世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
赤川省吾『日独冷戦秘史』を読む
(東北大学 名誉教授)
2025.12.22
軍事力を背景とした共産党一党独裁国家の傲慢無礼に,「野蛮超大国の相手をするのは大変」を再認識させられる令和7年の年末である。フィナンシャルタイムズの社説も「中国の軍事力増大,米国主導の国際秩序の動揺を背景に,中国はおごり高ぶっている」と非難,内部矛盾を外にそらす習近平の意図も見え隠れする。
そうした時期に,赤川省吾著『日独冷戦秘史』が刊行された。日本と東ドイツ(東独)の交渉史の表と裏を詳細かつ丁寧に追跡した力作である。
著者はヨーロッパ関係の論評で著名な,日本経済新聞のベテランジャーナリスト。ここ20年近く日経の欧州総局で仕事をしながら,ベルリン自由大学で学位を取り,同大学でドイツ語の講義を行う。ヨーロッパ,とりわけドイツにつくり上げた著名な政界人とのインタビューを踏まえたヨーロッパ記事は出色,分かりにくいヨーロッパ情勢が見えてくると感じる読者は少なくないだろう。
東独は社会主義統一党(SED)の一党独裁国家であった。ソ連など他の共産圏諸国の共産党支配と同類の優等生,東独外交の重要課題は,政府(内閣)や議会が担うのではなく,共産党トップグループから党の幹部へ支持が降りる。そして,それら幹部から秘密警察を含めた外交プロフェッショナルへと縦につながり,それらプロの外交担当者は長期にわたって活動を続け,日本との関係を深めていた。
第2次世界戦争に敗れたドイツは米ソ英の戦後処理によって資本主義の西ドイツとソ連圏の東ドイツに分裂した(1949年)。東独はやがて日本を産業政策振興のターゲットとして産業スパイを含めた諸政策を進めた。ソ連共産圏の優等生となったが,1989年11月ベルリンの壁が崩壊,翌90年3月西ドイツ主導でドイツ再統一がなり,東独は消滅した。
ソ連圏諸国の経済システムやその発展没落の研究は,日本では,社会主義経済学会(現・比較経済体制学会)などにより盛んに行われたが,赤川氏の研究は独特の意義をもつ。著書の副題「東独機密文書が語る歴史の真実」が示すように,東独の機密文書の精査によって研究を進め,共産党一党独裁国家の東独が,「アメリカ・西欧と並ぶ帝国主義陣営の3本目の柱」と位置づけた日本にどのように対応し,それぞれの対応はどういう意味を持っていたのかを時代を追って追求する。
ドイツ人は歴史の真実を伝える文書の管理に熱心である。崩壊した東独の公文書を統一ドイツ政府はきっちりと管理し,公開した。赤川氏は,公文書館で検索が可能となった東独の機密文書を10年以上にわたって徹底的に調査した。だから,東独側から日本に働きかけた外交筋(秘密警察を含めて)や日本の政界経済界の受け手は実名でいつどのようなやりとりを行ったかが記されている。読み込んだ公文書は総計80万ページ,聞き取り調査は延べ数百回という。その情熱の背景には今日の共産党一党独裁国家の日本に対する行動への危機感があった。
著書は11の章とプロローグ,エピローグからなる。東独はSPD(ドイツ社会民主党)を共産党に強制合併して200万党員(エリート層)による独裁支配体制を,ソ連をモデルに作りだし,国作りを進め,1961年にはベルリンの壁を築いた。秘密警察(シュタージ)は国内で反乱分子を取り締まり,外交にも深く関わった。
ソ連圏は,戦後の日本を「帝国主義の一員」,したがってソ連ブロックの敵国と位置づけていた。東独はとりわけ熱心に対日外交政策を展開した。1960年代には親ソ連・社会主義重視の日本の学者や社会党左派との関係作りを進めたが,利益は少なく,1970年代から工作の対象を自民党・財界へと移した。
東独には,高度成長を続ける日本から製造業の最新技術を導入し,他の共産圏諸国への輸出力を底上げする狙いもあった。ドイツは明治維新後の日本近代化のモデル国であり,第2次大戦の同盟国だった。1970年代には,旧制高校時代にドイツ語を学び,対独友好の気分をもつ政財界のエリート層が残っており,東独の対日政策の支えとなった。国際情勢も有利に働いた。西ドイツのブラント政権は1960年代末に東西デタント路線へと舵を切り,東独の日本接近を後押しする効果をもった。
1970年代から80年代まで日本経済の黄金期だった。東独の日本外交は本格化し,スパイ活動も活発化する。戦後,西側はココム(COCOM)という組織により,共産圏へのハイテク輸出を厳しく統制していた。このCOCOM違反として東芝機械のソ連への輸出が有名だが,東独も系統的な産業スパイ活動,大企業への働きかけによって,コンピューター・半導体などの日本企業の技術を盗み取ろうとし,日本の大企業もそれに誘導されていった。東独と日本の誰々がいつどのようにそのような関係を築き上げ,COCOM違反へと誘導していったのか。そうしてどういう結末へと至るのか。著書を読んでいただきたい。
政治・外交・経済・芸術など多面的なルートを活用した東独の日本政財界への多様かつ一貫した浸透行動は今日の共産党一党独裁国家の対日行動を考える上でも大いに役立つのではないだろうか。
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