世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3832
世界経済評論IMPACT No.3832

インドのRCEP復帰を促す絶好の機会:日本とASEANの戦略的アプローチ

助川成也

(国士舘大学政経学部 教授・泰日工業大学 客員教授)

2025.05.19

米国市場喪失の危機─輸出先多角化へ踏み出すインド

 2025年1月にトランプ大統領が再任されて以降,米国は「相互関税」を掲げ,最大で50%に達する制裁的関税を一方的に課すなど,横暴な政策で世界を振り回している。就任早々の2月,ホワイトハウスにトランプ大統領を訪問し,防衛や経済協力の深化を確認したインドも例外ではなく,自動車部品,繊維,宝飾品など多くの輸出品目が追加関税の対象とされた。インドにとって米国は最大の輸出先であり,2024年の対米輸出は全体の18.6%を占める。だが今回の措置により,インド製品は米市場での競争力が低下し,長年築いてきた輸出基盤を一気に失う危機に直面している。

 これを受けてインド政府は通商政策の転換を図り,2025年5月6日には英国と,2024年3月にはEFTAとFTAを締結。さらにEUとも年内のFTA締結を目指し交渉中である。モディ政権は,かつてRCEP交渉からの離脱を決断した保護主義的姿勢を見直し,多国間自由貿易への回帰と輸出市場の多角化に舵を切り始めた。

 こうした中,インドを再び地域経済に組み込む絶好の好機が訪れている。2025年夏に予定されるASEANインド経済相会議は,RCEP復帰を働きかけるうえで戦略的に重要な場である。日本とASEANが連携し,インドが懸念する農業・投資・原産地規則の課題に配慮した提案を示せば,交渉再開の端緒となりうる。

世界企業が注目するインドの「輸出拠点化」

 一方,インドを輸出拠点に位置付ける企業も増えており,RCEP復帰に追い風が吹いている。米アップル社は米中摩擦を受け,製品の生産拠点を中国からインドへと移している。2025年3月には,インドから米国へ150万台のiPhoneを空輸し,同国が「対米輸出の拠点」として本格的に機能し始めている。また中国に対する145%関税の方針も影響し,アップルはインドやベトナム製への切り替えを加速している。今後,米国の高関税を回避するには,RCEP域内との連携を軸とした供給網の再構築が不可欠である。

 自動車産業でも同様の動きが見られる。スズキなどインド進出企業は,グローバルサウスを中心とした輸出拠点化を進めている。ASEAN市場も視野に入るが,現行のASEANインドFTAでは完成車・部品は関税撤廃の対象外であり,障壁となっている。こうした制約を超えるためにも,RCEP復帰は不可欠である。

 RCEPは世界のGDPと貿易の約3割を占め,域内関税の9割を撤廃し,原産地規則や通関手続きを統一する。企業にとって制度的予見性を高め,スパゲティ・ボウル現象を回避できる利点がある。インドにとって,輸出拡大とチャイナプラスワンを志向する企業誘致の双方で,RCEP復帰は大きな追い風となる。「メイク・イン・インディア」政策の完成形とも言える。

RCEP復帰が世界に波及させる「化学反応」

 筆者はかつて,インド不在のまま発効したRCEPは,漂流しかけた自由貿易秩序をアジアが主体的に再建した象徴であると指摘した。米国がTPPを離脱し,英国がEUから離脱するなど,多国間協定に対する信頼が揺らぐ中で,RCEPは「自由貿易体制の再構築に向けたアジアの意思」を可視化するものとなった。

 いまここに,14億人の巨大市場であるインドが復帰すれば,RCEPは真に包括的な経済圏となり,その影響はCPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)やFTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)といった他の枠組みへも波及しうる。「メガFTA再興」の呼び水となる,化学反応的効果が期待される。

 RCEP協定には「インドの将来的復帰を歓迎する」と明記されており,制度上の扉は開かれている。ASEANは伝統的に「ASEAN−X方式」によって柔軟な参加形態を容認しており,日本との協調を通じて,インドが安心して復帰できる着地点を模索することは可能である。

 RCEPは単なる通商協定ではなく,アジア太平洋における経済秩序形成の試金石である。そこにインドが再び加わることで,「自由で開かれたインド太平洋」構想にも現実的な厚みが加わる。トランプ相互関税という逆風を,地域統合の追い風に転化する。その知恵と意志こそが,いま日本とASEANに求められている。

 今こそ,日本とASEANは共に,インド復帰への道を示す外交戦略を再起動させるべきである。それは単に地域の経済統合を進めるだけでなく,混迷する世界経済に希望のシグナルを送り出す行為でもある。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3832.html)

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