世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3311
世界経済評論IMPACT No.3311

ASEANはタイ原産中国EV流入に備えよ:中国車が続々「タイ製」へと看板を掛け変え

助川成也

(国士舘大学政経学部 教授・泰日工業大学 客員教授)

2024.02.26

 「日本の牙城」とも言えるタイの自動車市場に異変が起こっている。2023年,中国車が市場シェア11%に急増した。タイ政府の電気自動車(BEV)振興策と自由貿易協定(FTA)を利用した中国車の躍進は,日本企業にとって未曽有の脅威となりつつある。市場の構造変化が,タイを舞台に激化する国際競争の新章を告げている。

タイの乗用車市場で中国系EVが躍進

 長年,「日本の牙城」とされてきたタイ自動車市場で地殻変動が起きている。2023年のタイの自動車市場78万台のうち中国車が8.7万台,シェアは11%と2桁台に乗った。中国車のトップ3は,BYD(比亜迪),MG(上海汽車-CP),NETA(浙江合衆新能源汽車)で,MG以外はタイ国内に未だ生産拠点はない。ASEANと中国との自由貿易協定(ACFTA)を用いて,中国からバッテリー型EV(BEV)が流入しているのである。

 中国車の躍進の背景には,ACFTAに加えて,タイ政府のBEV振興策がある。タイ政府は24年または25年の国内生産を条件に,輸入BEVに対して補助金付与,物品税減免など経済的インセンティブを約束,積極的な投資誘致活動を展開した。その結果,中国企業が次々に呼応,22年以降,生産拠点設置を前に,中国製BEVがタイ市場に流入している。

 その結果,23年におけるBEVの販売台数は7.4万台を記録し,タイ自動車市場に占めるシェアは前年の1.2%から一気に9.5%に拡大した。タイでは23年半ばにメルセデスベンツ,年末にホンダ,MGが,それぞれBEVの生産を開始したばかりで,23年のBEV生産台数はわずか164台で,BEV輸入が急増している。

 マーケティング分野の「クリティカルマスの法則」では,商品普及が爆発的に跳ね上がる閾値を「市場シェア16%」としているが,BEVは9.5%でその水準には至らない。しかしそれは,BEVはほぼ全量が乗用車という実態を反映していない。BEVの商用車での採用には依然,課題が多い。乗用車分野でBEVのシェアを再計算すると,同法則の閾値を大きく超える25.2%に達する。またBEVにハイブリッド車(HEV)やプラグインハイブリッド車(PHEV)を含めた次世代自動車全体では57.6%である。タイの乗用車市場に地殻変動が起きている。

中国車がタイを生産拠点に選ぶ理由

 中国製BEVをタイ市場に投入している企業は,テスラを除き,タイ政府からBEV補助金を受けている。これら企業は,24年または25年にタイでBEV生産が求められる。タイでのBEV生産は黎明期にあり,23年半ばにメルセデスベンツが,年末にホンダ,MGが,それぞれ生産を開始したばかり。24年に入り,1月に長城汽車が「ORA(欧拉)」の生産を開始した。24年中にBYDやNETA,広汽埃安新能源(AION)が,25年には長安汽車が,現地生産に参入する。これら企業の多くはタイ国内に加えて,ASEAN,豪州,ニュージーランド,欧州向け輸出も検討している。

 もともとASEAN各国は自国での自動車産業育成を目指し,高い関税障壁を設けてきた。タイの場合,最恵国待遇(MFN)で80%の高関税を課している。しかし地域経済統合の潮流の中,ASEAN自由貿易地域(AFTA)を創設,ASEAN原産に限り関税を撤廃した。その結果,域内拠点の機能再編が起こり,タイとインドネシアが同地域の自動車生産・輸出拠点に成長,それ以外の国はKD生産や主要部品を供給することでASEAN自動車産業を支える構図が出来上がった。

 2000年代に域外国とのFTA構築が進む中でも,自動車の産業基盤が脆弱な国を除き,関税障壁は基本的に維持された。つまり自動車の関税撤廃はほぼASEAN加盟国のみの特権であった。ただしASEANが初めて域外国と締結したACFTAでは,タイの関税障壁に隙間が空いており,2010年以降,BEV関税はゼロになった。

 大小様々な国営・民営企業が群雄割拠する中国BEV市場は,過当競争で設備稼働率が低迷,「淘汰」の時代に入った。それら企業にとって,タイ市場のわずかな隙間は,企業存続にとって「一筋の光」である。更にタイ政府のBEV振興策の後押しを受けて現地生産すれば,タイやASEANが構築したFTA網を積極活用出来ることに加えて,欧州を中心に警戒される「中国製」BEVを「タイ製」へと看板を掛け変えることが出来る。

注目される「タイ原産」称号獲得の可否

 中国EV企業がタイ国内市場に加え,輸出するには,FTA活用が不可欠である。FTA活用の条件は「現地付加価値率40%」。車両価格の3分の1を占めると言われるバッテリー生産の現地化の程度や,タイの産業集積の活用度合いに左右されようが,生産の初期段階では,部品の大半は中国から輸入され,その条件を満たすのは難しい。

 「現地付加価値率40%」が満たせない場合,タイで生産されたBEVの大半がタイ国内市場に滞留することになる。仮に供給過剰になった場合,中国と同様に投げ売り的な値引き販売が横行すれば,市場全体に影響しかねない。

 「現地付加価値率40%」を満たし,中国車がタイ原産と認定されれば,同車両はASEANのFTA網を通じて域内外に輸出され,各国の自動車企業とタイ原産中国車とが相まみえることになる。いずれにしてもアジアの自動車産業は大きな過渡期を迎えている。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3311.html)

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