世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
カンボジア・タイの「和平なき和平合意宣言」?:トランプ米大統領とタイの思惑
(元亜細亜大学アジア研究所 特別研究員)
2025.10.20
10月9日,トランプ米大統領はタイのアヌティン首相に書簡を送付,再燃が懸念されるカンボジアとの国境紛争を仲介する用意があると表明するとともに,タイに対して,国境紛争の抑制を要請した。カンボジアに対してはこれを行っていない。すなわち,タイとアメリカは同盟国で,毎年,合同軍事演習を実施しているにもかかわらず,アメリカはタイにだけ圧力をかけたのである。これはアメリカの国益に基づく行動とは思われない。とするならば,多くの紛争を仲介し,ディールを集め,2026年以降のノーベル平和賞を受賞したい,トランプ個人の利益に基づくものということだろう。
8月7日,カンボジアのフン・マナエト首相は,カンボジアとタイとの紛争を終結させたことを理由として,ノルウェーのノーベル委員会にトランプをノーベル平和賞に推薦した。そこで,フン・マナエトは,「カンボジア・タイ間の国境の平和と安定の回復において重要な役割を果たしたことに対する私の感謝とカンボジア国民の心からの感謝を反映する」とともに「世界平和の推進における歴史的貢献を称えて」推薦すると述べている(注1)。これに対して,トランプは,8月20日付けのフン・マナエト首相宛の書簡で,「推薦は非常に光栄であり,タイとの戦闘終結に向けた対話に関われたことを誇りに思う」と記した。トランプとフン・マナエトとの間には,権威主義者同士の連帯が生まれつつあるようである。
トランプは,7月24日に国境紛争が発生したカンボジアとタイの各々の首脳に電話をかけて,紛争が終結するまで,関税交渉を停止すると通告し,特に,停戦を渋っていたタイに圧力をかけた。そして,これが作用して,同月28日,ASEAN議長国のマレーシアの仲介,米中の大使出席の下,停戦協定が調印された。9月23日,国連総会で演説したトランプによれば,トランプはカンボジアとタイだけでなく,イスラエルとイラン,ルワンダとコンゴ民主共和国,インドとパキスタン,セルビアとコソボ,エジプトとエチオピア,アルメニアとアゼルバイジャンの7件の紛争を自ら主導して解決に導いた。このうち,既に,イスラエルとパキスタンがトランプをノーベル平和賞に推薦している。
トランプはノーベル平和賞の受賞を希望していたが,2025年の同賞は受賞できなかった。今回のタイ首相への書簡送付は,2026年以降における受賞の布石かもしれない。そうならば,タイは,紛争の抑制を十分にしなくとも,トランプに2026年のノーベル平和賞への推薦を約束しさえすれば,トランプの満足を獲得できるのかもしれない。
10月6日,アメリカのメディア「ポリティコ」は,トランプが10月26~28日にマレーシアで開催されるASEAN首脳会議に出席する条件として,ホワイトハウスが,カンボジアとタイの和平調印式を,トランプが主宰する形で,開催するようマレーシアに要請したと報じた。ホワイトハウスは調印式に中国を出席させないことも要請した(注2)。9月26日,国連総会が開催されているニューヨークで,カンボジア,タイ,マレーシア,アメリカの4か国外相会談(アメリカは国務副長官)が開催された。カンボジアとタイの各々によって,開催の事実は発表されたが,その具体的な内容は明らかにされなかった。この会合で,トランプのマレーシア訪問が議論された可能性がある。また,次回会合を12~13日にマレーシアで開催することを決定したと思われる。
トランプの書簡送付よりも前の10月8日,タイのアヌティン首相は,トランプの仲介に謝意を示したうえで,「いかなる交渉も,①国境付近からのカンボジアの部隊と重火器の撤収,②国境付近での地雷除去に対するカンボジアのタイに対する全面的な協力,③カンボジアにおけるオンライン詐欺の抑制,④タイ領からのカンボジア人入植者の退去,という4条件に基づかなければならない」,「私はタイの利益,タイ国民の安全,国家主権にのみ留意する」と強調,トランプの関与を拒絶したに近かった。10月9日,アヌティンはトランプからの書簡を受け取り,アメリカがタイ・カンボジア間の緊張緩和を望んでいると伝えられたと述べた。
10月10日,ボンティアイミアンチェイ州プレア・チャン村に対するタイ軍の侵入に対して,カンボジア政府が政府報道官声明を出した。カンボジア政府は,8月13日,タイ軍が同地を有刺鉄線で封鎖し,10月10日,タイ軍が地雷を除去し,停戦協定,GBCとRBCの精神,MOU43,人権原理・国際人道法を著しく侵害したと非難した。カンボジアは,同国民は長年にわたり紛争のある国境村に居住してきたと主張している(注3)。
10月12~13日,9月26日にニューヨークで開催された同様の会合のフォローアップとして,マレーシアで,カンボジアとタイの緊張緩和を目的として,両国,マレーシア,アメリカの4か国大臣会談が開催された。14日,マレーシアのモハマド外務大臣は,トランプがASEAN首脳会議に出席予定で,カンボジア・タイ間の「クアラルンプール合意宣言(Kuala Lumpur Accord Declaration)」の調印式に立ち会う見通しと発表した。モハマドは,マレーシアとアメリカは,カンボジア・タイ間で永続的な停戦と和平の確保を実現するための仲介役を務めると説明し,国境からすべての地雷と重火器を撤去することをタイとカンボジアに義務づける協定ないし宣言をマレーシアと米国が促進すると表明した。ASEANとすれば,トランプが主宰する調印式というわけにはいかないので,トランプは「立ち会い」に格下げされた。
現時点(10月16日)で,締結される文書が,主に,停戦に関するものなのか,それとも,停戦と安定の継続を内容とする和平に関するものなのか,また,法的拘束力のあるものなのか,それとも,法的拘束的はなく,カンボジアとタイを政治的に拘束するだけなのか,など重要な点が明らかとなっていない。トランプはそのような形式にはまったく関心はないようだ。タイは,当初,アメリカの仲介に積極的ではなかったが,軌道修正を図った。タイは,上記4項目が和平の条件だと強調するとともに,カンボジアが自国領だと主張する数か所で,地雷除去を行った。その結果,両国間で,緊張が高まっている。タイは緊張が高まっても,トランプが関与しているので,カンボジアは文書に調印せざるを得ないと考えているのだろう。結局,和平の実現を前提とした通常の和平協定ではなく,実現すべき項目を列記するにとどまる,法的拘束力を持たない宣言が締結される可能性が高いと思われる。タイは上記4項目をここに含めたいだろう。カンボジアは,カンボジアだけでなく,タイをも拘束する形であれば,これらが含まれることになったとしても,ルールが明確となり,予測可能性が高まるとともに,ASEANとアメリカの監視下で,タイの行動が抑制されるというメリットを受けることになるだろう。
[注]
- (1)https://pressocm.gov.kh/en/archives/114190 2025年8月7日最終閲覧。
- (2)Phelim Kine,“Trump seeks peace ceremony spotlight at ASEAN summit,”POLITICO,6 October 2025.
- (3)Press Statement on the Thai Incursion into Prey Chan Villege,O’Bei Choan Commune,O’Chrov District,Banteay Meanchey Province,10 October 2025.
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