世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
それは「あゝモンテンルパの夜は更けて」で始まった:どんどん太くなる日本とフィリピンとの絆
(国際大学 学長)
2023.12.25
70年前の1953(昭和28)年7月22日,横浜港に着いた「白山丸」に乗って,フィリピン・モンテンルパ市のニュービリビッド刑務所に「戦犯」として収監されていた108名の「旧日本兵」全員が,帰還をはたした。彼らの多くは,死刑を宣告されていた者であった。この時,すでに死刑を執行された17名の仲間の遺骨も,一緒に帰国した。
この帰国は,当時のフィリピン大統領で,妻子を日本軍によって殺された経験をもつ,エルビディオ・キリノの「恩赦」によって実現した。フィリピンではまだまだ日本への「敵意」が強く残っていた状況下での,政治生命を賭した寛大な決断であった。
その際,フィリピン政府を動かしたのは,自らが前年の52年12月にニュービリビッド刑務所へ慰問に出かけた歌手渡辺はま子が歌った「あゝモンテンルパの夜は更けて」である。20万枚を売るヒット曲となったこの歌の作詞者は代田銀太郎,作曲者は伊藤正康。歌を作った時,彼らはいずれも,ニュービリビッド刑務所で死刑を待つ身であった。
「あゝモンテンルパの夜は更けて」は,第二次世界大戦後の新しい前向きな日本・フィリピン関係の出発点となった。そして,両国間の絆は,時を重ねるごとに深まっている。
筆者の脳裏に「あゝモンテンルパの夜は更けて」の調べが鮮烈に甦ったのは,2023年10月に訪れたマニラのJICA(独立行政法人国際協力機構)フィリピン事務所でお会いした坂本威午所長が,このエピソードに言及されたからである。お話のなかで坂本所長は,今日のフィリピンがpromising(将来有望)な国だとして,国民の平均年齢が若い,人口ボーナスが世界有数の水準に達する,近年の経済成長率が世界トップクラスである,対外債務の規模が小さい,十分な外貨準備高を有する,などの数々の証拠を挙げられた。賢く礼儀正しい,コミュニケーション能力が高い,「おもてなし」の文化をもつ,チームプレーが得意だ,英語が上手である,などのフィリピン人の特性についても触れられた。そして,何よりも,親日的で日本への好感度が高い点を強調された。「あゝモンテンルパの夜は更けて」で始まった日本とフィリピンとのあいだの新しい絆は,さらに強固なものとなって,現在でも続いている。
マニラでは,アジア開発銀行(ADB)の本部も訪れ,同行の浅川雅嗣総裁にお会いした。ADBは,62年12月に設立された国際金融機関で,アジア・太平洋地域に所在する加盟各国の経済発展に貢献することを目的とする。最大の出資国は日本で,歴代の総裁は日本人がつとめてきた。第10代目の総裁である浅川氏からは,最近のADBの活動について詳しいお話をうかがった。主として開発途上国を対象にして,COVID-19のパンデミック時にはワクチンの調達と活用に尽力したこと,その後は気候変動対策の強化と食料難の解消にとくに力を入れていること,一貫して国づくりを支える人材の育成を支援していること,などである。筆者は,アジア諸国のエネルギー開発の現場をいくつか訪ねたことがあるが,どこでも,ADBに対する信頼感と期待感が強かった。浅川総裁のお話から,その理由がわかった気がした。
筆者が学長をつとめることになった国際大学では,23年9月の入学式で,57ヵ国から211名の新入生を迎えた。日本と並んで最大の出身国となったのは,新入生の人数が18名に達したフィリピンである。その多くは,JICAやADBの支援を得て,日本にやって来た。日本とフィリピンの絆は,どんどん太くなっている。そして,これからも両国は,良きパートナーであり続けるだろう。
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