやっていけること,および3)GVCの「ドミノ効果」(「排除」される不利益を嫌い次々とGVCへ加盟を促す効果)は小国にのみ当て嵌まること,の3つであり,伝統的貿易をガバナンスするWTOとGVCのルールをガバナンスするメガFTAの二本柱が世界貿易のガバナンスを支えていくことになろうというのがその結論になっている。

 他方,CoeとYeungによれば,GVC1.0は多国籍企業の企業内や企業間の取引の複雑なネットワークを通じる経済活動が組織的にも地理的にもどのように構成されているかを解明することに力点を置いてきた。しかしそこには,1)GVC形成における国家の役割や,2)グローバル経済危機(2008年)を契機としたGlobal North からGlobal Southへの「無慈悲なまでの」産業再配置の強行に関する分析が不十分であり,したがって,3)グローバル経済の構図が新局面に入ったかどうかという疑問に答えられないでいる。こうした問題に取り組むためにGVC2.0を構築することが必要であり,とりわけ中国等の新興国の台頭によるリージョナルな発展の分析が鍵を握っていると述べている。

 このようにして,WTO2.0とGVC2.0とは期せずして,これまで世界貿易をガバナンスしてきたWTOから,WTOの外でGVCのルールを盛り込んだリージョナルなメガFTAへと重点が移動してきていることで認識が一致している。中国(RCEP,日中韓FTA)も日本(TPP,RCEP,日中韓FTA)も複数のメガFTAに深くコミットしてきており,それが今後の東アジア地域の政治経済の趨勢を大きく左右することになろう。

[参考文献]
  • Baldwin, Richard [2012], “WTO2.0: Global Governance of Supply-chain Trade”, CEPR Policy Insight, No.64, December 2012, CEPR (Center for Economic Policy Research), London, UK.
  • Coe, Neil M. and Henry Wai-Chung Yeung [2015], Global Production Networks- Theorizing Economic Development in an Interconnected World, Oxford University Press.
  • Gereffi, Gary and Miguel Korzeniewocz (eds.) [1994], Commodity Chains and Global Capitalism, Westport, CT: Praeger.
  • Neilson, Jeffry, Bill Pritchard and Henry Wai-Chung Yeung [2014], “Global Value Chain and Global Production Network in the Changing International Political Economy: Introduction”, Review of International Political Economy, Vol.21, No.1, chapter 1, February 2014, Routledge.
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article631.html)

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