世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3379
世界経済評論IMPACT No.3379

イノベーションが必要なのは中小企業なのか?

鶴岡秀志

(元信州大学先鋭研究所 特任教授)

2024.04.15

 日経ビジネスに連載されている「チガサキから世間を眺めて」を楽しんでいる。4月12日付の「旅客機を造れない日本がロケットを造れるわけ」は技術製造イノベーションの真髄に触れた実例紹介なのでご参考にしていただきたい。

 新NISAが開始され,日経によるとその投資先は日本以外が圧倒的に多いにもかかわらず,日経平均が4万円を超えたことで証券・金融関係者は我が世の春のような強気の発言が目立つ。低金利・円安・物価上昇は輸出企業と国税庁にとっては恩恵だがほとんどの中小企業と消費者にとっては重荷であるにもかかわらず,大手よりも中小に対してイノベーションの必要性を強調する「識者」が目立つのは気のせいか。このような状況下,証券・金融関係識者はITを囃子言葉にして利ざやを掠め取る思惑が露骨になっている。その皺寄せが現れているのがWeWorkに代表されるようなもともと存在するものをITで化粧を施し高値でマネーゲームを仕掛けるビジネスである。

 EV,正確にいうとBEVは環境対応ではなく政治的な産物となりつつある。2017年以来,筆者はドイツを中心とした欧州の環境政策およびEV推進について技術的矛盾を指摘してきた(IMPACT No. 701888901964162618142009239824202516279831113141)。そのほとんどが2023年から今年にかけて実体化したので拙著をご参照いただければと思う。真面目にEV開発に取り組んでいる我が国や米国の自動車メーカーに対して時代に乗り遅れることを揶揄するメディア有名人が多数いたものの,2023年中頃を境にドイツおよび北欧各国の抱える矛盾が露呈して世間のムードが逆転しつつある。スマホと同じ感覚で作られている中国製EVは淘汰の段階にきている。EVを優れたイノベーション,そして地球環境COP会議における欧州,特にドイツを中心とした環境フリークを誉めそやした評論家や経済人は厚顔をものともせず未だに活動している。

 歴史はイノベーションが評論家や政治家が待望する以外でその芽が育まれることを教えてくれる。今をときめくNVIDIAはゲームなどの画像処理用半導体チップ(Graphics Processing Unit: GPU)を開発していたが,このGPUがAIに必要な大量の単純演算処理に役立つことに気がついていなかったと言われている。コンピューターのProcessing Unit は足し算を行なっているだけである。掛け算は掛ける回数だけ足し算を行えば良いし,引き算は数字にマイナス符号をつけて足し算を行い,割り算は逆数を掛けることである。微積演算も漸化式計算で足し算により処理できる。よく言われる「並列処理」は,数学の行列を例にとれば各行ごとの逐次計算ではなく全行を同時に計算してしまうようなものと考えて貰えば良い。昭和のブラウン管テレビならば操作線は1本の一筆書きなので逐次計算でも処理できたが,現在のテレビ画面は数列と同じ「マトリックス処理」なので高速多次元処理のチップが画像処理の重要なツールとなる。

 GPUが仮想通貨のブロックチェーンのような膨大な量の単純計算を繰り返すシステムに活用されようになったことは必然である。このように当初の目的から離れたところで活用方法を見出すひらめきもイノベーションである。中央演算処理装置(CPU)の並列処理ではシステムが大規模になり汎用性が得られていなかった生成AIを膨大な量の単純計算をこなすチップが登場したことでコンパクトなサーバーによる処理を可能にして一気に汎用性を高めた。今後しばらくは電力消費量を削減する工学的課題に直面することになるだろう。

 民主主義世界では経済・金融は産業活動の潤滑剤であるので,貴金属地金や札束を扱う代わりに数字だけを記載した債権取引は,お金の流れを円滑にするために重要な「装置」である。しかし,新型コロナ以降の経済は製造という大きさ,重さ,形,搬送そして時間を要する実作業を完全に無視して「思惑」に依拠してお金でお金を稼ぐ強欲経済に陥っているのではないだろうか。G7各国の金融市場は法律や規制の網の目をくぐる形で利益を得ることに奔走している。環境先進地域を自慢する欧州が主導するESG投資も結局は科学的根拠が薄弱な蜃気楼のようなものになりつつある。DX債のようにESGやSDGsでイノベーションを進めると主張するならば,具体的な内容を示さなければならない。現状では再生エネルギーへの投資が主流であるが,太陽光パネルによるメガソーラーなどはパネルの寿命と廃棄処理の難しさを考慮すると環境フリーク的議論はイカサマである。結果的に,ひたすらお金の価値での取引になっているので環境への貢献など二の次である。

 メディアはイノベーションとして見ていないが,最近のニュースでウクライナが旧式の単発エンジン小型機(いわゆるセスナのような飛行機)を爆弾搭載の無人操縦式特攻機に改造してウクライナ・ロシア国境から1000kmも離れた場所を攻撃していると報道されている。WEB検索していただければ分かるが,旧式の単発機なら10万ドル程度で売りに出されている。二人乗りでも300kg程度の重量を積み込んで飛行できるので,同じ程度のペイロードと飛行距離の弾道ミサイルを製造するより安価である。旧式のレシプロエンジンならば自動車用軽油で飛べるので高価なロケット燃料を用意する必要もない。マイクロ波吸収黒色ペイントで塗工して夜間低空飛行ならば探知されにくい。船舶型の水上特攻ドローンや小型特攻機というアイデアは,旧日本軍がそれぞれ「震洋(小型ボートに爆弾を装着したもの)」や戦闘機に爆弾を搭載して使ったことが元ネタだと思うが,ウクライナの自動操縦技術を使って昔からあるものを活用するというイノベーションである。

 ウクライナの特攻兵器のようにイノベーションの多くはルール逸脱から生まれる。この観点から小林製薬は独創的で高収益企業に成長した企業であった。ニッチな製品で消費者市場に刺さる製品を開発投入したと言うと,とても素晴らしいことを推進したと聞こえる。しかし,初期の「洗浄丸」という次亜塩素酸タブレット製品は四国のソーダ会社が製造していた水泳プールや工業用塩素化イソシアヌル酸塩タブレットをそのままパッケージしていた。元々業務用なので強い効果で家庭用としては機器が痛む,排水中で危険な気体が発生する等,石鹸洗剤,家電,住設業界ではかなり物議を醸した。固体なので1箇所にとどまり強い酸化力で配管を痛めるため家庭用には不向きであったので,常識的には液体塩素製品を各社で販売していた。しかし,ヌメリや配管の悪臭を簡単に除去できたのであっという間に一般家庭に普及した。ライオンなど他社が似たような商品で追随したが現在は実質的に一強である。また1980年代後半に世界的に大ヒットしたディオールの香水「プワゾン」は消費者テストでは悪臭と評価される匂いを使って,それまでの甘く爽やかな香りが主流であった市場をひっくり返した傑作であった。食事の場では不快感を覚える人が多かったのでかなり物議を醸したが香水業界のイノベーションであった。

 経済・金融関係者の説明するイノベーションはシュンペンターの理論を鸚鵡返しに述べるに過ぎず「どうしたら良いのか?」という実効性に欠ける。投資リターンさえ得られれば良いので各テーマ関わる中小企業の人々への関心は見られない。多くの大企業経営者にとって株主への利益還元が重要事項になっている現在,ブレークスルーに必要なガイキチ,天才,秀才,器用人などバラエティに富んだセレンディビティ・チームを育成・構築する議論は難しいのだろう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3379.html)

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