世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
ASEANにおけるビジネスと人権
(亜細亜大学アジア研究所 特別研究員)
2025.03.10
2011年6月に国連人権理事会が「ビジネスと人権に関する指導原則(指導原則)」を推奨することを全会一致で決定し,指導原則はASEANでも採択された。ビジネスと人権への取組みはEUが先行し,2011年に加盟国に国家行動計画(NAP)の策定を要請し,EU加盟国はNAPを策定している。指導原則は,人権を保護する国家の義務,人権を尊重する企業の責任,被害を被った人々への救済の3つの柱から構成されている。政府は国家行動計画(NAP)の策定と実施を求められ,企業は人権を尊重する責任を果たすために人権デューディリジェンスに取り組むことが求められている。人権侵害など人権の尊重で問題があることが判明するとメディアや人権NGOの厳しい批判を受け,取引先企業からの改善要求など事業に大きな影響を及ぼすなどの大きな経営リスクとなる。ASEANのビジネスと人権への取組みは欧米より遅れていたが,現在,タイ,インドネシア,ベトナムがNAPを作成している。
ASEANでの人権の保護の取組み
1993年にウィーン宣言を採択した国連世界人権会議に参加したASEAN各国では,ASEAN人権メカニズム作業部会が活動を開始し,2000年7月にはASEAN人権委員会設立条約案を高級事務レベル会合に提出するなど人権の保護に取り組んでいた。2007年のASEAN憲章の前文と第2条で,「人権,基本的自由,社会的正義の促進と保護への尊重」を表明しており,14条で「人権と基本的自由の推進と尊重のために人権機構を設立する」と述べている。2003年の第二ASEAN協和宣言では,ASEANの規範として人権の尊重が明記された。
2009年には,ASEAN政府間人権委員会(ASEAN Intergovernmental Commission on Human Rights:AICHR)が設立され,2010年に女性と子供の権利に関するASEAN委員会が設立された。AICHRは,各国政府が委員(任期3年)を任命する諮問機関であり,2010年に5か年行動計画を開始,2012年1月にはASEAN人権宣言(AHRD)草案がAICHRに提出され協議を経て2012年11月の第21回首脳会議で採択された。AHRDは,世界人権宣言をはじめ国際的な人権規約を踏まえて,一般原則,市民的および政治的権利,発展の権利,経済的社会的および文化的権利,平和の権利,人権の促進および保護における協力という6部で構成されている。
2025年が最終年次となるASEAN共同体2025のブループリントでは,「人々が人権と基本的自由を享受し,民主主義,良いガバナンス,法の支配の原則に従った公正,民主的,協調的でジェンダーセンシティブな環境で繁栄することを確保する包摂的で環境の変化に対応する共同体を実現する」と述べている。ASEAN政治安全保障共同体2025ブループリントでは,「A.規則」に基づき,人々を指向し人々が中心となる共同体の「A2.5.:人々が尊厳を持ち,平和,協調,繁栄のうちに生きることを確保するために人権,基本的自由,社会正義を推進,保護」で人権の促進と保護のための行動計画がAICHRとAHRDを中心に概略的に提示されている。ASEAN社会文化共同体2025ブループリントでは,「B. 包摂」の「B3.:人権の促進と保護」で概説的な形で人権の促進と保護のための行動計画が提示されている。
ILOの中核的労働基準は,近年締結されたFTAによっても採用と実施が進められている。2018年12月に発効した「環太平洋パートナーシップに関する包括的および先進的な協定(CPTPP)」の労働章(19章)では,労働における基本的原則及び権利に関するILO宣言を自国の法律に採用・維持することが規定されている。CPTPPには,ASEANからはブルネイ,シンガポール,マレーシア,ベトナムが参加している。また,2020年8月に発効したEUとベトナムのFTAの「貿易と持続的開発章」(13章)では,労働における基本的原則及び権利に関するILO宣言の約束の再確認,批准していなければ継続的に努力を行うことなどが規定されている。
残存する児童労働,強制労働
ASEANでは人権保護のための努力が続けられてきたが,ビジネス分野での人権侵害は依然として問題となっている。ビジネスと人権の分野でとくに問題になっているのは,強制労働や児童労働である(注1)。米国労働省の「児童労働・強制労働で生産された製品リスト」強制労働により生産された品目リストによると,ASEAN各国においても児童労働あるいは強制労働で生産された品目が報告されている。報告されている国は,カンボジア,ミャンマー,インドネシア,マレーシア,フィリピン,タイ,ベトナムである。カンボジア,ミャンマーなど所得レベルが低く,ガバナンスも十分に発展していない国だけでなく,マレーシアなどASEANでは高所得の国のエレクロニクスなど近代的な産業でも強制労働が行われていることは注目すべきである。マレーシアの外国人労働者(migrant worker)は強制労働と児童労働を含むひどい労働搾取に対し脆弱であり,労働組合や権利を主張しニーズを主張することを可能にする団体へのアクセスに欠けているといわれる。
米国商務省によるとASEANでは強制労働や児童労働により製造された品目が報告されており,違反商品保留命令(WRO:Withhold Release Orders)によりマレーシア産品が輸入を差し止められた。また,ウイグル強制労働防止法(UFPLA)によりベトナムやカンボジアからの輸入が差し止められている。ASEANでサプライチェーンにおける人権の問題を重要な経営課題として認識している日系企業は急速に増加しているが,人権デューディリジェンスを実施している企業の比率はまだ低い。
*本テーマの詳細な論考は,石川幸一(2025)「ASEANにおけるビジネスと人権」,ITI調査研究シリーズNo.164『新たな課題に挑戦するASEAN』を参照ください。
[注]
- (1)ビジネスと人権で対象となる人権は、労働に関する権利だけでなく国際的公認された極めて広範な人権を含む。
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