世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
「ひょっとしてハリ」の瀬戸際シナリオ,その成功可能性は…
(関西学院大学 フェロー)
2024.08.12
2024年米国大統領選挙戦の6月後半からの風向きは,まるで冬山の天候急変時のような荒れ方だった。
6月27日のバイデン対トランプのテレビ討論会で,バイデンが老人性の言い淀みや物忘れ症候をテレビの聴衆の前で露呈させてしまう。それが為に,バイデンへの支持率が急落,その悪影響が連邦上院・下院の選挙にまで及びそうになったとき,民主党内でバイデン降ろしの動きが大きくなった。身内からの撤退圧力は,人生の大半を政治にかけてきたバイデンにとっては,何よりも辛いことだっただろう。
7月13日には更に悪い事件が起こる。トランプが銃撃されたのだ。バイデンが,「民主主義の脅威」と非難していた当のトランプが,選りに選って銃撃された。バイデンにとっては悪夢だったのではなかろうか…。銃撃されたトランプの対応は見事だった。突然の銃撃,耳を貫通した銃弾,顔に散った鮮血…。そんな中で,「ファイト,ファイト」と連呼してみせたのだ。トランプ曰く,「担架に乗せられ,退出するような姿だけは見せたくなかった」と…。これでトランプ人気は一段と高まってしまった。
民主党内の圧力の高まりや,低下し続ける支持率を前に,バイデンに為す術はなく,遂に7月21日,選挙戦からの撤退を発表,併せて,ハリス副大統領を支持する旨を公表するに至る。
民主党支持者達の沈滞していた選挙熱は,この候補者交代で一気に活性化した。それとともに,対立構図も,78歳の老人(トランプ:白人男性)対59歳の壮年(ハリス:黒人女性)の戦いに変質した。
この対立構図の急変は,トランプにのみならず,ハリス副大統領にも運が向いてきたことを物語っている。ハリスは,新しい候補の下での団結を求める民主党員の期待の高さから,あっという間に党内を纏めきることができた。
しかしながらトランプは,銃撃されたことで生まれた自らの運を,7月の共和党大会で無為に手放したようにも見える。銃撃事件を通じ,米国の団結と融和を訴える絶好のチャンスを,相変わらずの強硬姿勢で,民主党を批判し続けたのだから…。
それに比べ,ハリスは運を手放してはいない。民主党側の候補者差し替えは,米国政界を覆い始めている世代交代の大波の表面化であり,亦,今回選挙で一番欠けていた,“希望や明るさ”を取り戻し得るもの。つまり,時代の要請に沿っている。
本来,米国の有権者は,“バラ色の将来”を声高に叫ぶ候補者を好む。だが,これまでの老人対決に,米国有権者の大半が何とも言えぬ空しさを感じるようになっていた。そんな中でハリス副大統領の登場は,黒人で且つアジア系の女性という個性を巧く打ち出せば,アメリカン・ドリームの体現者を創り出し得る可能性があることを示す。加えて,ハリス候補の経歴が,カリフォルニア州の検事であり,且つ州司法長官であったことも,裁判で脛に傷持つトランプへの有効な攻め手になるだろう。
要するに,バイデンの撤退決意が,11月の本選挙の100日前であったことが,ハリスには幸いしたのだ。もし,バイデンがもっと早く撤退を決意していたら,民主党は正式に各州予備選から,同党の大統領候補指名の手順をやり直したかもしれない。そうなれば,ハリスが指名を得られたかどうか…。だが,11月の本番の選挙を直前に控えた状況下では,譬え共和党から「民主党は民主主義の根幹である手続きを一切無視して,恰も専制国家のような手法で,候補者を差し替えた」と批判されようが,民主党にとっては,この方法しか起死回生策はなかったのだ…。そして,共和党側からの,上記のような批判が強ければ強いほど,その批判はハリス本人にではなく,そうしたやり方でハリス指名に賛成した民主党員一人一人に向けられたものだとのニュアンスが強くなる。つまり,そうした共和党側からの批判は即,逆に民主党内を引き締める効果を持つものなのだ。
直近の各種世論調査を見る限り,ハリスが急激にトランプを追い上げている。
しかし,8月初旬の時点では,その追い上げは,未だトランプを倒すほどには至っていない。例えば,8月5日付けの米国NPRラジオの,両候補の大統領選挙人の獲得予想では,ハリス側が確実(safe)に,或は,ほぼ当然(Likely)に,更には恐らく(Lean),獲得すると見通される州の合計数と,当該州に割り当てられている合計選挙人の数は,それぞれ,19州(含むワシントンDC),226名になるという。対する,トランプ側は27州,268名に達するとされる。
要は,バイデンからハリスに替わっても,全体としてトランプ優位の構造は,基本的には変わってはいない。唯,その差は,大幅に縮まってきてはいるが…。
そうした中で,勝敗が読みがたい文字通りの激戦州として残されているのが,中西部の3州(ウィスコンシン,ミシガン,ペンシルベニア)だ。
NY Timesが8月6日に報じた処では,それら3州での両候補の支持率は以下の通り。
- 州 ハリス支持 トランプ支持
- ウィスコンシン 49% 49%
- ミシガン 49% 49%
- ペンシルベニア 47% 49%
上述のNPRラジオによれば,winner take all方式を採っていないメイン州とネブラスカ州では,各候補への支持率に応じて,州に割り当てられている選挙人の数を比例配分しているとのこと(メイン州:民主3名,共和1名,ネブラスカ州:民主1名,共和4名)。
大統領選勝利に必要な選挙人の数は270名。NPR報道をそのまま信じれば,ハリス側は44名不足。トランプ側は僅か2名不足。こう見れば,ハリスが如何に劣勢であるかが印象づけられよう。だが,ハリスの勝機は,上記中西部3州での勝利を追求し,勝つ,NPRラジオがLean(恐らくは)という範疇に分別した,サンベルト4州での支持率を一層高めることで,見いだし得るのではないか…。言換えると,この段階でハリスが勝つための戦術は,①現状,接戦の中西部3州(ウィスコンシン:選挙人10名,ミシガン:15名,ペンシルベニア:19名)で全て勝つことが必須(それで選挙人数44名を得て,漸く270名丁度となる)。それに加えて,②トランプに靡きつつあった,それ故,NPRラジオではトランプが獲得するであろう(Lean)と見通されていた,サンベルトの4州(ネバダ:選挙人数6名,アリゾナ:11名,ジョージア:16名,ノースカロライナ:16名)のどこかを,何としても奪い返すことだ。
ちなみに,8月5日時点でのTelegraph紙の情報では,サンベルト4州での両候補の支持率は,ハリスの急激な追い上げで,嘗てのようなトランプ優位は大きく縮小している。故に,この調査を信じれば,ここにもハリスの勝機があるということになる。
サンベルト4州での世論調査結果は以下の通り。- 州 ハリス支持 トランプ支持
- ノースカロライナ 41% 44%
- ジョージア 44% 46%
- アリゾナ 44% 43%
- ネバダ 40% 40%
こうした中で,ハリスは8月6日,ミネソタ州のワルツ知事を副大統領候補に指名した。ワルツは,中西部の裏庭でのバーベキューパーティーで出会うような,典型的な白人男性。60歳と,ハリス候補と歳も近く,生まれはネブラスカ州。ネブラスカ州兵として兵役に従事した実績もある。こうした人物を自分のランニング・メイトに選んだこと自体,ハリス陣営が,現行ではトランプに傾いているサンベルト諸州での支持率引き上げを狙っている様がうかがえるというもの。
ミネソタ州は,NPRラジオの分類に従えば,Lean,つまり,民主党候補支持に回る確度は“恐らく”程度と判断されるブルー州。ハリス陣営としては,同州の知事を副大統領候補に指名することで,今なおLeanの段階に留まっているミネソタ州(選挙人10名)を,確実にハリス支持に取り込むと共に,典型的な中西部白人男性の風貌を持つワルツの影響力を駆使して,中西部に拡がる共和党支持州,とりわけ,ワルツの生まれたネブラスカ州での選挙人を,譬え一人でも二人でも奪い返すことを目論んでいるのだ。
加えて,ミネソタ州の西隣は接戦州の一つウィスコンシン,その地理的近接性を使い,「ウィスコンシン州西部の農村地域に,ワルツの影響力を及ぼし得る」との計算も働いているとみるべきだろう。そして更には,アリゾナやネバダには,ワルツを通じての中西部白人対策を講ずると共に,ハリスは自らの黒人ルーツやカリフォルニア出身を売りに,これら地域に西部から移住してきたIT絡みの技術者層にも,積極的なアプローチを展開しようとするだろう。
ハリス陣営は7月末から8月初旬にかけて,バイデン大統領が構築していた,これまでの選対の組織や指揮系統を大幅に変更,新たに,オバマ大統領やクリントン候補の選挙に従事したベテランを新規起用,それらの総括指揮をオメリー・ディロン女史が取る体制に変えた。
そして,こうした新体制への切り替え,今回の民主党副大統領候選定,その後の民主党大会でのハリス・ワルツのコンビの正式化,或は,その後に予定されていた9月10日のABCニュースでの2回目のテレビ討論などは,いずれもマスコミの脚光がハリスにあたるイベントとなる。
一方,トランプも,ハリスに代わり,自らが脚光を浴びるような出番を次々と創り出し始める。7月30日に民主党の牙城とも言うべきシカゴに乗り込み,黒人団体主催の会合に臨んで,「ハリスは,今頃になって,己の黒人であるルーツを言い張り始めた」と挑発してみたり,結局,実施することで落ち着いたようだが,上記9月10日開催予定の,ABCニュースでテレビ討論を,キャンセルすると言い出し,代わりに9月4日のFox ニュースでのテレビ討論を逆提案(開催地はペンシルべニア州)してみたりと,幾つかの州では11月の選挙に向けた郵便投票が始まる頃,手の込んだ話題造りにいそしんでいる。それにしてもトランプは,よくもまあ,次々と色々なアイディアを出してくるもの…。彼は,真に,本性からの交渉好きなのだろうと,改めて思った次第。
そういえば,トランプ自伝という本の中に次のような一節があったのを思い出した。
「マスコミについて私が学んだのは,彼らは何時も記事に飢えており,センセーショナルな話しほど受けると言うことだ…。要するに,人と違ったり,少々出しゃばったり,物議を醸すようなことをすれば,マスコミが取り上げてくれるのだ…。宣伝の最後の仕上げは『はったり』である…。人は,大きく考える人を見ると興奮する。だから,ある程度の誇張は望ましいのだ…」。
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