世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
インド1億5千万仏教徒の頂点に立つ佐々井秀嶺上人
(都留文科大学 教授)
2024.10.14
2023年,インドは中国を抜き,世界最大の人口を抱える国となった(14億人超)。さらに,経済面においても「人口ボーナス期」を享受し,経済成長を続けている。2022年にはかつての宗主国であるイギリスをGDPで抜き,数年内にドイツや日本をも上回り,世界3位の経済大国になる見込みである(世界銀行)。
一方,今年6月に実施された下院総選挙は,与党インド人民党(BJP)が議席数で過半を割るという予想に反した結果となった。これに対し,BJPは与党連合(国民民主同盟,NDA)を結成し,政権を維持することとなった。強力なリーダーシップをもってインドを経済大国に導いてきたモディ首相が,従来の経済拡大策を維持できるかに不安要素が残るが,前述のようにインドは長期的な経済成長を続けている。
このような激動のインドにおいて,佐々井秀嶺上人はインドの仏教徒1億5千万人の頂点に立つ日本出身の僧侶である。この信徒の数は,日本の総人口を超え,インド総人口の10%超にあたる。彼は,ヒンドゥー教徒が多数を占めるインドで,50年の歳月をかけて仏教徒の数を10万人から1億5千万人に激増させた立役者である。筆者は,佐々井上人にお会いするためにインドの中央部に位置するナグプールを訪問した。街に建てられた仏教寺院の横にある小さな階段を上がると,常にドアを開けているという小さな部屋に佐々井上人はいらっしゃった。89歳のご高齢であるが,気さくな冗談を交えつつ,時には声を震わせながら,自身の歩んできた生き様についてお話いただいた。老齢にも拘わらず腹の奥底から振り絞って出る声には,崇高な覚悟を感じた。この際,佐々井上人を案内してくださったのが,年商百億を超えるIT企業の経営者から得度された小野龍光師と事務局のAmit Gladpale師であった。
1935年に岡山県で生まれた佐々井上人は,若い頃は荒れた生活を送り,自殺未遂を繰り返していたが,僧となった後にインドに渡り,何度も暗殺の危機に直面しながらも,貧困や差別にさらされるアウトカーストの人々を命がけで救ってきた。カースト制度は4つの身分に分けられているが,そのいずれにも属さないアウトカーストとしてダリットと呼ばれる不可触民(触れると穢れるとされる人々)の階級が存在し,インドの人口の約16%を占めると言われている。インドでは憲法によりはカースト制度による差別を禁じているが,ヒンドゥー教とともに3千年続いてきた社会慣習であり,差別は未だに根強く残っているのが実情である。その差別は非常に壮絶で,人間として見なされない,畜生未満という扱いを受けることもある。
さらに,カースト制度は世襲制であり,そこに生まれた場合,親から職業を受け継がざるを得ない。乞食の子供は乞食にしかなれないという状況が続いている。筆者は40年前にコルカタ空港に降り立った際,手のない子供たちに囲まれて驚愕した。その後,乞食の子供が乞食になるために親が手を切るという話を聞き,やり場のない深い憤りを覚えた。現在はそのようなことはないと考えるが,日本では当たり前の職業選択の自由すらないという状況は,未だに続いているインドのカースト制度を象徴している。
このようなダリットたちを救済しようと立ち上がったのがビームラーオ・アンベードカル博士(1891-1956)である。アンベードカル博士はダリットとして生まれ,差別を受けながら育ったが,苦学の末にインド独立後,法務大臣となり,インド憲法を草稿したことから「インド憲法の父」と呼ばれている。ダリット出身であるアンベードカル博士は,不可触民問題に苦悩を重ねた結果,平等で差別のない社会を実現するためには仏教が必要であると考え,仏教再興運動を始めた。結果として,1956年12月に死去する2ヶ月前の10月14日に,約50万人とともにヒンドゥー教から仏教へ改宗した。
その10年後,1967年に龍樹菩薩の夢告を受けた佐々井上人はナグプールに赴いた。ナグプールでアンベードカル博士の話を聞き,共感し,博士の仏教復興運動を継承することとなる。現地の仏教徒と寝食を共にし,アンベードカル博士の教え「学問せよ・団結せよ・闘争せよ」を旗印に,毎年10月に100万人が集まる「大改宗祭」を導師として続け,かつては絶滅の危機にあった仏教徒の数を1億5千万人にまで押し上げ,現在ではインド仏教徒の最高指導者としての地位を確立している。2003年にはインド政府少数者委員会(マイノリティ・コミッション)の仏教代表に就任した。仏教徒の社会的地位向上に尽力する一方で,マンセル遺跡やシルプール遺跡など,巨大な仏教遺跡の発掘と保存にも貢献している。
1億5000万の登録仏教徒に対し,インド政府の2011年国勢調査によれば,仏教徒は0.7%の840万人とされているが,実際には仏教に改宗してもアウトカーストの補助を受けるために形式的な戸籍上ではヒンドゥー教徒となっている人が大半であるとのことである。国民の1割が隠れ仏教徒であるというのは驚くべき事実であり,今回の総選挙でインド人民党(BJP)が過半数を割った一因である可能性がある。強力なヒンドゥー至上主義のインド人民党に対し,カーストに反対する仏教徒改宗者が票の上で「NO」を突き付けることは十分に考えられることなのである。
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