世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
スタートアップエコシステムにおける地方自治体の役割
(東北学院大学 教授)
2025.05.05
近年,日本各地でスタートアップエコシステムの構築を目指す動きが活発化している。その中心的な担い手となっているのが地方自治体である。自治体は,スタートアップ支援拠点の設置,資金支援,ネットワーキングイベントの開催など,多様な形で関与を深めている。しかし一方で,自治体主導による過剰な介入が市場原理を歪め,スタートアップの本来的な自律性や革新性を損なうリスクも指摘されている。拙稿では,自治体主導型エコシステムの成果と限界を整理しつつ,日本特有の政策・文化的背景を踏まえた上で,理想的な政策介入のあり方を提言したい。
まず,自治体主導によるエコシステム形成の成果を概観しよう。代表的事例として,仙台市,福岡市,神戸市の取り組みが挙げられる。
仙台市は,東日本大震災からの復興を契機に,起業家支援拠点「INTILAQ(インティラック)東北イノベーションセンター」と密に連携し,地域課題解決型スタートアップの育成に注力している。特に同市は,社会課題をビジネスで解決するソーシャルスタートアップ支援に特色があり,多様な起業主体の参入を促している。一方,福岡市は,国家戦略特区「グローバル創業・雇用創出特区」の指定を活かし,起業家ビザの創設,法人登記手数料の減免,廃校となった小学校を利活用した官民協働型スタートアップ施設「Fukuoka Growth Next」といった拠点整備を通じて,全国屈指のスタートアップ都市という地位を確立している。また,神戸市は,医療・ヘルスケア分野に特化した支援施策を展開し,世界有数の医療産業クラスターを背景に,産学官連携による先端医療系スタートアップの創出を目指している。
これらの都市に共通するのは,「自治体が明確なビジョンを掲げ,それに沿って支援を集中的に実施している点」である。特に日本では,民間投資家が新興領域への投資に慎重な文化的傾向が強いため,初期段階における公的支援の存在がエコシステム形成を促進する上で一定の成果を上げたと評価できる。
しかし,こうした自治体主導のスタートアップ支援には本質的な限界とリスクも存在する。
第一に,市場原理の歪曲である。自治体による資金援助や施設提供が競争環境を人為的に改変し,本来ならば市場メカニズムによって淘汰されるべきビジネスモデルが延命されるケースが散見される。補助金目当てに設立されたスタートアップが,資金提供終了とともに活動停止に追い込まれる,いわゆる「補助金スタートアップ」が全国各地で問題化している。
第二に,支援対象選定における政治的・行政的バイアスである。自治体の重点施策に沿った分野(例:観光や福祉)に支援が偏ることで,革新性に富んだがリスクの高いディープテック型スタートアップが排除される構造が生まれ,エコシステムの多様性が損なわれるリスクがある。
第三に,日本特有の問題として,自治体と起業家の関係が「依存型」になりやすい点が挙げられる。行政依存体質や,いわゆる「空気を読む」文化が,スタートアップ側に自律的な挑戦精神ではなく,行政の意向に迎合する行動を促し,真にグローバル市場を目指すハイリスク・ハイリターン型の起業活動を抑制してしまう可能性が指摘されている。
こうした課題を踏まえれば,自治体が果たすべき理想的な役割は,民間主導を尊重しつつ,環境整備とリスク低減に特化した「補完的ファシリテーター」としての立ち位置に徹することにあるといえよう。その具体策として,以下の三点を提案する。
第一は,自治体は,通信インフラの整備,交通アクセスの向上,住環境の充実,規制緩和(特区制度の活用や行政手続きの簡素化)といった,起業活動全般を支える「土台作り」に特化すべきである。特に福岡市が実現した実質的な創業コストの体系的引き下げは,他都市の参考となる先行例といえよう。
第二は,自治体は,資金提供者としてではなく,起業家,投資家,研究者,企業を結びつける「ネットワークビルダー(結節点(ノード)となる調整役)」として機能すべきである。京都市の「オープン・イノベーション・カフェ(KOIN)」のように,オープンで自走的なコミュニティ形成を後押しする取り組みが望ましい。
第三は,資金支援は,創業初期の,いわゆるシード期のようなリスクの高い段階に限定すべきであり,一定期間内に民間資金への移行が見られない場合は支援を縮減・終了するルールを明確化すべきである。
総じて,自治体のスタートアップ支援は「必要最小限で最大効果を狙う」ことが肝要であると考える。日本の文化的・制度的背景を踏まえながら,「支援はするが干渉はしない」,という難しいバランスを追求し,自律的・挑戦的な起業家精神を育む環境を整えることこそ,次世代産業を支えるスタートアップエコシステムの礎となる。自治体は支援の主体から「エコシステムの触媒」へと立ち位置を変え,民間主導の持続可能なイノベーション生態系を育む道筋を示していく必要がある。
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