世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.4057
世界経済評論IMPACT No.4057

模倣と創造:模倣は創造の母か,それとも悪魔か?

紀国正典

(高知大学 名誉教授)

2025.11.03

 画家は,まずは有名な画家の名画を模写することから,学習を始めると聞く。決してそれらを模倣するためでなく,名画の技術や筆使い,構図,そして絵の具の配合などの技術を学ぶためである。これによって培った技術や方法を基にして,これから自分独自の画風を築くための,つまり自分の求める画風を創造するための学習過程なのである。こうして,モネ,セザンヌ,ゴッホ,ピカソなどの巨匠は,それぞれが自分独自の感性や個性そして技法を磨きあげ,世界の多くの人々に感銘を与える名画を誕生させたのである。彼らは,名画を模倣することによって技術や方法を学び,それを糧にして,自分独自の方法を完成させることができた。だから彼らにとって模倣は,創造のための手段だったのである。

 わたしを含め,経済学者といわれる人たちも,おそらく最初には,一時代を築いた先人の研究成果を学ぶことから,学習を始めたはずである。まずは古典派経済学のスミスやリカード,そしてマルクス,ケインズなどの基本書を,学んだであろう。当然にこれらの学習は,それらを模倣するために学んだのではなく,それによって得た知識や方法を基にして,自分独自の学風と方法論を構築するために学習したはずである。

 ところが,である。日本の経済学者や社会科学者にはたちの模倣研究が,未だに多いのである。

 スミスがこう言ったとか,マルクスがこう言っているとか,ケインズがこうだとか,その解説と紹介だけの研究に終始し,その研究だけで一生を過ごす研究者もいる。哲学者の梅原猛先生が批判されたところの,いわゆる「奴隷の学問」である。

 欧米で有名になった研究が現れると,日本でさっそく,それを紹介した解説本が出版される。そしてそれを紹介するだけの研究に終始する研究者が現れ,この紹介を自分の手柄のようにしてふるまう。こうして模倣の先陣競争が始まるのである。またある研究者が斬新で独創的な自分の研究を研究会で発表したら,参加していた研究者から,「それは欧米の誰の研究成果ですか」と質問されたという話しもある。この質問者にとっては,その研究の独創性ではなく,欧米の研究成果であるかどうかが,栄誉だったのである。

 東大の社会学の教授が,外国の社会学の権威の研究内容を紹介した著書を出版した。そのなかで,自分がその権威論者のある部分を最初に紹介したのだが,他の論者がそのことを引用せずに使っていたことに腹を立て,そのことをこの自著で述べていたので,呆れた。模倣学者がその模倣の模倣を非難していたからである。

 ある研究会をZoomでのぞいたところ,ある研究者が欧米の研究者の研究視点と方法をすぐに自分のものとして平然と導入し,それを他の研究者と比べあっていたので,驚いた。誰それがこういった,ああいったということを,延々と引用紹介しただけの論文も多い。しかもそれが引用内容の丁寧な説明を省き,出所の略語を紹介するだけのものなので,どこが当人のオリジナルなのかわからない。またほぼ引用紹介だけで構成した著書もある。

 日本の経済学や社会科学には,輸入学問として発展してきたときの伝統が,まだ残っているようである。権威ある定説や流行した理論や方法を当てはめるだけで満足する研究者も多い。絵画の世界では,他人の方法や画風を模倣したものは贋作として扱われ,まったく評価に値しない。ところが日本の経済学や社会科学の世界では,これがモネだ,ここがピカソだと模倣したものでも,模倣先が大家であればあるほど,評価される学風が残っている。このような伝統に染まっていると,自分の頭で,自分なりの視点や方法で考えることができなくなってしまう。

 研究者が,自分独自の視点や方法論を模索したり,創造したり開発したりして,その成果や独創性をおたがいに評価しあう学風が,これからの学問には求められている。もちろん評価した方法には敬意を払い,盗用するなどのことは,元より厳禁である。

 なお絵画の世界にも,模写がきわめて巧みで,悪魔に魅入られた画家が現れるようになり,専門家も贋作と見破れなかった事件が,つい最近に起きた。これを高額で買い取ってしまった高知県立美術館および徳島近代美術館の学芸員たちが,贋作と判明してからも,模写が優れているとの理由でこの贋作を展示するというので,呆れかえった。贋作は犯罪であり,原作者の魂を汚す冒とくでしかない。見事な模写など,評価に値しない。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article4057.html)

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