世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
1950~80年再考:この時期をどのように評価するか
(岐阜聖徳学園大学 教授)
2024.06.03
2010年代前半に『21世紀の資本』を著し突如として世界的に有名になったフランスの経済学者トマ・ピケティは,1950~80年間に欧米および日本において,歴史上最も経済的平等化が進行したと主張した。さらに彼はその後の著書『資本とイデオロギー』(2019)において,統計を縦横無尽に駆使してそれを裏付けようと試みた。言い換えるなら,多くの国において中流階級が形成されて,かつてウォルト・ロストウがそのように呼んだ「高度大衆消費社会」が現実のものになったということだ。たしかに日本人にとっては一層如実である。
たとえば筆者にとってこの時期は,小さいころの思い出が鮮明に残っている。なにせ次から次へと家庭電化製品が我が家に入って来たのだから。それ以前のまともな電化製品といえば,卓上ラジオのみであった。そのような家庭にさまざまな耐久消費財が入ったのだから,物的な豊かさを実感しないわけにはいかなかった。そのような事情が日本の多くの家庭において見られたであろうことは想像に難くない。とくに日本の場合,1960年代に当時の池田勇人首相によって提唱された「所得倍増計画」が現実のものになったことと軌を一にしている。当時のマクロ指標を回顧するなら,インフレ傾向は見られたものの所得成長率の方がそれを上回っていた。しかも失業率も驚くほど低い水準で推移していた。
こうした現象は日本だけが特異だったわけではなくて,当時の主要先進国においても見られたのである。それを詳細な理論と統計で裏付けようと試みたのがピケティだったわけだ。そのような見方はピケティとその支持者だけではなく,ダロン・アセモグルと共著者たちも強調点の置き方に違いが見られるもののほぼ同様である。ただし後者は,平等化が進行した時期を1946~70年代前半と措定している。なぜなら当時の主要国のマクロ政策がブレトンウッズ体制を背景として,ケインズ政策に大きく依存していた時期だからだ。ここでいうケインズ政策とは,財政政策と金融政策とのポリシーミックスによって,完全雇用を最優先することで国内均衡の方にウエイトをおくスタンスのことだ。そうしたやり方で高度な経済成長が実現し,その成果が国民全体にトリクルダウンしていった。その結果が,平等化の進行であった。もとより経営側に対する対抗勢力として労働組合の交渉力も作用したであろう。このことについては,ケネディ政権のブレーンの一人だったケネス・ガルブレイスによって「拮抗力」と呼ばれた。だが1970年代半ばに発生した石油危機を契機に,事態は一変する。つまり景気は停滞したままでインフレーションが起きるといったスタグフレーションが主要国を覆うようになり,ケインズ政策優勢の時代は終焉を迎えることとなった。
いずれにせよこの時期は,主要国にとって特殊的だっただけではない。いわゆる開発途上国グループにとってもこの時期は独特だった。すなわち輸入代替工業化(ISI)期として捉えられるのである。この時期にそのような開発戦略を主導したのは,国連貿易開発会議(UNCTAD)の初代事務局長ラウル・プレビッシュであった。かれが依拠していた経済学は,ケインズ経済学に親和的性格の強い構造主義経済学であった。かれは途上国側を代表して先進国側に対して,あたかも経営側に対する労働組合のごとく首尾よく交渉し,いくつかの譲歩を勝ち取った。そして途上国の経済発展の足掛かりをこの時期にたしかなものにしたのだった。プレビッシュは比較優位の原理に反対の立場をとったため,主流派の多くの学者はかれを評価したがらないが,ケインジアンの立場を堅持しているジョセフ・スティグリッツやダニ・ロドリックらは一定の評価を与えている。典型的なかれらの評価によれば,輸入代替工業化期とその後の新自由主義優勢の時期とを比較したとき,前者のほうが経済成長率と所得分配の平等化の面で良好であった。もっともインフレの進行ということにおいては,逆ではあったが。なお若い時分にケインズ本人から薫陶を受けたハンス・シンガーは,この時期をケインジアン・コンセンサスの時代とみなした。なぜなら主要先進国と途上国のいずれにおいても,積極的な国家介入もしくは国家主導を肯定的に捉えたことにおいて共通していたからだ。
以上のことから,この時期の正しい評価は,その後新自由主義が影響をおよぼしたことにより経済格差がグローバルな次元で進行した時期と比較することを通して,総合的かつ歴史的コンテクストでなされねばならないだろう。
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