世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
平和と狂気
(静岡県立大学 名誉教授)
2024.01.15
田舎のお百姓さんであれ,都市で働く労働者であれ,庶民はみんな平和な世界で穏やかな暮らしを求めている。ロシア革命の時も民衆は「パンと平和」を求めた。それなのに,長い人類の歴史を振り返ると「戦争の歴史」じゃないかとすら思える。政治家の中には,独裁者の中には,過激派集団の中には,戦争によって自分の権力維持を図ろうとする者もいる。
あまり宗教心のない筆者だが,あまり日本人的でない性格の筆者だが,「一神教」より「八百万の神」に親近感がある。樹齢何千年と言われる屋久杉や高い山に神が宿ると人が思うのは理解できる。「青空や海のように,美しいもの,喜びを与えてくれるもの,安心を与えてくれるもの,慰めを与えてくれるもの,畏敬の念を起こさせるもの,すべてが『カミ』である」と言っていると山尾三省の言葉をゴリラの先生が書いている(『文藝春秋』,1月号)。人の考え方には,二つあると思う。一つは,人と自然をうまく調和させて生きていこうというもの。もう一つは,文明が進歩し,技術が進むことによって,自然をコントロールすることが出来るというもの。どうやって自然と調和させるか,そこに人々の知恵を使うべきだと筆者は考えている。
去年は「オスロ合意」30年ということで,多くの記事が新聞・雑誌に登場した。クリントン大統領の前でイスラエルのラビン首相(オスロ合意2年後の1995年11月に暗殺された)とPLOのアラファト議長が握手している写真は教科書にも出ているので見たことがある人も多いだろう。ラビンは親交があったノルウェーのホルスト外務大臣の仲介で,1993年からオスロでPLOとの秘密交渉を始めた。
この4人以外にも多くの人が中東の安定を求めていた。歴史家のLawrence Freedmanが10月14日のFTに寄稿した記事(No end in sight- Israel’s search for a Gaza strategy: Military force cannot succeed without a plan for what comes next)には,1995年,ホワイトハウスで,オスロ合意の地図にサインした時の写真が出ている。クリントン大統領の左にエジプトのムバラク大統領,その左にイスラエルのラビン首相,クリントンの右はヨルダンのフセイン国王(いまのアブダッラ国王のお父さん。むかしフセイン国王と同じテーブルで食事をしたことがある),その右にはPLOのアラファト議長が写っている。
やろうと思えば,平和は実現できるのです。十字軍の時代でも,短い期間だったが平和を実現できたことがあった。1229年2月18日,テルアビブ南部のヤッファで神聖ローマ皇帝フリードリッヒ2世と,アイユーブ朝第5代スルタンのアル・カーミルは平和条約を結んだ(『NHKスペシャル 文明の道4:イスラムと十字軍』2004年)。エルサレムに和平が訪れてから9年後の1238年にアル・カーミルは亡くなり,その12年後にフリードリッヒ2世が亡くなった。19世紀,フリードリッヒ2世の棺の学術調査があった。フリードリッヒ2世の遺体はイスラム風の衣装を身にまとい,その袖にアラビア語で「友よ,寛大なる者よ,誠実なる者よ,知恵に富める者よ,勝利者よ」とアル・カーミルに向けたと思われる言葉が刺繍されていたという。
十字軍まで遡らなくても,ヨーロッパに目を転ずれば,フランスとドイツは3回も大きな戦争しているのだ。普仏戦争は1870年から1871年,日本で言えば明治3年から4年だ。第1次世界大戦が1914年から1918年,第2次世界大戦が1939年から1945年だ。戦後,再び世界戦争を起こさないためにはどうすればいいか,思想家も,政治家も,外交の専門家も,コニャック商人も,みんな知恵を絞った。乱暴に言えば,フランスとドイツを経済的に運命共同体にしてしまおう,というアイディアだった。
平和を実現するには多くの人の多くの努力が求められる。しかしそれを一瞬の「狂気」は壊すことが出来る。ハマスもネタニヤフも戦争が自分たちに利益をもたらすと考えているのだろう。
目の前にある現実も制度も,人間が作ったものだ。長い厳しい道のりだが,平和実現のための制度・体制を求めるのが,理性ある人間だろう。アルゼンチン生まれのピアニスト・指揮者のダニエル・バレンボイムは,アルゼンチン,イスラエル,パレスチナの国籍を持つらしい(Daniel Barenboim, “My land, my pain,” International Herald Tribune, May 14, 2008)。
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