世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
WAOJEバンコク支部15周年大会に参加して
(都留文科大学 教授)
2024.04.15
2024年2月23日,世界で活躍する日本人起業家組織WAOJEのバンコク支部15周年記念大会に参加したので,その状況を報告する。WAOJEは,2004年に香港で誕生した「和僑会」を起源とする組織で,世界中に広がり,現在600数十名の起業家で組織されている。今回の大会には160人以上の世界中の起業家が集まった。参加国は,USA,ドバイ,インド,スリランカ,中国,オーストラリア,東南アジア諸国等である。WAOJE本部代表理事のハーディング裕子氏に加え,西岡達史在タイ日本国大使,黒田純一郎JETROバンコク所長,島田厚日本人会会長も参列した。
様々な催しがあったが特に印象的だったのが7人の歴代のバンコク支部長が,それぞれの思いを語られたことである。それぞれの支部長の人物に触れてみる。
初代支部長である谷田貝良成氏は,1988年に日本大学卒業後,近藤紘一,沢木耕太郎に憧れ,東南アジア専門現地旅行手配会社に入社し,バンコク駐在となった。2000年に独立起業し,いくつかのビジネスを手掛けた後,現在は備長炭と米ぬか酵素風呂のビジネスを行っている。2008年に当時の和協会本部から支部の立ち上げを打診された際は,世界金融危機の余波で,ご自身の経営も苦しかったが,「タンブン」利他の精神で立ち上げたとのこと。この時,既に成功していたPersonnel Consultant社の小田原靖氏に声をかけ,共同創設者として,バンコク支部の立上げを行った。
小田原靖氏は,1993年にオレゴン州の大学を卒業し,タイに渡航し不動産会社に就職した。翌1994年,独立起業し,現在ではタイ国最大級の人材紹介会社に成長している。小田原氏は,WAOJE本部の代表理事を2年間(2020~2022年)務めている。
2代目上野圭司氏(リビングアットイーズ社)は,2001年に早稲田大学を卒業し外食産業に就職した後,2007年来泰した。1年間準備し,2008年に人気洋食レストランを創業。翌2009年よりタイ古式マッサージ「アットイーズ」をスタートした。その後4店舗,マッサージ師100人まで増やした。しかし,コロナ禍にあっては,売上がゼロになるなど苦労し,100人の従業員の雇用を守るため,マスクの製造販売,タイハーブ製品の製造販売,観葉植物の販売,インテリア事業,リフォーム及び各種修繕等を手掛けたという。現在もそのバイタリティーで,日本とタイを飛び回っている。
3代目の長谷川卓生氏(Jeducation社)は,1993年に豪州の大学を出たあと,東南アジアに関係のある会社で仕事がしたいという希望を持ち,日本,ベトナム,タイで,様々な経験を積んだ後,1999年にタイ人の友人と起業した。タイ留学サポートサービスから,日本語学校,そして,来場者10万人を超える「バンコク日本博」を主宰している。長谷川CEOは,「日本とタイの懸け橋になりたい」の一心で20年以上,試行錯誤しながらもビジネスを続けてきている。
4代目幸長加奈子氏は,自動車電装部品の製造販売とダイビングショップを経営している。2001年に,18歳で来泰し,徹底的にタイ語を勉強し,1年後にはフリーランスとしてネットとタイ語を駆使した起業を行った。2008年,自動車用の電装製品のタイ生産子会社設立に携わった。その時の働きが評価され,翌2009年27歳で,社長に着任。一方,幸長氏は,趣味のダイビングが高じて,タイの観光地ラヨーンでダイビングショップと宿泊施設を立ち上げている。
5代目伊狩亮司氏(Siam IN corporation ltd)は,2008年,樹脂メーカーの駐在員として来泰し2014年,勤務先のタイ法人撤退を受け,自身で会社設立した。MANAGING DIRECTORとして,2015年から,樹脂部品の製造販売を行っている。設計から大量生産まで,材料の選定,成形部品の最適設計,成形条件の絞込み,小ロット対応など,技術と小回りを活かしたビジネスで他社を差別化している。
6代目の阿部俊之氏(ASEAN Japan Consulting)は,2003年早稲田大学を卒業後,タイへ渡り,高級自動車販売職として働きながら富裕層や日本人社長とのネットワークを広げ,2007年に起業。タイ株式投資などタイの経済本に関する書籍を多数出版,その後,日本企業の海外進出支援,タイ企業とのビジネスマッチング,F/S支援事業などを手がけている。
そして,4月支部長を引き継いだ第7代目大嶋俊矢氏は,2012年に来泰,現地調査をしたうえで,翌2013年TEPPEN(THAILAND)CO.,LTD.創業。様々な形態のレストランチェーンを10店舗ほど展開している。
激動の時代を乗り越えてきた15年の歴史の中で注目したいのは,歴代7人の起業家支部長がしっかり揃うというのは,奇跡的なことだということである。著者は,自身の研究で,アジア各国を調査したところ,海外での起業は難易度が高く,起業して5年以内の致死率は,80%近いというインタビューの集計結果が得てる。7人全員,かつ15年間会社として生存しているとなるとかなり低い確率となる。まして,バンコクは,歴史を振り返れば,大洪水,軍事クーデター,コロナなどに直面し,決して平穏ではなかったはずである。コロナの際も,前述の猪狩氏が自身の工場周辺でお弁当の注文を取りまとめて大嶋氏のレストランに注文したりといった相互扶助的な事例が数多くあったという。さらに,オンライン会議を頻繁にて情報交換を行い,ビジネス上の相互扶助に加え,精神的な支えも大きかったという。WAOJE,特にWAOJEバンコクは,単なる情報交換の場ではなく戦略的な集団となっており,これが生存率を劇的に押し上げている。海外に飛び出して行った日本人起業家たちは,単に物質的な成功だけでなく,それらを補完する戦略的相互扶助のネットワークを作りつつあると言える。
関連記事
佐脇英志
-
[No.3587 2024.10.14 ]
-
[No.3147 2023.10.16 ]
-
[No.2912 2023.04.10 ]
最新のコラム
-
New! [No.3647 2024.12.02 ]
-
New! [No.3646 2024.12.02 ]
-
New! [No.3645 2024.12.02 ]
-
New! [No.3644 2024.12.02 ]
-
New! [No.3643 2024.12.02 ]