世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.4088
世界経済評論IMPACT No.4088

AIの進展と「ブルーカラービリオネア」:パラドクスの意味するもの

関下 稔

(立命館大学 名誉教授)

2025.11.17

 アメリカでは,最近AIの急進展によってリサーチ業務の多くが高度科学技術労働者(STEM)からAIに代替・置換される反面で,音響,空調,配管,さらにはエスカレーターなどの設置・修理業務や自動車整備などの技能業務担当者の需要とその収入が増大しているという。これを「ブルーカラービリオネア」の出現と呼び,トランプ政権がこうしたブルーカラー養成を支援していると『日本経済新聞』(11月2日)が伝えている。これはまさにパラドキシカルな事態の進行である。その意味を少し掘り下げて考えてみよう。

 トランプ政権は,AIに代表される最新技術の優位性を基礎にロボットや3Dプリンターなどを活用した無人生産の展開と,関税交渉をテコにした同盟諸国からの対米直接投資の増額ならびに従来型の産業部門での在米生産の促進を奨励している。この考えの基礎には,技術革新(イノベーション)が労働の節約を進めて生産効率を高め,生産量を増大させて国力を増強し,かつ社会進歩をもたらすという技術至上主義が色濃く投影されている。かくて,IT化の促進がSTEMを目指す猛烈な高学歴競争を激化させている。その結果,巨万の富を築きあげたごく少数のIT長者を頂点に,少数の高所得者層を生み出したが,その反面で多くのSTEMは加重労働を迫られ,かつ過当競争に振り回されて過剰化を生み,IT潜在失業者群が多く底辺に沈殿して,志とは異なる一時的で異形の,多くは単純な業務に就かざるをえなくされている。この事態の進行が今度は逆に労働集約的な技能労働者の存在の余地を高めている。機械化・ロボット化・AI化には限界があり,完全な無人生産などは出現せず,設置や修理などでの技能労働者の補足を不可欠としている。このことは,かつて製造業の新展開として,単にモノを売るだけではなく,それに付随するサービスを含めて販売するという「製造業のサービス化」として注目されたところでもある。技術が高度化し,商品の構造が複雑かつ精緻になるに従って,その取り扱いにも習熟化が求められ,トリセツなしでは熟しきれなくなる。そこに独自のサービス業務の必要が生まれる。こうした事態を反映し,その延長で展開されているものである。

 さてこのことは何を意味しているだろうか。技術(機械)と技能(ヒト)との関係は相互に排除し合う側面があり,アメリカでは機械による代替化に重きが置かれがちだが,それだけではなく,同時に相互に補強・補完し合う側面もあり,その両面を注意深く見守る複眼的な視点が大事になる。日本では生産現場での機械と人間の相互の摺り合わせを重視し,かつ熟練労働者間の学習・共働と先輩から新人への技能の伝授に注力してきた。こうした集団での技能習得と伝承が独特の日本式生産システムを生み出し,競争力強化に繋がり,良質で精緻な上に,無駄を省く効率的で,かつ比較的経済的な生産コストと価格体系を生み出した。これを系列的な下請システムと結びつけて展開した日本製造業の優位性が一時期世界を席捲した。機械化の進展がIT化・ロボット化・無人化の方向に進む中で,機械(技術)と人間の技能力との切断・代替ではなく,両者の組み合わせを追求する日本的生産システムの利点を今後も維持かつ改善していく方向に進めるべきであろう。

 このことはAIの最適化が画一化に向かいがちな方向とは別に,多様性を重視し,チームプレイの発揮による共働・共創のもつ深い意味合いを改めてわれわれに喚起している。別言すればAIと人間の技との結合である。このことを考えると,最新技術を秘匿して,独占する道を選ぶか,それともオープンソースにして,その共同利用の輪を広げるかの選択にも関わってくる。「共同知能」という言葉を脳科学者の茂木健一郎氏が使って,叡智を発揮するには共働して共創を生み出す努力が何よりも大切なことを強調している。そして生産現場での共働・競争に止まらず,科学・技術過程での共同作業を高める努力,つまりは科学と技術と技能が結合されて展開されていく社会作りと,それを支える科学愛好心の陶冶がその背後で作られることが大切なことが求められる。その方向に国の科学政策が展開されることが望まれる。それは富は全て人間の営みによって生まれること,それには科学的知識を高め,現実の生産に活用していくこと,お互いの共同営為が共創を生み,前進が図られること,そして共栄をもたらしうることを改めて自覚していくことでもある。それは肉体労働と精神労働の画然たる分離という因習的な考えを捨て去り,技術と技能の最良の組み合わせを目指すこと,多様性の発揮にこそ,人類の未来が開かれることを再度確認することでもある。こうした良き伝統を継続,発展させることにこそ日本の未来がある。それは地上の楽園を生み出すための確かな歩みにもなるだろう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article4088.html)

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